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宇宙の仕組みについて考えてみました。

 宇宙の仕組みについて、今まであれやこれや妄想してきたことを整理し、文章化してみました。宇宙のことだけでなく、時間や粒子、人生のことについても触れています。
 本文章で述べられていることが絶対に正しいとは微塵も考えておりませんが、この文章を通してどなたかの何か創作物の世界観設定の参考となったりなどしたとしたら、筆者としても文章をねりねり書いたかいがあると言うものです。

(↓目次が表示されます。)

はじめに

  • この文章の内容は筆者の妄想であり、論理的でない箇所が多々存在します。数式も一切登場しません。

  • 文章中で使用されている括弧について、例えば、
    「甲[]は...」
    のような大括弧付きの表記は、直前の語句について、「甲は...」と言う箇所を「乙は...」と読んでも意味が通ることを表しています。また、
    「甲乙つけがたいどちらが良いか決められない...」
    のような六角括弧は、直前の語句の意味を簡単に説明したり、註釈をする役割を担っています。

  • ほぼすべての漢字に振り仮名[ルビ]を振りました。ようおん〔小さなや、ゆ、よ、わ、あ、い、う、え、おを含む音〕やそくおん〔小さなつを含む音〕などの捨て仮名は、本文においては小さく、振り仮名においては大きく書いてあります。また、振り仮名において漢字の字音の正否(例えば慣用音など)は考慮していません。

  • 本文章を(脳内で、あるいは実際に)音読する際は、振り仮名とは違う音で読んでくださってもかまいません。好きな音で読んでください。
    例:読者の皆様が文章中、「がくこう」とある箇所を、「がっこう」と読んでも、筆者は意に介しません。

  • 文章中、「在者(ざいしゃ)」と言う筆者の自作一人称を用いています。

  • 本文章は筆者自身の脳を用いて思考、作成したものです。
    (人工智能が発達し、代筆できてしまう時代がもうすぐ来るため、このような断りを入れてみました。)

それでは以下より本文です。

 


「時間」と言う虚構

 あるひらめきました。
 かんなんて、ほんとうそんざいしないのではないか。

 ...。
 「かん」とうものがじんるいからしんこうされているゆうひとつには、時計とけいそんざいげられるでしょう。
 一人ひとりでいるとき時計とけいびようしんおとこえます。
 チク、タク、チク、タク。
 びようしんおといていると、あたかも「とき」とながれがじつざいしているかのようにさくかくしてしまいます。ほんには「こくいつこく」とひようげんもあります。

 では、時計とけいかったり、おくがいにいるなどした場合ばあい、それでもひとは「かん」なるものをかんぜられるのでしょうか。

 つぎかんがえられるのが、たいよう、おてんとうさまによる「かん」のにんしきでしょう。たいようあさのぼってゆうがたしずみます。これで時計とけいほどではありませんが、いまだいたいこくがわかります。むかし時計どけいうものもありました。

 それでは、もし時計とけいたいようそんざいしなかったとしたら、じんるいは「かん」とがいねんおもいつかなかったのでしょうか。

 いやいや、まだあります。じゆうりよくそんざいです。
 「かんけい」とともにものちるさまをる、これもにんげんが「かん」とうものをにんしきするゆうになりましょう。こちらもやはり、すな時計どけいうものがあります。

読者「でもたいようかったら、まっくらでものちるようなんてえないし、「かん」とがいねんじんるいおもいつかなかったのでは?」
 たしかに...。
 しかし、しんかいせいぶつかい姿すがたからもそうぞうできるように、つねくらくうかんんでいるせいぶつおおきくなったりします。もしじようたいようかったとしても、じんるいちようりよくのうけつてきはつたつさせたり、だまおおきくするなどして、しぶとくそんざいつづけ、「かん」とがいねんをやはりしんこうすることでしょう。

読者「(「かん」をかんじさせるようは)もういでしょ。」
 いやまだだ、もうすこかんがえます。
 ...。

 !
 まださんぶつしつがありました。

 さてこのさんですが、さんはヒトをはじめ、どうぶつせいぞんしていくうえかせないぶつしつであります。くわしいせつめいはここではしませんが、きゆうにおいてさんぶつしつもちいることで、どうぶつこうりつよくエネルギーをかくとくできるようになりました。しかしこのさんじつはヒトにとって「もろつるぎ」であり、さんせつしゆすればするほど、ろうしんこうしてしまうとやくかいもんだいそんざいします。

