療育と学習
こんにちは。くじらです。
10月に入り、いつ秋が来るのかと待っていますが、今週末までお預けの地域に住んでいます。今、一番秋を感じるのはスーパーで、栗や柿を見かけた時位です。
私は今、小学生を中心に訪問しているのですが、普通級で頑張る子、支援級で頑張る子、どちらにも「学習」という難問が待っています。
もちろん、支援級は6年間、自分のペースで学習を進めていける利点がありますし、普通級は進みは早いのですが、理解しやすい単元を見つけられるなど、学習への理解度に応じて、支援級と普通級を選べば良いと思っています。子どもによって、どう社会性を学ぶかも、1日の大半を過ごす学校での生活では重要になるので、どこに重きを置くか、保護者も迷いながらの小学校生活になると思います。
特に学習に関しては、どこまで理解が進められるのかを、保護者は常に考えているでしょう。
ADHDが強く出る子どもは、理解力がどうしても低下します。何をするにしても集中が難しく、頭の中の情報がすぐに取り出せない事が重なるからです。家や、個別支援だと割と直ぐに理解できたりするのは、理解した事を表出するのが苦手という事もありますし、集団の中で集中して理解を高める事が難しいという事もあるでしょう。
この場合、どうしても学校での点数的な評価が下がる為、自信がなくなり、自己評価が低くなり、卑屈になる事もあります。なので、療育としては、理解はできるという事を子ども自身にも、保護者にも知っていてもらう事が大切です。私は訪問の時、頭の中を整理する為に、最初にちょっとした指先を使う遊びをしてもらいます。それから書かずに答えられるクイズ形式の問題をして、理解できているか確認しながら、どの方法なら表出できるのかを探ります。いつも試行錯誤してますが、この部分を保護者と話し合う事で、宿題などに応用してもらったり、学校に教室でも対応できるかを、聞いてもらったりできるのです。
知的障害のある子どもは、学習自体がほぼ暗記で進んで行く事もあります。勿論、記憶するにも時間はかかりますが、応用がきかなかったりするので、全てを記憶に留めなければならず、生活部分や社会性部分もあり、その数は膨大になる為、やはり学習につながるのはその後という事が多くなります。
生活やコミュニケーションが安定し、当たり前として多少の応用がきくようなると、学習の理解度も進んでいる事もあります。特に国語の読み取りは、勿論、学校の授業で取り組んでいるのでしょうが、普段子ども自身が使う言葉に比べると、理解していたりします。
私は社会に出た時に必要な最低限の学習は、2.3年生位までのものかなと思っているので、ゆっくりでも少しずつ進められるように、同じ課題をあらゆる方法で伝えます。これは、応用性を高めるためでもあります。前にも話しましたが、算数も式を立てられないと生活に生かす事ができません。読み取りも、話の内容がわかるかどうかが設問に現れるので、普段のコミュニケーションに生かせるかを考えています。
学習なんか必要ない。穏やかに過ごせれば良い。
という意見もあるのは、分かっています。
でも、人は、わかる事がたくさんある方が安心して生きていけます。
療育とは、言葉を掘り下げていくと何やらわからなくなりますが、学習のその向こうを、常に想像しながら支援するものだと思っています。なぜ、療育という言葉を使うのかと言われたら、発達支援と同じくらい、ただの表面上の名前として存在してるから、位の理由です。
私の中では、学習内容も教育要領も関係無く、集団に教える技術では無いもの。一人一人に必要で、理解力や想像力に合った支援方法。社会性、学習、身の回りのこと、生きる為に必要な全てを、どの視点で、どの角度から、どんなスピードで、どの時期から始めて行くかを考えるもの。という意識で「療育」という言葉を使っています。
療育は、塾とは違います。学習を勉強として捉えていくと、すぐに詰んでしまいます。常に、なぜそれを学ぶと良いのかを考える事が大切です。学び方は、本当にそれぞれで、流動的でもあります。子ども達の学びたい魂に、どこまで火が灯せるのか、それを大切にしていく事が、子どもの成長や、生き方に影響すると思います。
読んでいただいてありがとうございました。
それでは、また。