老子の最初のことば
「これが道ですと示せるような道は、恒常の道ではない。
これが名ですと示せるような名は、恒常の名ではない」
蜂谷邦夫訳 岩波文庫
意味がつかみにくかったけれど、
『もどってきたアミ 小さな宇宙人』を読むと、
同じようなことを言っている。
名前をつけるから、区別され、別々のものになり、分離して、争いが起こる。そもそも同じもののはずなのに……
私たちが水と呼ぶものを、外国ではウォーターと呼び、目に見えるものは水とウォーターは同じものだと認識できたとしても、目に見えない精神が同じものだと気づかない。
その精神の本質が何か。それをとらえることができなければ、どんなに名前のついた言葉であれこれ考えたとしても、何も会得したことにならない。机上の空論というのも、似たようなものなにかもしれない。
名のついた言葉で考えているだけでは、なんにもならない。
それは体験して、感じて、腑に落ちて、なんだか言葉にならないけれど、こういうことかとわかったときに、そのものを初めて知るのだと思う。
そうして得た感覚を、人に伝えようと悪戦苦闘してきたのが、
人間の歴史なのかもしれない。