🌻舞台で例える他人をどのように扱うか🍎
こんにちは。このページを開いてくださってありがとうございます。
記事の前にPRしたいと思います。
私はオリジナルキャラクター、「おともねこ」の絵を描いたり、トップの絵のようにアナログで絵を描いています。なので、実物が私のお部屋にあります。私はデジタルよりアナログの方が好きです。趣味で絵を描いています。トップの絵を皆さんはどう感じますか。
では、この記事のタイトルの話の内容を書いていきたいと思います。
それは「他人をどのように扱うか」です。
少しこの言葉の意味を絞っていうのであれば、それは誰と関わるかを選ぶかは自分で決めるしかないですが、なかなか誰と関わるべきかはわかりません。
しかも、個々人によって、関わる人も、合う人も違います。考え方が違うから当たり前といえばそうですが、なぜか、考え方そのものは近しいのに、全く話を聞いてもらえない、といったことがあると思います。それは相手の別の考え方が関係しているのだと思います。
私はちょっと人との関わりそのものを舞台にして例えてみるとわかりやすいのではないかと思いました。下に書いていく私の考えはもちろんこの考え自体は私のものですので、読者の皆様にとっては合う、合わないがあるでしょうが、誰の視点からも下に書く見方はできると思います。
まず、自分の見方自体を一つの舞台としてとらえてみます。主役はもちろん、自分自身であることがほとんどだと思います。舞台自身ということもできると思いますが。もしくは脚本家ともいえるでしょうか。
上のように捉えると、舞台は人の数だけ存在することになります。
そうです。つまり他人と関わる、というのは、この私の舞台に他人をあげる、ということです。もしくは、他人の舞台に登場する、ということでもあると思います。
だから、自分が他人の舞台にあがる時、その他人が私をどのような登場人物として扱うかでその人と関わるべきかどうかがわかると思います。
自分自身を主人公として明るく扱うためにあなたを踏み台にするのか、あなたと一緒に舞台を作っていきたいという視点であなたを扱うか、で見極められるのではないかと思います。
他人の舞台をぶんどろうとする人なのか、他人を自分の舞台に出演させてヒーローを気取る人なのか、二人で舞台を協働制作しようとしてくれる人なのか。
上のことがその人と関わるべきなのか、を見極める指標になるのではないかと思います。
他人と関わるということは、他人の舞台も扱うことになるのだと思います。つまり、他人の舞台と協働制作していくのか、他人を舞台の小道具として扱うのかで人の品性がわかると思います。
物理的に二人でいても、一人でいるかのような気持ちになるのであれば、それは相手に自分の舞台を全てまかせっきりか、相手が自分の物語を制作する権利を奪っているか、ということになると思います。
相手の物語を制作する権利を奪う行為、というのは現実世界に置き換えても想像しやすいでしょう。共依存的で支配的なパートナーといる状態のことですね。
私は自分の舞台の、主人公というよりは、舞台自体を外側から見ることができる、脚本家になりたいと思います。
🌻おまけ🍎
上の絵は「おともねこ」の一日一枚の絵です。
詳しくは自己紹介のページをクリックしていただけると嬉しいです。
おともねこ、とは頭からお花がはえている猫のことです。まあ、猫というには少し、超越した存在ともいえます。
✖無断転載、自作発言、パクリは禁じます。
創作はマナーをまもって、他人に敬意を払いつつ、行いたいものです。