最も身近な家族だからこそ言えないこと
3年前に北海道に行った。
その旅でスピリチュアルな方がいて、
その方が私に、
「あなたのお祖母様とお母様の関係がよくないのを
溶かすのがあたなだ」
というようなことを言われた。
聞いた瞬間、涙が出た。
母と祖母は、いわゆる嫁と姑関係で
決して仲がよかったとはいえなかった。
同居していたけれど、
2人きりで話しているのをみたことがなかった。
祖母はとっくの昔に亡くなってしまっている。
「私がどうすればいいんでしょうか?」
「とにかくお母さんと話してみたら?」
何をどうしたらいいのかよくわからず、
帰省したら折をみて、母に祖母のことを聞いてみたりした。
でも、母がそんなに何かを話してくれるわけでもなかった。
しかも、北海道に行ったのが2020年1月末で
直後のコロナ禍で、帰省もできなくなり、
母と逢う機会さえとても限られていた。
それから特になにも変わりなく、
今年の春はもうその祖母の27回忌を迎えた。
母とのことで変化があったのは、この夏だった。
先日に下記に書いた出来事があった。
そんなとき、易で占筮してもらう機会があった。
メッセージをくださいというふんわりした問いに
地火明夷が立った。
お母さんと話した方がよいと言われた。
地は母を表し、火の私の輝きが母に隠れているから、
母という存在を超えていかないといけないのだと。
お盆に帰省して、母と話そうと思った。
それに、母のことを褒めてくださったいけばなの師の言葉が意外すぎて、
先生にお話を聞きたくて伺った。
そこで、さらに耳を疑うことを言われて
下記のように、それがあまりにも衝撃的すぎた。
家族ってなんだろう。
ずっと一緒にいて、
寝食をともにし、習慣も同じで、
しかもうちは農家だったから仕事も一緒にして、
ひとつ屋根の下に暮らしていながら、
本当のおもいを伝えられない。
近いからこそ言えないことってある。
誰しも。
それを祖母は親戚でもなんでもない
ご近所のいけばなの先生に話していた。
祖母が母のことを褒めていた。
一緒に住んでいた私が聞いたことがない
祖母の言葉を、先生が私に伝えてくれた。
先生はまさか私の母が祖母とわかりあえていなかったとは
露ほども思わず、話の流れでたまたま軽く仰っただけだった。
私がそれを母に伝えたら、
母もやはり驚いていた。
そんなこと聞いたことがないと。
母は祖母に嫌われていると思い、
私も母が孤立無援だと心を痛めていた。
でも、本当の姿は、
祖母は自分の息子の育て方が悪かったせいで
お嫁さんに逃げられないかと心配していた。
問題の父はといえば、
17歳で自分の父を失くして、
一家を養っていかないといけない重責の中で
あたるのは母しかいなかったのだろう。
私が母に怒ることができるのは、
母に甘えているからだと思う。
怒られたらどうしようとか
嫌われるたらどうしようと思っている相手には
怒ったりできない。
父は、母に甘えていた。
17歳で父を亡くした時点で、
母に守られる子どもではなく、
母親を守らなければならない長男となり、
もう甘えられる人がいなくなった。
妻をめとって、甘えられる存在ができたのだ。
でも、だいの大人が甘えるわけにもいかず、
強がることしかできなかった。
心の中に不安を抱えながら。
母は、子どもを連れて実家に帰りたいと
言ったことがあるそうだ。
そしたら、子どもは置いていけと言われて、
離婚を諦めたという。
父が素直に心の弱さを出せていれば、
(昭和の男性としては絶対にできないことだろう)
祖母が素直に母に思いを話せていれば、
家族はもっと仲良くできただろうに。
そう考えてみると、
何も言わずに我慢していた母を
もっと正当に自分を守るために言い返せばいいのにと
私は思っていたけれど、
ちゃんと、離婚したいと言って、
思いを伝えることができていたのは母だった。
そんな母も、今は自由で幸せそうだ。
なんとなく心のしこりになっていたかもしれない
祖母とのことも、きれいに氷解した。
祖母を見送り、父を見送り、
嫁いだその家で、好きに気ままに暮らしている。
周囲にうらやましがられながら、
仏壇に感謝している日々だという。
お互いに生きているうちに、素直になろうと思った。
いちばん素直でないのは私なのかもしれない。
大好きな母に、とても恥ずかしくて
大好きだとか感謝の気持ちとかを言えずに
怒ったり偉そうにしたりしている。
ああ、父とまったく同じだ。
プライドなんかかなぐり捨てて
素直になろうと決意した。