この世のどこかにいる誰かに、生きていて欲しいから。 〜はたらくってなんだろう〜
元来、私は怠け者の気質だ。
働かなくて済むなら、働きたくない。
毎年12月になれば、「一等が当たったら、真っ先に仕事を辞めてやる!」と鼻息荒く年末ジャンボ宝くじを買い求める、そんな人間だ。
この年末年始も、土日祝日を含めて13日連続の休暇を貰い、コロナ禍でどこにも外出しなかったのもあって、家で散々のんびりテレビ観賞三昧だった。
有給休暇を好きな時に取れて、休みから戻ったらちゃんと仕事もあるなんて、今のご時世では有り難いと思わないといけないのかもしれない。
本来は、リフレッシュして、働くモチベーションを上げるために貰った休暇だが、休暇最終日の私は、日曜日でもなかったのにちょっぴりサザエさん症候群になって、「あぁ、働きたくないよ~。働きたくないよ~。働かなくていいなら働きたくないよ~。」と自作のメロディに載せて変な歌を歌う。
そして、私の頭の中では以下の通り、思考の堂々巡りが起きる。
働きたくねぇ。→でも収入は必要。→今の職場ほど効率的に稼げる所はない。→辞めずに働け。(最初に戻る)
生きていくにはお金は必要だし、よくよく考えると、今の私が最も効率的に稼ぐには今の仕事がなによりと、結局、休暇が明けた日、私は誰にも文句も言わずに、黙々と働く。
やりたくてやってる仕事じゃない。
こう書くと年齢がバレてしまうのが嫌だが、もともと私は「ロストジェネレーション」とか、バブル崩壊後の10年間の間に就職を迎えたいわゆる「就職氷河期世代」とか呼ばれる世代だ。
若かりし学生時代の私は、一応、「自分の好きな事を仕事にしたい」なんていう夢を描いて就職活動をしたけれども、思うようにはいかないまま、とにかく採用してくれた所に就職するしかなかった。
が、そこでは仕事の面白味は全く感じられず、そこに居ても自己の成長は見込めないと思い、メンタル的にもキツくなって、2年ちょっと勤めたところで辞めた。
見切りをつけるにしては期間は短いかもしれないが、今思えば、その職場はブラックな企業というか、業種的にもブラックな感じだったのかもしれず、社会に出て間もない、世間もよく分からない私なりによく頑張った方だと思う。
この時辺りから、私は仕事に対して夢を持たなくなった。
「やりたいこと」と「できること」は違う。
努力は必ずしも報わるわけではない。
頑張って頑張って夢に近づこうとしたけれど、それでも夢が叶わなくて絶望して死にたくなっちゃうぐらいなら、初めから夢なんて抱かなければいいと思うようになった。
だから、やりたいこととか好きなこととかどうでもよくて、そんなことを仕事に求めなくなっていき、次の仕事は、内容とか業種とかはもうどうでもよく、給料の額と通勤時間の短さと環境で選んだ。
それが、今の職場だ。
しかし、奇遇というかなんというか、この職場の水が私にえっらい合ったのか、または、水を得た魚とでもいうべきか、この職場で働き始めてから、私は、私の仕事ぶりについては、周囲の人から褒められたことしかない、というと語弊があるな、妬まれることもあったから。
ただ、自分から「この仕事をやりたい。」なんて一度も言ったことはないし、どんな仕事をしたいかと尋ねられても「特にない。」と答え、3か月に1度ぐらいのペースで、本気ではないけど薄っすら「この仕事辞めたい。」と思い、昇進を打診されても敢えて断ったりなんかする。
とにかくやる気も向上心もなさげな私だが、ロスジェネ世代なので一度得た仕事の有難みは承知しており、その仕事でお金をいただく以上、仕事の仕上がり具合は最高級で返したいという気持ちだけは強くある。
人のニーズを察知する勘の良さと、ハイクオリティでデリバーするという私の職人気質っぷり、いや、ちょっとオタク的な仕事ぶりが、幸か不幸か、この仕事をするに最も必要とされる資質だったのだろう。
そのせいか、扱いづらいがパフォーマンスだけはいい私のことを、その時々の上司は離さず、自身は何も望んではいないのに、常に次のステップへと導いた。
向こうからやって来た波に、「乗れ。」と言われたから、私は乗っただけだ。
そんな、好きでもない、やりたいことでもない仕事ながら、あれよあれよと、結構な年数は経つ。
しかも、自分で言うのも何だが自分で言わないと誰も言わないので自分で言うが、私は重宝がられている方なのだろう。
世では生き残りが難しいと言われている我が職場だが、私は今では部署内での最古参になった。
好きなことでもない、やりたいことでもない仕事が長続きする理由。
不思議だ。
