義より徳を選ぶ人
九条Tokyoをオープンした直後、アメリカから一人の青年が訪ねてきました。知人を介して、日本的な体験をしたいと言って。
茶道はやったことがあるというので、書道にチャレンジすることに。生まれて初めての書道体験に、少し緊張気味でした。繊細で、優しい風貌とあいまって、案外、書道をしている姿が似合っている気がしたものです。
初めに「食」という字を練習します。トメやハネ、ハライなど書道の基本が揃っているし、九条Tokyoは食の現状に注目してほしいと誕生した店ですから。
数回書くうちに、みるみる上達して、いよいよ本番。次は、自分の好きな字を選んで書きます。その前に、どんな字を書きたいかヒアリングするのですが。。。
「普段、どんな気持ちで音楽を作っているの?」
「ボクは音楽で世界を変えられるんじゃないかと思っているんだ。世界が平和になればいいなと思って演奏しているよ」
「それって、ジョン・レノンじゃん」
そう、彼は2018年のグラミー賞で最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス賞を受賞したポルトガル・ザ・マンのカイルでした。考えてみれば、そのナイーブな、学者然とした雰囲気も、ジョンに少し似ていたかもしれません。
そこで、ボクは義と徳という二つの字を提案して、書きたいほうを選んでもらうことにしました。
先生が書いたお手本の字を一目見るなり、彼は「義」を選びました。
「どうして、そっちがいいと思ったの?」
「かっこいいから」
確かに。ボクが見ても、そのまとまった13画は隙がありません。美しい完結した世界。
彼は筆を執りかけて、「もう一度、この2文字の違いを教えてくれ」と尋ねました。めんどくせぇ。辞書も引かずに、ボクはうろ覚えで答えました。
「義っていうのは、正義や義侠って言葉に使われるくらいだから、理にかなっていること、利害を考えないってことかなぁ」
「徳っていうのは、うーん、説明が難しいなぁ。あの人は徳があるっていうように使うから、正しいことを実行する心を持ってるってことかなぁ。人のためにそれを使う行為が義で、その心が徳かなぁ」
自分で彼のために2つを選んでおいて、深く問いただされると曖昧ですね。確かに、漢字一字一字の意味なんて厳格に考えたことなかったなぁ。
それに、たどたどしいボクの説明が、通訳を通じて伝わったでしょうか。
「徳に変えたい」
いきなり彼はそう言って、先生が書いた手本を置き替えました。それまで、ボクは彼らの曲を一度も聴いたことがなかったけど、その瞬間、ポルトガル・ザ・マンが好きになっていました。
ジョン・レノンの「イマジン」には様々なテイクがありますが、朝起きたばかりなのかガラガラ声で何度もつっかえながら歌う自宅バージョンらしきものがあって、ボクはその「イマジン」が一番好きです。だって、寝起きまなこのボーッとした顔で「想像してごらん、国境なんてものはな~い」なんて歌っているんですよ。
でも、あの説明でよかったのかなぁ。どう思います?
義の人と、徳の人と言った場合、少しイメージは違う気がしませんか。義の人という場合は、まず正義を重んじて曲げない人。一方、徳の人という場合は、世界が幸福や平和になるために尽くす人。正義は二の次、と言っているのではないですよ。正義という印籠を振りかざすのではなくて、まず、我が身ひとつでそこに入っていく人。多少時間はかかっても、徳で人を動かす人。
そこまで考えて、熟語だと違いがわかりやすいことに思い至りました。え、こんなこと常識だって? ちぇっ、大学時代、もう少し国語学を真面目に勉強しておけばよかった。
象の鼻は長い、と、象の鼻が長い、の違いに感動したことを思い出しましたが、今さら遅いですね。
今回は連載史上初めて画像をつけていますが、この徳の字は彼が書いていったものではありません。一番気に入ったものは持って帰りましたから。メンバーに自慢した後、部屋に飾るんだと言って。
画像は、書道家の真依ちゃんが、ボクのこんな話を聞いて、書いていってくれたものです。彼女の書は、毎日、インスタで更新されていますから、ぜひご覧ください。インスタらしい工夫もあって、毎回楽しめます。(artriccore_mai)
彼が残していったものと言ったら、寄せ書き用の小さなサインのみ。それも、「とても素晴らしい体験をさせてもらった」という短い英語コメントの中に、ミス・スペルが。
「あっ、これ高く売れるかなぁ」と言うと、「絶対、売りに出したりしないで」と懇願されました。ずっと正座で書いていて、足もですが、手も痺れたそうです。しばらく放心状態でした。あれだけ、根を詰めて書いていたのですから、やっと緊張状態が終わって、少し気が緩んだんでしょうね。
大塩平八郎や河井継之助に魅かれるボクなら、義を選んだでしょうか。でも、いま世界に最も必要なのは、共感力なんだよなぁ。
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