033 和紅茶という奇跡 -- 三行ですむことを
オーガニックだから美味しいとは限りません。実際、ボクの畑で作っているものはすべて有機栽培ですが、残念ながら美味しいものは少ない。
理由は土づくりに尽きるように思います。如何にフカフカで栄養豊かな土壌を作れるか。愛情豊かな家庭から、共感力のある子どもが育ちやすいように。
わかっていたら、やればいいじゃん、って話ですが、これが意外と難しい。あなたの家庭か過程を振り返ってみたら、納得しませんか。
最近、あなたが共感したことって、なんですか?
毎日が感動と共感で埋まっていたらいいのに。この店を始めるにあたって、ボクは感動=奇跡を届けたいと思っていました。それを売物にして、メニューに載せたいと。
いま思えば、思い上がりですね。奇跡って、たまたまやってくるものなのに。でも、奇跡って自分で生み出すことはできなくても、目の前を通り過ぎているのに気づくことはできます。釣り上げられなくても、その価値はわかる。
九条Tokyoをオープンする前に訪ねた生産者の中で、本当に偶然ですが、40年以上前から無農薬で緑茶を作っている生産者と出会いました。年間降雨量で有名な、あの三重県大台町にあります。
どうして、そこに行き着いたのか覚えていません。最近のボクの記憶力の欠如という問題もありますが、相当当てずっぽうというか、偶然性の高い選択だったような気がします。誰かに紹介されたわけでもなく。ひたすらググって、メールを出して、会ってほしいとくどいて、の繰り返し。何軒の生産者に連絡を取ったことか。
一口に40年と言っても、緑茶で無農薬と言うのは大変な営みです。広大な敷地、天候との闘い、虫の攻撃、病気。ビニールハウスで作るわけにはいきませんから。
なぜ、無農薬で緑茶を作ろうなどと言う無謀なことを考えたのか。おそらく、近隣の緑茶生産者からは非難轟々だったことでしょう。そこで発生した虫や病気が伝播するリスクが高いわけですから。
「農薬のせいだと思うんですが、激しい頭痛に悩まされましてね」
自らの身体を、つまり命を守るために無農薬に切り替えたそうです。当然、近隣の生産者からは猛反発され、ほかに誰も作っていない山裾へ移動することになります。
「両脇を山に遮られていたら、近隣から農薬は飛んできませんから」
大変な苦難を乗り越えて、美味しい緑茶ができるようになりました。その間、どれだけの月日が必要だったことか。
しかし、不思議なもので、時代が生産者を追いかけてきます。無農薬のお茶を求める人々が増えてきたのです。ボクが鈴木さんに諭されながら、無農薬栽培や自給力という言葉を知ったのは、まだ少し先のことになります。
「以前は、近くで無農薬栽培なんてやめてくれと言っていた緑茶農家が、うちの茶畑も借りてくれ、というようになりまして」
後継ぎのいない農家が、うちのも借りてくれ、うちのもと依頼してくるようになり、あちらの畑で、こちらの畑でと飛び地ではありますが、生産量は増えていきます。幸い、その生産者には後継者がいて、おやじと違うことをしたいと、紅茶の生産にチャレンジ。何度も失敗を重ねながら、発酵を半分ほどで止めると、まろやかな、ミルクも要らない紅茶が完成しました。
和紅茶と名付けて売り出すことに。ボクは、そうした奇跡的なタイミングで、その親子と出会いました。
なんて美味しい紅茶だろう。その香り。まろやかな味わい。まさに、「和紅茶」と呼ぶにふさわしい作品です。茶道をたしなまないボクですが、和紅茶だって、一服の時間に溶け込むような深い味わいがあります。
ボクの畑で作っている野菜で、これは美味しいと自慢できるのは、絹さやとモロヘイヤくらい。あと、ツルムラサキもかな。それらは、きっと、あまり土壌の影響を受けない、優秀な種族なんでしょう。どんなに美味しい在来種の野菜から採った種を植えても、できあがる野菜はあまり美味しくなりません。採種した農家に申し訳ないくらい。
辰巳芳子先生がやっている大豆百粒運動の会員になると送ってくる在来大豆に、「借金なし」というのがありました。主に埼玉で作られていた大豆で、この大豆さえ作っていれば、四公六民で税金(米)を搾り取られても大丈夫。それくらい美味しくて、お金になるという大豆です。
大豆は日本全国で作られていて、500種類以上の在来種があると言われています。借金なし以外にも、「さとうなし」というのもあって、砂糖がいらないくらい甘いからついた名だそうです。
「借金なし」大豆の美味しかったこと。1年目にできた大豆は、近隣の畑仲間の間でも大好評。珍しく美味い野菜を作ったと評判になるくらいでした。ボクが借りていた畑仲間の間では、当時、まだ50代半ばだったボクが一番の若手。それは農家の平均年齢を見ればわかる話ですが、下手さの言い訳にはなりませんね。
ところが、その大豆の一部を残して翌年植えたら、まるで違う味の大豆になっていました。これは土壌の問題もさることながら、遺伝子組み換えやF1種ではない、在来種の特徴でもあります。昔、メンデルの優性の法則って習いましたよね。優性なんて日本語訳がついたために誤解されていますが、雌しべと雄しべを掛け合わせてできる第二世代は、それぞれの個性を持って生まれてきます。すべて同じようには育ちません。言い換えれば、多様性ってやつ。
色だって形だって違う。不揃いの大豆たち。美味しいのもあって、そうでないのもある。それが本来の姿?