単にお金を稼ぐだけなら、他の仕事でもよいだろう。
今の仕事を続けている理由は、条件面が良いというのもあるかもしれないが、それだけではなくて、好きでもない仕事をしながらも、私はかけ替えの無いやりがいを見出したのだろうと思う。
それは、私たちの仕事における、社会的使命だろう。
身バレしたくないので具体的には書かないが、私の直接のクライアントは、同じ組織内に居る誰かになるものの、その誰かの先の先の先ぐらいにいるのは、世界中で適切な医療が提供されることを待っている患者さんたちだ。
私たちは、患者さんと接するような医療従事者そのものではないけれども、大きな意味での医療の一翼を担う者としての自覚と強い責任感を持って、私たちが提供できるものごとを、適切適時に患者さんに届けられるよう、日々業務に取り組んでいる。
もっと平たく言えば、私のしていることの先の先の先の先の先では、この世のどこかに居る誰かの命が救われている。
救わねばならない。
そう思えることが、私たちの誇りであり糧でもある。
生きていてほしい。
ただそれだけを思いながら仕事を続けている。
やりたかった仕事を諦めた理由。
そんな風に、仕事に対しては夢も希望もあったものではなかった私だが、10年以上前から、本業の仕事とは別に、やってみたいと思っていた仕事はあった。
4年か、5年ほど前、偶然にも、そのやってみたいことに携われるチャンスが巡ってきた。
その仕事は、2020年の夏に限定的に行われるものだった。
その職種の募集要項を見た時に、私はその応募条件を満たせていたし、業務内容的にも自分に向いていると思え、即座に申し込んだ。
その後、幾度の選考を重ね、厳しい研修にも耐え、準備に準備を重ね、その職に就くために時間もお金も気力も体力も費やした。
その数年間の選考過程の末、私はその職種に就くことが決定した。
本業の職場には、兼業届を出して認めてもらった。
嬉しかった。
生まれて初めて「なりたい自分になれた。」と感じた。
それまで、なりたいと思った自分にはなれない、20代の半ばぐらいからは、なりたいものすらない、そんな挫折だらけの人生だったから、この歳にして初めて掴んだ成功だと思った。
しかし、2020年、ご承知の通りのコロナ禍へと突入し、その仕事をするのは2021年へと延期された。
このコロナ禍で色々と考える時間もあり、私の価値観も変化した。
私は、散々考えた挙句、2021年の活動を辞退することにした。
もともとその仕事は副業的なもので、幸い、私には生きていく分に必要なお金を稼げる本業が別にあるし、この仕事は、ただの私の夢だったというだけだ。
この仕事での私のポジションは、不特定多数の人と比較的至近距離で接触する可能性が高い業務で、それなりに感染防止対策は取られるであろうけれども、感染する可能性はゼロではない。
私自身が、あえて感染リスクを高めるようなことはしたくないと思った。
私自身が感染して発症して苦しんでも、究極的には死んでも、私自身は構わないが、感染したらハイリスク患者となってしまうであろう、家人には移したくない。
それこそ、重症化して死に至る可能性は高まるだろう。
そう考えた時に、この仕事が、人の命や健康よりも、優先して行うべきことなのかと疑問が沸き、そこまでのことではないという結論に行きついた。
私の周りの人たちに死んでほしくないから、私はその仕事をやめた。
この仕事は私の10年来の夢ではあったけれど、それを諦めるからと言って、悩みもしなかったし、未練も後悔もない。
昔は、自分の好きなこと、やってみたいことをして働きたいって思っていたけれど、結局は、そんなのはどうでもよい。
長年思い続けていていた夢であろうが、人の命に比べればなんて小さなことか。
人の命の事を思えば、夢なんて簡単に諦められた。
はたらくってなんだろう。
私はなぜ働くのか。
それはこの世界のどこかに居る誰かに生きていてほしいから。
それはこの世界のどこかに居る誰かに死んでほしくないから。
そういう線引きをして、私は仕事をしたりしなかったりするのだ。
好きだからとか、憧れているからとか、そんなことではなかった。
ただ、誰かに生きていてほしいから、私は働くのだ。
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この記事は「#はたらくってなんだろう」というハッシュタグの投稿コンテストへの参加作品です。事実をもとにしたフィクションです。ちなみに、2020年の夏にする予定だった仕事は、東京オリンピック・パラリンピックのボランティアではありません。☺