読者「さんろうってかんけいあるの?」
 きんぞくさんつづけると、(ながかんをかけて)次第しだいびていくのはどくしやみなさまもごぞんじだとおもいます。これとどうように、どうぶつさんつづけることでDNAにさんがくっついてしまい、次第しだいじんたいも「びる」、つまりろうしんこうしていくことになるのです(ただしろうみはまだかんぜんにはかいめいされていない)。
 このろううものは、すなわちとしかさねることといつぱんかいされていますから、さんによるじんたいの「さん」も、じんるいが「かん」とがいねんしんこうしているよういんになりると、ざいしや〔筆者の自作一人称〕はかんがえるわけです。

 とりあえずまとめますと、じんるいが「かん」とうものをしんこうしているのは、ようそんざいするからであるとざいしやおもいます。

時計とけい
たいよう
じゆうりよく
さん
(これらがいにもまだありそうです。)

 ではこれらのよんようそんざいしないかいとは、どのようなものになるのでしょうか。どくしやみなさまも、このよんようがないかいそうぞうしてみてください。

 すると、(そのようなかいでは)「かん」ときよこうせいりつしなくなるかもしれませんが、それぜんに、じんるいそのものがそんざいるかどうかもあやういことがわかります。とくさんいのはぜつぼうてきです。そもそもじんるいは、さんがあるくうかんでよくきられるようにできていますからね。じんるいだけでなく、どうようさんがないとこまってしまうどうしよくぶつきゆうじようにはたくさんいます。やはりゆうらいじんるいと「かん」ときよこうとのかんけいづよいものとえましょう。ひとそんざいしてはじめて、「かん」と言うがいねんしようじるのです。

 いつぽうで、もしこれらしよようそんざいしなくてもきていけるようになれたら、それはもうえいえんいのちに入れたのもどうぜんであるとおもいませんか。
 ちゆうくうかんでクラゲのようにふわふわしながらえいえんきていけるそんざいに、どくしやみなさまはなってみたいですか。もしかしたら、ぎんけいへんざいしているあんこくぶつしつ(ダークマター)なるものは、このようなそんざいなのかもしれませんね。

 

宇宙の仕組み

 それではちゆうみについて、ざいしやちやくそう[もうそう]をはなします。

 

粒子連環仮説

 まず、なかぶつたいはみな、つぶ、すなわちげんからっています。じんたいも、ほんも、にゃんこもわんこも、コンクリートも、じゆもくも、みなげんしゆうごうたいです。
 そのげんげんかくでんとからっています。
 そのげんかくでんは、さらにりゆうからっています。
 りゆうなにからこうせいされているかはほんぶんしよういているてんではかくていしていませんが、おそらくつぶからこうせいされていることでしょう。あるいはもしかしたらりゆうからこれじようぶんかつできないかもしれません。
 このように、ぶつしつこまかくてみると「つぶつぶからできており、そのつぶもまたつぶからできている」、とうことがえそうです。

 それでははんたいに、つぶしゆうごうたいであるぶつしつなにこうせいしているのでしょうか。
 まず、ヒトも、ほんも、にゃんこもわんこも、コンクリートも、じゆもくもみなきゆうじようそんざいします。みなようがんこうぶつとともにこのきゆうかたちづくっているのです。このきゆうはまた、何故なぜきゆうたいであります。
 きゆうたいようけいいちです。たいようちゆうしんこうてんしています。
 たいようけいぎんけいぞくしています。
 たいようけいぎんけいえんばんのようなかたちをしていますが、ちゆうくうかんにおいてはこんてんむかしのプラネタリウム〕のわっか(=てん)や、しやりんじくとわっかのこうぞうかんけい(=こうてん)のように、なにかをちゆうしんにしてぐるぐるかいてんしていることでしょう。たいようぎんは、ちゆうくうかんにずっとせいしているわけではなく、ぐるぐるとうごいているのですよ。
 そしてどうように、ぎんけいぎんぐんを、ぎんぐんちようぎんだんを、ちようぎんだんちようぎんだんこんせいたい〔「ちようぎんだんComplex」や「Supercluster Complex」の、ざいしやによるやく〕を、それぞれこうせいしています。
 ちようぎんだんこんせいたいたいりようあつめたもの、これがちゆうです。ひろくておおきいですね。

