090  本棚は世界につながっている

九条Tokyoにはミニ図書館があります。オーガニックの食材を日本ワインや日本酒とともに楽しんでいただこうという酒肴、いや趣向のバルなのにねぇ。。。

当初は、毎月開催している「誤配だらけの読書会」メンバーが紹介した本などを置いておくための図書館としてスタートしました。

ところが、最近はじめた「つながる本棚」プロジェクトで取材させていただく際、最後に「今オススメするならこの3冊」という質問をしていると、ボクがまったく知らなかった作者や作品の名前が挙がってきます。
その本“読みたーい”ってわけで、近所にある書店、ひるねこBOOKSで注文することに。

だって、この「つながる本棚」プロジェクトは、まちの本屋さん応援でもあるからです。コロナ渦を持ち出すまでもなく、デジタル社会の進展にともない「街の○○屋」は急速になくなりつつあります。

それで、いいのかなぁ、と思っているのはボクだけでしょうか。いつか、お酒だって、好きな海岸やオーロラなどの場所の映像を自宅で観ながら、そこでしか耳にできない音や風に身を任せて楽しむ時代が来るんでしょうね。
つくづく、そんな時代が到来する前に死んで行けることを幸せに思います。

店に並べられた商品に出会い、手に取ってみることで、我々はまったく知らなかった商品やその背後に広がる物語を知り、自分の世界が広がっていくって体験をしたことはありませんか。それを無駄や衝動買いと呼ぶか、多様性や豊かな誤配と呼ぶか。

無駄のない、つまり誤配のない人生や世界なんてつまらないと思うんです。仕事選びや友情、恋愛だって誤配から始まるんじゃないのかなぁ。

えっ、五敗じゃないですよ。最初の一人でクイーンやプリンスを引き当てる人もいれば、ジョーカーを5回引き続ける人もいるでしょう。でも、それは不公平ではなく、自分を豊かにするプロセスだと思いましょう。
どうして「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」と憲法に書いてあるのに、好きだと思っている人と結婚できずに、親はともかく、他人がこんなに反対するのか意味不明ですね。彼女は憲法違反で国民やマスコミを訴えたらどうでしょう。

さて、そこで、、、って、話はどこに戻るんだ~?

そうそう、九条Tokyoにある本棚の話でした。
どうも、ボクの話は起承転結ではなく、起転々承転結になるみたいで。。。

これまでの並びを変えて、店にある本棚の一番上の段を空けました。ここには「つながる本棚」プロジェクトでインタビューした方々からのオススメ3冊を置くことにするためです。

ところが、なかなか本が届きません。Amazon だったら翌日に届くのにって? 
誰だ〜、そんなこと言ってるのは!

まちの本屋さんには、それぞれの目利きで厳選した本しか置かれていません。あと、売れ筋の本でしょうか。
ところが、インタビューした方々の薦める本って、どこにでもあるようなベストセラーではないものがほとんど。これでは本屋にもないし、取次に頼んでもなかなか届きません。1ヵ月はかかるとのこと。この仕組み、もう少しなんとかしてほしいなぁ。ボクの人生の残り時間はそんなにないんだぞ~。

いえ、ボクの首が長くなるのはいいんですが、いつまで経っても棚が一段、ガラ空きのままというのはみっともないので、今週から毎週1冊ずつ或るシリーズ本を揃えることにしました。

みなもと太郎『風雲児たち』です。

残念なことに、みなもと太郎さんはこのシリーズを完結させることなく、先日逝ってしまいました。

これまでボクは九条Tokyoのイベント「歴史トーク」で発表するテーマの小ネタを拾うため『風雲児たち』を時々ツマミ読みしてきましたが、全巻まとめて読んだことはありませんでした。いかーん。遺憾に思います。
って、この駄洒落、みなもと太郎のギャグに侵されてるかも。。。

『風雲児たち』はちょっとギャグに逸れすぎってキライがありますが、とにかく面白い。嫌いじゃありません。関ヶ原から幕末までを、これほど多彩で豊かに見通せる書物もないのではないか。司馬遼太郎顔負けかも。

ちょっと言い過ぎたかも?
でも、高野長英とか随分参考になりました。

それに、第1巻冒頭に書かれている幕末の志士たちの中に、桂小五郎や高杉晋作、大村益次郎、林子平の名前はあっても、山形有朋の名前は出てこないところが気にいっています。
みなもと太郎、えらーい!