その中で、たまたま風土や気候、天変地異によって偶然淘汰され、残ったものが現代の地球に生き残っています。
もっとも、ボクの不作は、土壌づくりの未熟さがすべてなんですが。。。代々、農家がいい種だけを選んで残してきた長年の努力=固定種を水の泡にしてしまっているわけです。罪深い農家、いや農家と言う名前の片隅にも置けない、真似っこ農業です。
このF1種というやつ。もともとは日本で始まったといわれています。或る一定の傾向を持った野菜を作りたいがために、雄しべと雌しべが自然交配する前に、ピンセットで花びらを押し開いて、雄しべを引っこ抜いて、掛け合わせたい特徴を持った別の雄しべを雌しべにこすりつける。そう聞くと、いかにも手先が器用な日本人がやりそうなことに思えませんか。
それとは別に、1920年代のアメリカで、雄しべのない紅玉ねぎが偶然見つかりました。いわゆる奇型ですね。その雌しべに掛け合わせたい雄しべを擦り付ければ、好きな種類の紅玉ねぎができます。
こうしてできたのがF1種というやつ。紅玉ねぎなのに大きい。このF1種は、1代限りです。できた野菜から種を採っても、同じものが出来るとは限りません。
つまり、同じものを育てるためには、毎年F1種の種を買うしかない。自分で作ったものから種を採って育てても、同じものはできないのです。種苗メーカーのビジネスにはうってつけですね。
言い換えれば、最も自然な営みであるはずの農業が、ビジネスになってしまっています。農家が代々、毎年手塩にかけて育てるという職人の世界が破壊されているのです。
とここまで書いて来て、根本的な誤りに気づきました。
固い! 前回のコシの話じゃないですよ。
真っ直ぐに書くだけじゃ、伝えたいものも伝わらない。真面目を面白くじゃなかったのか。ちょいと反省。ここまで書いてきて、今さらですが。
言いたかったのは、オーガニックだからって美味しいとは限らない。手塩にかけて、努力したものだけが美味しいってこと。あったりまえじゃんか~ってな話ですね。
あれっ、3行で終わっちゃうじゃん。三行半より短〜い。
井上ひさしの『東慶寺花だより』は、江戸時代、女性から離縁するため逃げ込める鎌倉の東慶寺を舞台にした小説です。ボクが日本文学の最高傑作だと思っている『吉里吉里人』をはじめ長い作品の多い井上ひさしにあって、『東慶寺花だより』は三行半(みくだりはん)をモチーフにしているだけあって、短いエピソードが並んだ、心に染みる連作小説です。確か、『駆込み女と駆出し男』という映画にもなっていたはず。
なかなか先行きの見えないコロナ騒動の行方ですが、発酵を半分で止めた和紅茶で、ちょっとひと息。発酵も半分、短めがいいみたい。
といって、三行半を認めて来られても困ります。ここは現代の東慶寺ではありません。
できれば、未来の話を。これからの話を聞くのは好きです。努力は明日から始めればいいのだから。
ボクが伝えたいのは、長く続けているからこそ生まれる奇跡。それを、もっと短く伝えられたらいいのに。でもそれは、ボクの場合、奇跡をねだるようなものですね。
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