 ちゆうぜんようはまだはんめいしていませんが、ぜんやらしんばんしようかみやらなんやらはえんきゆうたいきなようなので、ざいしやなどはちゆうきゆうたいなのではないかとそうぞうしてしまいます。
 ここでちゆうもくしていただきたいのが、おおきなものからちいさなものにさかのぼること(ぶつたいつぶ)と、ちいさなものからおおきなものにさかのぼること(きゆうちゆう)、どちらもているとおもいませんか。
 ここでごういんにも、つぎせつ[もうそう]をていしようしたいとおもいます。それは、

りゆうあるいはりゆうこうせいするさいしようりゆうは、ちゆうである。」

うことです。
 どうしてこのようなことがえるのか。

 どくしやみなさまなにものそうぞうしてみてください。のひらにせられるものでもなんでもいです。そのものを、ドラえもんのひみつどう、ビックライトでおおきくしつづけてみましょう。

読者「おおきくしたよ。」
 まだです。もっとしようしやつづけてみてください。
読者「でんちゆうよりおおきくなったよ。」
  「スカイツリーよりおおきくなったよ。」
  「さんよりもおおきくなったよ。まだ?」
 まだです。もうすこしようしやつづけてください。
読者「あとどのくらいおおきくするの?」
 ずっと、ずっとおおきくしつづけてください。きゆうよりおおきくてもまだちいさいくらいです。
読者「たいようけいよりもおおきくなったよ!」
 もっとです。ざいしやそうていしているのは、もっともっとおおきなものです。
読者「 …。」
 ふふふ。

 さて、このようにどんなものでも、おおきすぎたり、おおきくなりすぎたりすると、たしかにそんざいするのにもかかわらず、にんげんはそのそんざいにんしきできなくなってしまうのです。
 この「にんしきできなくなる」とうことは、ちいさなぶつしつについてもえませんか。すなわち、たしかにそんざいするのにもかかわらず、そのそんざいちいさすぎてにんしきできない、とうことです。

 したがいまして、「きよくたんおおきなものも、きよくたんちいさなものも、どちらもじんるいにとってはべつできないそんざいおなそんざい」とえましょう。
 そううわけですから、たとえば「りゆうあるいはりゆうこうせいするさいしようりゆうは、ちゆうである。」、とかんがえるのも、ただしくはなくても、ごういんではありますが、すじとおっているとおもいませんか。
読者「そうかなぁ…。」

 した1は、この「りゆうあるいはりゆうこうせいするさいしようりゆうは、ちゆうである。」とかんがえをいちまいにしてみたものです。
 ちゆうまるは、かくようかんりやくしてあらわしたものです。また、ぜんたいとしては、よう(=ちいさなもの)がじようよう(=おおきなもの)にぞくしていることをしめしています。すなわち、「りゆうげんかくでんこうせいし、げんかくでんげんこうせいし、げん様々さまざまぶつたいこうせいし、ぶつたいきゆうこうせいし、…」とうことをしています。
 また、「ちゆう」と「さいしようつぶ」のようにおいてはそのようなこうぞうはなく、どういつであることをしめしています。(もしかしたら「ちゆう」は「さいしようつぶ」をこうせいしていたりして…。)

図1 粒子連環仮説

 
 このより、ざいしやはこのせつ[もうそう]をりゆうれんかんせつけ、ていしようしたいとおもいます。

 どくしやみなさまも、ほんも、にゃんこもわんこも、コンクリートも、じゆもくも、みなぶんしんちゆうゆうし、たくさんのぶんしんちゆうこうせいされているとうわけです。


粒子膨縮仮説

 ここまで、ちゆうとはとてもちいさなつぶであるとせつ[もうそう]をしようかいしてきました。
 いつぽうでまたべつかんてんでは、ちゆうについて、「ちゆうぼうちようしている」とわれています。こちらについてもかんがえてみました。

