弱さと生きる【エッセイ】
「自分の弱さ」から目を背けている人間に成長はない。
僕は、とにかく心配性なのだ。
自分の発言や行動が、仕事の大きなミスに繋がるのではないかと、日々不安に駆られている。そのストレスから、体に不調が出ることも少なくない。
夜になっても頭から仕事が抜けず、夢の中でも働いている始末だ。
この「弱さ」を改善することは難しい。なんせ30年間、自分が積み上げてきた思考や習慣の産物だからだ。
だから「自分の弱さ」は改善するものではなく、受け入れるものなのだと思っている。
「どうやって共に生きて行くか」が、重要なのだ。
実際に、この「弱さ」のおかげで、仕事での平凡なミスは極めて少ない。
慎重さが評価され、責任感がある人間だと思われている。
「弱さ」は「強さ」でもあるのだ。
だが、この「自分の弱さ」に目を向けず、絶えず他人のせいにして生きている人間が驚くほど多い。その姿を見るたびに、苛立ちを覚える。
しょうもないちっぽけなプライドが邪魔をし、自分と向き合う勇気が持てない。そんな人間に成長などないのだ。
「なぜ自分と向き合わないのだ」と問い詰めたくなる。
これも僕の弱さなのだろうか。
他人に対して、自分と同じように考えることを求めてしまう傲慢さ。
「成長など求めていない」と言われてしまえば、それまでである。
それも一つの選択だ。それならばその生き方を尊重するしかないが、僕は違う。
「成長」のない人生など退屈でつまらないものだと思ってしまう。
自分の弱さを認識し、受け入れること。
それは簡単なことではないが、それこそが本当の意味での強さだと思う。
自分を知り、その弱さを抱えながらも前に進む。その道のりの中で見つけた弱さの裏側には、必ず強さが隠れているのだ。
僕は「強い人間」で在り続けたい。