立ちすくむ日本/目先のことに振り回されている間に
能登の震災で、さまざまな日本の問題が噴出している。
それらの問題にきちんと取り組めば、
日本の沈没は止められ、
再浮上は可能だろう。
しかし、それを始めようと言う声は
今のところ聞こえない。
阪神淡路大震災で、日本人はボランティアの大事さに気づいた。
はずだった。
しかし、誰でもがボランティア活動に
いつでも気楽に参加できる社会を作る動きは起きなかった。
休日出勤や長時間労働が前提の社会構造は
以来30年経ってもほとんど変わっていない。
瓦礫を片付け、目の前に見える傷さえ癒えて、
経済活動が一見常態になれば、
それで復活したと豪語した。
仮設住宅などに取り残されている人がいくらいてもである。
東北大震災では、行政がボランテイアをコントロールしようとして失敗が相次いだ。
元々柔軟性がなく非効率な住民に寄り添わない行政が、
ボランテイアとボランティアを必要とする人々のマッチングなど、
望むべくもなかったが、
しゃしゃり出て、さまざまな不幸や無駄を冗長させた。
少子高齢化や過疎地の問題も顕になったのに
全くと言っていいほど手は打たれなかった。
どさくさの震災バブルで、
建設工事費や資材が高騰して
関連業種とそれに紐づいた政治家のような
笑いが止まらない人たちが私腹を肥やすにとどまった。
仮設住宅などに取り残されている人がいくらいてもである。
そして、この頃から災害関連死が言われるようになったが、
それを産まない仕組みは作られることはなかった。
その後、幾つもの大災害が発生したが、
人の噂も75日、
道や建物は再建されて、
箱物だけは一見前の状態に戻っただけで、
人々の生活の問題点は手付かずのまま時は過ぎた。
そして、能登半島の震災である。
二次避難とか、1.5次避難とか言う単語が飛び交い、
都会や他の地域に
地元で仕事をしなくていい人や
比較的扱いやすい病人や老人を移送したりしたが、
それによって、地元の病院や介護施設などの仕事を奪い、
それらの団体などを存亡の危機に陥れている。
車椅子の人や目の不自由な人は
地域の避難所では迷惑になるからと気を遣ったりして、
壊れた家で暮らさざるを得なかったり、
さまざまに切り刻まれ分断され、
マイノリティーが排除される。
これらは、日本中で起こっているのに、
皆が、気が付かないふりをしている。
誰かがやってくれると思うことは誰もやってはくれない。
最大の問題は政治の不毛だ。
政治家に文句を言っても
彼らは裏金問題で手一杯だ。
そんな彼らに頼らない自らは参加する政治、
日本の在り方を根本から変える政治が
今こそ求められている。