クジラが先か蛇口が先か 186【タオル】
186.タオル
干す前にバサバサバサと振るタオルいつか私も飛べる気がする/蛇口ひろこ
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一週間干したまんまのバスタオルありがとずっと迎えてくれて/藤田美香
※ひろこさん、次は「迎」でお願いします。
■ひろこさんの歌
丁寧だ…「ばさばさばさ」って3回も…なんとなく3回目の「ばさ」は、文字数合わせというよりは、やけくそ的な意味合いも含まれているのではないかと、これは邪推かなあ。バスタオルならまだしも、普通のタオルなら3回もバサバサする必要がないと思ったのよ。
そして、そのタオルを干すときに「自分が飛べる」という発想はなかなか…病んでる。(個人の見解です)
だって、タオルは飛ばないの前提で干すよね。きっとね。飛ばないような工夫も施すよね。洗濯ばさみとか部屋干しするとか。
だから、上句と下句は続いているようで、実はまったく別の話なんじゃないかという印象。飛ばない前提のタオルを干しながら、飛べる気がする私、なんか希望が見えるんだよね。私、この歌好きだなあ。
■ひらがな表記
前回の「わたし」という表記がいいと言ってくれてありがとう!!
ある方にお会いした時に、カタカナやひらがなにするのは感覚、と私が言ったときのその方の言葉。「そうかもしれないけど、人からどうしてここはカタカナ(ひらがな)にしたんですかと聞かれたときに、説明はできるほうがいいと思いますけどね」って。あれからずっと、短歌を書くときに頭の中で氏がささやく笑
今回のは「強調」です。「床」に「散」らかる「髪の毛」が「死骸」ということが言いたかったので、「私」を強調する必要がない。なので「わたし」
やったー!説明できたー!
■改作案について
>どんどん出て来ればいいってものでもないと思う。ふつうはある程度推敲された状態で浮かぶんだよね、たぶん。
と、ひろこさんは言ったけど、私はどんどん出てくればいいと思っています。「ある程度推敲された状態」というのは、なんとなくそれなりにいい感じに作れることだと思うので、それが良いのかどうかは別問題だと私は思う。
んー、上級者?の方(或いはテクニカルな方)だと、即詠でも、ある程度万人にウケそうな短歌が書ける気がする。
「なんとなくそれなりにいい感じ」歌が評価されているとき、すごく違和感を感じる。感情がうわすべりに感じるときね。31文字しかないからさ、私は「感情」を大事にしたい。31文字で得られる情報は前提として、短歌ってきっと「感情」が籠ってると思ってるから。
あ、そう思ってるから私、深読みしちゃうのか。だから、歌集読むの、めちゃくちゃしんどいのか。そういうのも、良くないねー。
ごめん話が逸れた。自分の頭の中を整理したかったのをそのまま書いてしまいました。
■私信
八女茶、待ってて。毎日まっすぐ家に帰ってきてしまう私を許して…
【181.線→182.イヤホン→183.片→184.集→185.バサバサ→186.タオル→187.迎】