心の風邪
鬱は心の風邪じゃありません
頭の病気です
って言ったのは中学の社会の先生で、僕はその時すごく悔しかったのを覚えている。お前に何がわかる、と思った。母親の鬱がひどくなり、僕は毎日母親の精神的サンドバッグをしている時期だった。僕だって病院に行きたかった。母親の精神科の診察について行った日、順番を待つ病んだ大人たちに囲まれて、僕の番はまだかな、とぼんやり思っていた。話を聞いてもらいたかった。一度だけ、死にたいと母親に打ち明けたら、じゃあ死ねば?と言われた。
小学校を卒業して中学に上がり、僕はとくに目立ったきっかけがなくても涙が出るようになった。カバンを持ち上げようと体を前に傾けて下を向いたとき、水が入ったコップを傾けるように涙が出てきた感触をまだ鮮明に思い出せる。両脚は鉛のように重くなり、何を食べても生ゴミの味がした。(とくに不味かったのは茹でたにんじんだった)
それでも僕は「鬱」ではなかった。「鬱」を名乗れるのはあの家で母親ひとりだけだったから。
僕の心を蝕んだ暴力のひとつひとつを正確に描写することは、僕が僕を癒すことにあまり効果がないように思うから、そういうことはあまりしたくない。だけど、時々思い出して適度に(重要!)被害者づらをするくらいは、許されると思いたい。
僕は昔から自分が生きているべきでない理由をたくさん感じていた。それはとくに、経済的な面が大きい。といっても、自分は役立たずの金食い虫だ、みたいなことじゃなく、(それもあるにはあったけど)もう少し陰湿で、逃げ場のない事実が子どもの僕を苦しめていた。その罪の意識は高校を卒業するぐらいまで消えなかったけど、親への経済的な依存が少し減った今は、目を逸らすことができている。たぶん、多少は。
未来に希望がないから、今日も生きるのが苦しい。
でも、自分のためにならないような努力はやめたほうがいいし、傷つけられても自分のせいにしちゃう癖はカッコ悪いからヤメ。
自分の価値もわからないようなコドモのままじゃいられないし、心の穴を埋める何か失うことを恐れないって言いたいし、自分のことを癒せるのは自分だけだって、言いたい!言いたい!
きっと大丈夫