 けつろんからべますと、ざいしやちゆうぼうちようしながらしゆうしゆくしている」、とのもうそうおもいつきました。

読者「ぼうちようしながらしゆうしゆく?ありえるの?」
 さぁ...。

 ちゆうは、ビックバンとばれるばくはつによりたんじよう、あるいははじまりました。りゆうばくはつてんからとおざかるようにすすんでいきます。ばくはつ[ぼうちよう]のていりゆうどうがくっついたりはなれたりをかえし、かえし、そうしてほしができたり、えたりしていきました。ちゆうげんざいぼうちようしているそうです。
 さて、ぼうちようぼうちようかさねたけつりゆうけつきよくどうなるのでしょうか。

読者甲「えいきゆうに(ばくはつてんから)とおざかっていくんじゃのではないの?」
読者乙「じゆうぶんかくさんしたあとは(ばくはつてんへと)かいしていく、ってはなしもあるよ。」
 ざいしやもそういたことがあります。ですが、もしりゆうどうとおざかりながらちかづいていたらおもしろいとおもいませんか。
 りゆうたちはビックバンによりおたがいにきよつづけながら、ばくはつてんからとおざかるようにばくしん〔まっしぐらにすすむ〕しているのにもかかわらず、どうに、りゆうすべてがさいしゆうてきにはおないちしよあつまっていく...、とかんじです(2)。

図2 ビックバンにより拡散していく粒子が再集合する様子を漫画風に表した図。菱形はビックバンを、点線矢印は粒子間の距離を、コマ内の直線矢印は粒子の進行方向を、それぞれ示している。右のコマのビックバンと左のコマのビックバンとは、同じ場所で起こったものとみなすことも、違う場所で起こったものとみなすこともできる。


 このせつただしければ、ビックバンのエネルギーげんうのは、すべてのりゆういちしよおなしゆんかんにぶつかったがためにしようじた、とえるのではないでしょうか。
読者「うーん...。」

 それでは、この「ぼうちようしながらしゆうしゆく」とじようたいがいしやてんかみてんると、ちゆうはどうなっているのでしょうか。

 これについて、ふたとおりのせつ[もうそう]をおもいつきました。
 ひとは、「ふくすうちゆうせつ」です。ちゆうひとつではなくふくすうそんざいするとていしたうえで、ちゆうが「ぼうちようしながらしゆうしゆく」するじようたいくつけようとこころみました。じゆんってせつめいします。

 まず3をごらんください。このまるは、ビックバンをこすちよくぜんちゆうあらわしています。

図3 「ビックバンする直前の宇宙」を丸で表す。


 つぎに、そのちゆうふくすうようしたのがした4です。
 あとのせつめいをわかりやすくするために、それぞれのちゆうあいだにまっすぐなてんせんいておきます。ちょうどおかいこさままゆつくってもらうときのようなかんじです。

図4 宇宙を複数用意し、空間に配置する。この図では宇宙を九個用意した。


 このちゆうすべてがどうビックバンをこします(5)。

図5 宇宙全てが同時にビックバンを起こす。図中の菱形はビックバンを表している。また、ビックバンにより拡散する粒子を3 × 4 = 12粒で、粒子の進行方向を矢印で、それぞれ表現した。

 
 すると、さいしゆうてき各々おのおのりゆうあつまり、しんせいちゆう[ビックバンをこすちよくぜんちゆう]が6のようにできます。ちゆうさいしよとずれてしゆうしゆくしてしまうわけです。ヘルマン(Ludimar Hermann)こうさくみたいですね。

図6 図4とずれた位置に、新生の宇宙ができる。新生宇宙のうち、点曲線の部分は、図4中の宇宙以外の宇宙に由来する粒により構成されている部分を含むことを表す。


 このあとさいビックバンをこしてちゆう4のけいせいされる、またビックバンがこる...、とせつ[もうそう]です。これはなのでげんてきひようげんとなっていますが、くうかんですからほんとうりつたいてきひろがりがあります。

