051 今度は中国からではなくやってきました
前に、中国からの出張後に、2週間のホテル暮らしを余儀なくされた男性の話を書きました(018 明日ようやく家に帰れるんです)。
まさか、再び訪ねてきてくれるとは思わず、このシリーズで、二度と起こらないだろう奇跡のような出会いの一つとして書きました。
ところが、その男性が再び訪ねてきてくれたのです。同僚と二人で。遠い記憶を探ると、家も会社も近くはないと言っていたのに。。。
嬉しい奇跡の再訪ですが、もう二度と会うことはないだろうと書いてしまった自分の勘違いを恥じるしかありませんね。相手が知らないからまだいいものの、穴があったら入りたいとはこのことでしょうか。
彼は前に訪ねてきたことなど、おくびにも出さずに、隅っこの席に座りました。その顔を見て、遠い記憶が蘇ってきたボクは、思わず声をかけました。
「もしかして、前に一度…」
「ええ、確か、あのへんの席に座らせてもらいました」
あれから半年余り。彼は次の海外赴任先が決まっているのですが、この状況では行けるわけはなく、待機状態が続いているそうです。
「もし来年赴任できたとしても、向こうで定年を迎えることになりそうです」
そう言って穏やかに笑いました。髪には、さらに白いものが増えた気がするのは、この稿を小説のように仕立てようとしているボクの思い過ごしかもしれません。
「そうですか。待つって、辛いですものね。まして、こんな、先が見えない状況ですからね」
「ええ…」
この「…」にこめられた想い、ボクにはヒシヒシと伝わりました。店を開けていても、お客さんが一人も来ない夜、ボクは自分の残り人生の何パーセントを失ったのか、計算してみたくなる時があります。新型コロナウイルス陽性になって感染し、重症化して亡くなる確率とどっちが高いだろうかと。誰とも口をきかない時間、それでもボクが店を開けて、立っている意味はあるのだろうかと。
この日も彼は、ボクがすすめる日本酒を次々に空けていきます。
「順番もマスターのおまかせでいいですから」
つまり、ボクが少しはマスターっぽくなったってことでしょうか。この半年あまりで。うれぴ~。
ならいいのですが。。。この1年に、そして客足の途絶えた日々の中でも店を開けている意味が、少しはあったってことかと思えるからです。
たいていは、お客さんとの会話をボクが楽しむ店なのに、こうして静かに対座する時間を楽しむっていうのも、ちょっとうれしいものです。なんだか、ボクが若いころに思い描いていたバーのイメージじゃんか〜。
俺って、大人になりつつあるのかも。この歳になって、自分が成長しているのを感じるって、なかなかないことです。
昨夜から東京都の自粛要請によって、営業時間は夜10時までとなりました。他人にうつすから自粛を、と言われると開けているのは難しいですね。でも、だから再びこうしてnoteを書いているわけですが。。。
あの8月の日々を思い出しますね。やることもなく店にいるのはむなしいと言ったら、常連客のあさみちゃんがすすめてくれて、暇にあかせてnoteを書き綴っていたひと月あまり。10時に店を閉めて片づけを終えてから、午後11時までの残り時間を使って毎日一つ書くと決め、帰りか翌朝の出勤時間の電車内で読み直してアップする日々。
コロナ騒動になってから、そうした非日常が日常になった人がどれだけいることでしょう。そうした人たちにも、ボクのように、何か新しい発見が日々あればいいのですが。
先日お昼を食べた店で、短縮営業になる話題になって、「従うんですか?」とその店の主に訊かれました。
「従うも何も、お客さんがいないから、開けていてもねぇ」
「そうそう、感染者が急増してから、夜になると、全く人通りがなくなりました。毎日、感染者が何人って、そのニュースばっかり。この国には、ほかにニュースはないのでしょうか」
彼は外国籍のようです。ボクは、この店の唐揚げが食べたくて、月に一、二度通っています。
「そのうち、ニュースの最後に紹介する、天気予報みたいなものになるかもしれないよ。明日はこの地方で何人になるでしょうって、予測地図とかまで出て」
「そんなぁ」と彼は眉をひそめながらも笑ってくれました。
笑い話にしてはいけませんが、多くの人の人生を変えてしまったのも確かです。
いや、過去形ではまだ語れませんね。ワクチンができても、果たしてそれですむのか。全く新しいタイプのワクチンを、無料だから全員打ちましょうと言ってもねぇ。亡くなっている人、重症化している人の数、年齢、性別、既往歴、生活状況など詳しいデータを、まず公開してほしい。国民はバカではないのだから。
1月16日(土)15時からの【大人にもわかる投げ銭サイエンス・カフェ】VOL.2では、「ワクチン」を取り上げます。その時、コロナ騒動はどうなっているのか。いや、1年後か2年後、この間の世界はどう総括されるのか。
それを見届けて振り返れるその日まで、誰も自ら命を絶ったりしないでほしい。人の命に軽重はつけられないはずですが、なんだか、ますます世界がギスギスしてきて、その遠因には、長引く経済の停滞があるのでしょう。いや、停滞しているのは経済だけではないですね。変化を追い求める好奇心や新しいものを迎え入れるゆとりがなくなってきているように思えます。心が停滞していた上に、このコロナ騒動がさらにのしかかった、というふうにも思えます。
「妻を連れてまた来ますと言ってから、半年以上たってしまいました。感染者が増えているから、出かけるのはちょっと、と言われてしまって」
「いいですよ、無理しなくて。人それぞれの考え方がありますから」
「でも、そんなことを言っていたら、人生が終わってしまう」
「それは言いすぎでしょう」と答えながら、ボクも時々、一人っきりの店でそんなことを考える時があります。
「外国を転々とする仕事人生の最後、総仕上げだと思っていたのに、このまま終わってしまうのかも…」
うーん。ちょっとかける言葉が見つかりません。マスター失格です。
彼の次の赴任先は、感染者数と死者数が急増している発展途上国です。生半可な気休めの言葉などかけられそうにありません。
沖縄の高山義浩先生が11月8日のSNSにこんなことを書いています。
「パンデミックに対する政治的な困難は、多数の死者が出る流行のさなかではなく、失業と経済的苦痛に直面する再開プロセスにあります。おそらく、「エスタブリッシュメントが自由と生活を奪った」との主張が高まり、ロックダウンを擁護した政治家や科学者が攻撃されます。2021年の始まりは、アメリカのみならず、世界の、深刻な苦痛と分断に満ちたものになると私は思っています」
感染症の最前線で闘っている高山先生の呟きには、いつも今の混乱との格闘だけでなく、未来を見つめた提言や危惧が記されていて、ハッとさせられます。
今以上に厳しい苦痛と分断の新しい1年に、我々は耐えられるのか。民主主義という行動様式が徹底的に試されるのかもしれません。一つひとつ議論や共感を積み上げて確かなものにしていくって、この国の人たちは苦手なんだよなぁ。。。
昨日開催された「小さな声で話そう」というイベントでは、「コロナ騒動」や「この国の不寛容さ」について考えていることを話してくれる参加者に混じって、ボクは銀巴里とシャンソンの時代があったことについて話しました。
小さな声でもいいから議論と共感を積み上げていく‐‐それしかないですよね。昨日の参加者であり、ボクの畏友ともいうべき常連客の一人が、ボクを諭すように繰り返し言っていました。
「こんな状況の中でも、頑張っている若い人がいるんだから、未来に希望をなくしちゃいけないってことですよね」
♪いつ帰ってくるの♪とバルバラの名曲を小さな声で歌う−−金子由香利さんの歌がまた聴きたくなっちゃった。
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