編集者に幕末物を書いてくれと言われて、作者は幕末を理解するには関が原から描かねばと筆を取り始め、とうとう幕末に近づいてきたところで帰らぬ人となってしまいました。
確かに1巻目を読むと、関ヶ原の布陣がそのまま幕末の構図につながっていきます。

全巻揃うには30週以上かかりますから、あと7ヵ月ほど。そんな先までこの店は続いているのか。そちらのほうが疑問です。だって、ワクチンパスポートだなんて、自由や権利の侵害以外の何者でもないでしょう。それをキチンとした議論もなく。。。

それはさておき、もう一つ、新たに始めようと思っているイベントがあります。新たにというより、少し視点を変えて「復活」するといったほうが正しいのですが。

それは「話食は世界をつなぐ」です。

9月26日に開催される「投げ銭エコノミクスcafe」のテーマは、【ルーマニアを起点に考えるナショナリズムとは何か】。
当日講師を務めてくれる常連客と話していて、ナショナリズムは民族心から生まれるというけど、民族って何だろうという話になりました。人種や宗教。。。うーん。人種だって、どう規定するか難しいですね。

彼の大学時代の恩師が「言語」だという説もあると言ったそうです。
確かに、江戸末期、薩長土の倒幕秘密会合では、お互い相手の言っていることがほとんど通じなかったそうです。訛りがひどくて。彼らには、その言語しかなかったわけですから、訛りも何もないわけですが。
当時は300諸藩に分かれたいわば連邦制のようなものですから、標準語や共通言語というものはありませんでした。坂本龍馬は旅籠に帰ってから漢文書き下し分で手紙を書いて、さっき話したことを確認していたと読んだことがあります。それが、1回ではなく、一晩で何度も往復していたと。

そうか、言語かぁ。

「話食は世界をつなぐ」は、世界中の国や地域を毎回一つ取り上げて、その地に住んだことがある人、そこから留学や仕事、結婚などで日本に居住している人に来てもらい、その地域や人をもっと知ろうってイベントです。その地域の言葉を知りながら、食事やお酒も楽しみつつ。
和食ではなく、「話」と「食」のイベント。
特に、平等や平和、人権、愛、つながるって言葉をどう表現するのか、その意味する範囲などを知りたいと思いませんか?

ボクはどちらかと言うとアナキストですから、オリンピックで仮に百メートルやマラソンの決勝に日本人が立っていたとして、必ずその人を応援するってことはないと思うのです。だって、その人が百メートルは達人かもしれないけど、カスみたいな人間だったらどうします? 小中学校でかけっこが早くて鼻高々で、鈍足の子を馬鹿にしていたり、いじめていたままの性格で大人になっていたら。

そんなアスリートより、遠い地からやってきて、スパイクを買うお金もなく、裸足で20キロ離れた井戸を往復していたから自然と脚力が発達した外国人が、今このスタートラインに立っているのだとしたら。
あなたなら、どちらを応援しますか?

ボクらに必要なのは熱狂的な(盲目的な)ナショナリズムではなく、物語だと思うんです。その人や地域のことをどれだけ知っているか。知らない相手については警戒してしまうし、ちょっとしたことで軽率な判断をして切り捨てがちです。
もっとひどいと、戦争になったりします。

戦争と言えば、どうしてコロナ渦の用語って、戦争用語に置き換わってしまったのでしょうか?
野戦病院って、どういうこと?
うかうかしていると、我々はこうした言葉やムードに流されて、いつのまにか戦争に駆り出されるような人間になってしまいかねません。いや、自分がそのムードに乗って行ってしまうだけでなく、誰かを送りつけてしまうとしたら。

またまた話戻って、同じ時代や地域、環境で生まれ育った人へのシンパシーより、それらが全く違う人へのエンパシー。それを持てるようになるには、出来るだけたくさんの交流が必要だと思うんです。
想像力って素晴らしいけど、ゼロから無限に想像力を羽ばたかせられる人なんて滅多にいません。失敗はあるかもしれないけど、交流という経験があってこそ我々はエンパシーを持てるんじゃないかなぁ。

物語の共有。
それって、コロナ渦では難しいことですね。でも、読書はできます。映画だって。

そして、少人数なら、一部zoomを使ってもいいから、交流は続けていないといけないんじゃないかと思っています。どんな時代であっても。

それにしても、
「MINAMATA」早く見たーい。
「燃えよ剣」も早く見たーい。

いや、それ以上に「峠」見たーい!
河井継之助はボクの永遠のヒーローです。

もしかして、彼もアナキストだったのかしらん。。。

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