 この「ふくすうちゆうせつ」においては、なんだかそれぞれのちゆうが「でん」をこうかんっているみたいですね。ちゆうようせいはこのようにしてたんされているのでしょうか。

 
 せつ[もうそう]のふたです。
 もうひとつは、ちゆうふくすうではなくたんいつそんざいしているとした「たんいつちゆうせつ」です。ぜんじゆつの「ふくすうちゆうせつ」では、ちゆうふくすうようすることでちゆうが「ぼうちようしながらしゆうしゆく」するじようたいせつめいしました。この「たんいつちゆうせつ」では、ちゆうふくすうそんざいしないとぜんていのもと、どのようにしてったりゆう(=ふくらんだちゆうくうかん)がもとのばくはつてんもどるのか(=ちぢんだちゆうくうかん)についてをかんがえたいとおもいます。

在者「んでもって、さっきりふれんくわんせつのところで「ちうはたくさんある」ってってゐたぢゃん。」
 たしかに…。
 しかしせっかくかんがえたので、いちおうしるしておきます。ちゆうひとつしかそんざいしないのうせいもあるでしょう。

 はなしもどします。
 「たんいつちゆうせつ」における「ぼうちようしながらしゆうしゆく」するじようたいについて、そのていさんとおりほどもうそうしてみましたのでしようかいします。

 とうじようするさんまいにおいて、ひしがたくうかんちゆうにおけるビックバンをあらわしています。また、さんまいはそれぞれ(ビックバンによりした)りゆうひとつぶについてしたものであることにちゆうしてください。じつさいにはりゆうひとつぶだけそんざいしているのではなく、もっとたくさんりゆうがあるとうわけです。

 ひとは、「かくさんしていくりゆうが、ばくはつてんからのいんりよく、あるいはくうかんちゆうそんざいするあつりよくによって、ばくはつてんもどっていく」せつ(7)です。

図7 往来説。1、2は粒の移動順序を示している。


 ふたは、「くうかんとはなにきゆうたいじようのものがそんざいしているじようたいである」、「くうかんちゆうをまっすぐすすむとうことは、きゆうたいひようめんをなぞりくことである」としたうえで、「ばくはつてんからしたりゆうは、えんえがいてまたばくはつてんもどっていく」せつ(8)。

図8 とんぼ返り説。この図では、「球体状の何か」は一つしか描いていない。


 み(つ)は、「くうかんちゆうとびらいたどこでもドアのようなものがいくつもそんざいし、それをつぶつうすることでワープしてふたたしゆうごうできるようになっている」せつ(9)です。

図9 どこでもドア説。1、2は粒の通過順序を示している。


 とうぜんじようがいみでりゆうさいしゆうごうし、けつちゆうが「ぼうちようしながらしゆうしゆく」していることもかんがえられます。
 このせつにおいては、あくまでひとつのちゆうなんしゆうしゆくぼうちようとをかえしているとかんがえです。インターネットで調しらべたところ、このせつ[もうそう]は「サイクリックちゆうろん」とていることがわかりましたが、いまべている「たんいつちゆうせつ」とは、りゆうしゆうしゆくじよしゆうしゆくていなどがことなります。

 じようより、とりあえずなんとかちゆうが「ぼうちようしながらしゆうしゆく」していることをこじつけることができました。

 りゆうれんかんせつべたように、さいしようつぶとはちゆうちゆうとはさいしようつぶであるとすると、(これは「ふくすうちゆうせつ」、「たんいつちゆうせつ」、どちらのせつ[もうそう]でもえることですが、)ちゆうふくらんだりちぢんだりするように、さいしようつぶにもふくらんだじようたいちぢんだじようたいとがそんざいしているのではないでしょうか。
 ここでこれをざいしやふたせつ[もうそう]、りゆうぼうしゆくせつとしてていしようしたいとおもいます。りゆうつねいつていおおきさをしているのではなく、ちいさくなったりおおきくなったりしながらそんざいしている、とせつです。もっとも、つぶはとてもちいさいので、このようなことはかくにんのしようがないわけですが...。


