059 シンクロならぬシンシロ?

1月23日、豪雪地域として有名な、新潟県十日町市池谷・入山地区と繋いでの「話食マルシェ」ミーティング版を開催しました。

ミーティング版?

だって、緊急事態宣言真っ最中。しかも、もう1ヵ月延長もありそう、ってときですからねぇ。さすがに、みんな来て~、とは言えません。口が裂けても、いや口が避けても、いや口が酒ても。。。いかん、だんだん緩くなってきてる。。。

そこで、十日町市のNPO法人地域おこしとリモートで繋いで、雪見酒をしながら、きたる本番に備えて、事前ミーティングと洒落こんだわけです。

1月23日といえば、そう、東京にも雪が降る予報が出ていた日です。東京に雪が降るなんて、年に1、2度あるかないかってものでしょう。それなのに、3mも積もっている豪雪地帯と繋ぐ日に限って、東京に雪が降るなんて、、、

これって、奇跡のシンクロ? いえ、雪だけにクロではなくて、シンシロ?

つまらない冗談はさておき、十日町市池谷・入山地区。最少時には6世帯11人に人口が減少していた限界集落だったそうです。それが、2004年の中部信越地震を契機にボランティアが入り、地元の魅力を見つめ直すことで、若い移住人口が増え、限界集落を脱したそうです。

65歳以上が半数を占めるのが限界集落の定義。現在は、人口20人のうち、11人が65歳未満だそうです。つまり、「元」限界集落になったわけです。

冗談で、「もっと早く中部信越地震が来ていれば」と地域住民が口にすることもあるそうです。それだけ、地域消滅の危機を、真面目にみんなで受け止めたってことですね。素晴らしいと一言で片づけられない、大変な取組があったのだろうと思います。

そこの棚田で作られている無農薬栽培の山清水米の美味しかったこと。ががなんばんとぽっぽろ漬けで、最後にご飯をいただきました。もち、その前には、十日町市産の酒米「たかね錦」で作られた松乃井を飲み、カボチャ(伯爵)とサツマイモ料理にも舌鼓を打ち。。。

明けて今朝の東京は予報が外れて、雨でした。こういう予報・予想が外れるのって、うれしいですね。

予約していた本が届いたと連絡があったので、店に来る前、図書館に立ち寄ると、ボクの前に中学生らしき女の子が傘立ての前で、丁寧に傘の雫を払っていました。ボクは急いでいたので、玄関反対側の傘立てにビニール傘を放り込むと、受付カウンターの列に並びました。

何気なく玄関のほうを見ると、あの子がまだ傘を折りたたんでいます。

これって、しつけ、ですね。失われつつある、コモンセンスって奴。ボクはちょっと感動していました。お母さんが(きっと、お父さんではない)教えたんでしょうね。「ほかの人の迷惑にならないように、きちんと畳んでしまいなさい」と。

それに引き換え、ボクの傘は無造作に押し込まれています。恥ずかしい。これが、日本人、日本的常識って奴なんだよ、と嬉しく思うのはボクだけでしょうか。

あれっ、日ごろ、日本とか国ってものが大嫌いと公言してるボクが、、、ですが、でも、こういうしつけというか、たしなみっていいですよね。残念ながら、君は偉い、と言葉をかけるわけにはいきませんが、朝からボクの心はちょっとウキウキ、1cmくらい道路の上を浮遊して歩いている気分でした。

池谷・入山地区に移住した人が、昨夜、話していました。

「ほかの地域に行っていたことがあるんですが、ここまで頼りにされることはなかった」って。

そう、人は、誰かに頼りにされたり、誰かと交流する場所が必要だと思うんです。もし、別の機会、たとえばこの騒動が収まった3年後とかに、家にいても収入の心配はしなくていい、国が保障するから、と言われても、みんながみんな、家に籠っていることはないと思うんです。もちろん、医療崩壊など社会的な危機がある場合は別ですよ。

人が言葉を生み出した理由は、ただひとつ。誰かを思い、その思いを深め、伝えるため。つまり、交流するのが人ではないかと。

えっ、誰ですか。人って漢字は二本の足がある象徴的な姿からで、支えあってるなんて情緒的なことではないぞ、なんて言ってるのは。孤独の国に永久追放したる~。

それにしても、こうしたちょっとうれしい出来事を、誰かに話すのではなく、noteに書く日々が続こうとは。。。去年の3月~5月の日々を思い出しますね。あの頃も、4月半ばには誰かと話したい、交流したい人々が店を訪れ、初めまして、という挨拶から始まって、いくつかの出会いがありました。お客さんが少ない分、話す時間は増えます。それって、店にとってはあまりいいことではありませんが、今となってはうれしい思い出です。

雪は降らねど寒い日曜日。歩いている人もまばらな中、ボクは無聊をかこって俵万智の最新刊歌集『未来のサイズ』を読んでいます。

1月30日には、好きな音楽を5曲ずつ選んで聴かせあう
『誤配だらけの音楽会』(14:00~)のあと、
『短歌好きあつまれ~』(15:00~)

1月31日には、
『誤配だらけの読書会』(15:00~)があるからです。

読書会では、最近、このコロナ騒動や政治の無策、世界の変容などを愁いて、評論や哲学書などノン・フィクション分野の紹介をするメンバーが多かったように思います。そこで、ボクは今度、とっておきのフィクションを紹介したいと思っています。

現実逃避したいと思っているわけではありません。むしろ、その逆です。小説や詩などフィクションの中にこそ、普段、見失ってはいけない言葉がそこここに散りばめられていると思っているからです。それを忘れた時、我々は無知蒙昧となって、時代の狂騒に流されてしまいがちです。

急いでいても、次の人のために傘をきちんと畳む。困っているときは声を上げて、人に頼り、頼られる。

人類が発明した中で、言葉は時として人を傷つけることもありますが、それは使い方が間違っているのであって、とりあえず最高の道具だと思うんです。こんな時こそ、言葉を磨かないと。

雪は降らなかったけれど、コロナに雨に寒さにと、まだまだ家に籠ることを強要され、何もできない空欄の日々が続きそうですが、この後の時代を思いやることはできるはず。限界集落に赤ちゃんが生まれて、「元」限界集落になったのですから。

空欄はゼロではなくて無限だよ やりたい仕事なりたい自分 (俵万智)


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