読者「そのりゆうれんかんせつやら、りゆうぼうしゆくせつとやらってぇと言(い)うのはただしいの?」
 さぁ...。
 しかし、それがただしいか、またじつげんのうなのかはさておき、色々いろいろかんがえるのはたのしいですよ。むかしきゆうへいめんせつてんどうせつなども、いまとなってはきよこうですが、むかしひとそうぞうりよく[そうぞうりよく]のほどうかがることができて、げんだいかんてんからしてもおもしろいとおもいませんか。

読者「じゃあではけつきよくりゆうやらつぶやらってぇと言(い)うのはなんなの?」
 それもわかりません。しかし、あんがいりゆううのは「くうかん」であったり、「くうかんむすていのものなのかもしれません。それらのものをヒトののうが「つぶ」とかたちにんしきしているだけで、ほんとうはもっとべつ姿すがたとしてそんざいしている、とのうせいもあります。
 いつぽうで、そののうも「つぶ」からこうせいされているわけです。これは、「つぶ」のかた[こうせいほうしき]がことなれば、「つぶ」にたいするにんしきことなるものになるとうことなのではないでしょうか。おもしろいですね。

 さて、ここまで色々いろいろべてきましたが、ちゆうぜんようつぶしようたいなどは、やはりヒトのわくみをえでもしないとわからないとうこともあるとおもいます。
読者「とうと?」
 たとえば、ヒトときんえんしゆどうぶつにチンパンジーがげられます。このチンパンジーはバナナをべておいしいとおもったり、まれていたいとおもったりはするでしょうけれど、アミノさんであるとか、しんけいであるとか、せいらんであるとか、そうったがいねんはおそらくかいできないことでしょう。どうように、ヒトをえたそんざいわば「ちようじん」のようなそんざいでもないとわからないこととうのが、なかちゆうにはやはりぜんとしてそんざいしているのだとおもいます。なか、わかることよりもわからないことのほうおおいです。
 らいじんるいしんのうもちいて、たしてどこまでものをかいめいすることができるのでしょうか。

 ...。
 じようりゆうれんかんせつりゆうぼうしゆくせつしようかいでした。
 もしかしたら、このせつはすでにどなたかがていしようなさっているかもしれません。そもそもこのもうそうしようかいしようとかんがえたのも、ひとつには「ろう」をんでいてたようなじゆつがあることにがつき、それで(ろ(う)する)しんがついたからなのです。

 

時間旅行は可能か

 かんりよこうのうなのでしょうか。ちょっともうそうしてみました。

ざいしやおもいついたかんりよこうのやりかた
1. きたいてんめる。
2. そのてんりゆうはいれつ調しらべる。
3. りゆうをそのとおりにはいする。
4. いてかんりよこうたいけんする。

 こんなかんじでしょうか。
 まず1. ではきたいらいにちきゆうたんじようからさんするのか、ちゆうたんじようからさんするのか、はたまたもっとさかのぼってさんするひつようがあるのかなどをかんがえないといけません。まえにもべましたが、そもそも「かん」とがいねんちゆうつうようするのかももんです。
 2. では、そのきたいらいてん[かい]をこうせいするりゆうはいれつはい調しらべるひつようがあります。りゆうってもげんはいれつなどではなく、りゆうなど、もっとしようてんにおけるりゆうはいれつです。そのてんにおいてぜんじんるいはそれぞれどこにいてなにをしていたのか(そもそもじんるいそんざいした[している]のか)、そのぜんじんるいはそのときなにべていてなにしようかんないしようされていたのか、ほかどうぶつしゆしよくぶつしゆもどのようであったのか、たいじようたいはどのようであったか、ほうしやせんぶんはどうであったか、などなど様々さまざまことがらせいみつこうはんわたって調しらべないといけません。どうやって調しらべるのでしょうか。
 3. では、りゆうたいりようようしたうえで、2. で調しらべたはいれつとおりにりゆうひとひとつレゴブロックのようにんで[んで]いきます。む「」をどうやってようするか、なにもちいてりゆうむのかがもんだいです。
 1. 、2. 、3. 、がたつせいできれば、れてかんりよこうが(たいけん)できるとおもいます。

 さて、もうひとかんりよこうのやりかたかんがえてみました。

かんりよこうのやりかた その
1. きたいてんめる。
2. そのてんりゆうはいれつ調しらべる。
3. そのりゆうはいれついつするわりあいたかほしさがす。
4. そのほしにすぐさまどうしててきかんりよこうたいけんする。

 1. 、2. 、はさきほどしようかいしたかんりよこうのやりかたおなじです。
 3. では、そのきたいてんりゆうはいれつ調しらべたうえで、そのはいれつどういつはいれつゆうするほし、あるいはそのはいれつちかほしさがす、とうのがひとほうほうちがてんです。ちゆうにはたくさんのほしがありますから、そのひとつやふたつくらい、らいのあるてんきゆうりゆうはいれついつするほしがあってもではないとおもいます。しようらいぜんちゆうほしがどこにあってどのようなとくせいゆうするほしであるかなどをしゆんあくできる「ちゆう」のようなものがはつめいされるかもしれませんね。
 あとは、そのほしいつしゆんくことができれば、てきかんりよこうたのしめることでしょう。ほしへのどうかんがかかってしまうと、とうちやくしたときもくてきてんとはことなるりゆうはいれつまれたかいることになってしまうので、できるだけはやどうするひつようがあります。
 しかしさらにじゆつはつたつすれば、たとえば「ナントカせいは、あと○にちていてんりゆうはいれつちかはいれつになる」とうようなそくてられ、もうすこゆうのあるかんりよこうのうになるかもしまれせん。

 
 じようじゆつしたふたつのほうほうはどちらも、「そのときかいおなりゆうはいれつめば、てきかんりよこうができる」とうことがぜんていとなっています。

読者甲「そもそもおなりゆうはいれつみさえすれば、それでもくてきてん[かい]をさいげんできたことになるの?」
読者乙「ヒトがにくかいになったりしないの?ポール・ワイス(Paul Alfred Weiss)のこうじつけんみたいな。」
 ざいしやもそうかんがえましたが、ちゃんと「こうぞう」をんでいるので、そのてんだいじようであるとおもいます(ほん本(ほん)とぉ当(とう)?)。きちんと「こうぞう」をめていれば、しきう「のう」もちゃんとうんようされることでしょう(こうじゆつ)。しかし、りゆうんだあとはどうなるのか、そのかんけいじようたいへんかんしてはよくわかりません。どうなるのでしょう。

 ともかく、らいではかんりよこうわくせいりよこうかんたんにできるようになっているかもしれませんね。
 え?「かんりよこうわくせいりよこうなんかであちこちうごきまわるよりも、たくいちにちぢゆうゲームをしたり、あたまそうをかぶせてのうみそにかいらくでんりゆうながしていたほうたのしい」?そうですか...。

 

人生とは

 じんせいとは、きゆういちたいざいすること」であるとざいしやおもっています。

 きゆうでのたいざいえたら、たとえばヒトならヒトとにくたいからだつしたのちには、ふたたべつのどこかのほしいちせいぶつとしてごすことになるのか、またおなきゆうなにかのせいぶつ(ヒトやしよくぶつふくむ)としてたいざいすることになるのか、はたまためいかいてんごくごくらくなんかのしよでのんびりらすようになるかなどする、とかんがえです。色々いろいろそうぞうできますが、けつきよくんでしまったあと、すなわちたいざいかんしゆうりようどうなるのかはわかりません。
 (こうせい人々ひとびとへ。すくなくともひつしやほんぶんしよういているだいではちゆうりよこうせいかんどういつぱんてきではないため、「きゆういちたいざいすること」とげんていてきひょうげんもちいています。)

 さてさて、じようじんせいかんにおいて、にくたい[つぶしゆうごうたい]をだつするものはいつたいなんなのでしょうか。
読者甲「しきせいしんたましいとか?」
読者乙「うーん...。」
 それでは、それら「しき」、「せいしん」、「たましい」とはけつきよくのところなんなのでしょうか。

 ...。
 なんなのでしょうかねぇ。わかりません。
 もしかしたらこれらのようそうは、おこのきのうえおどかつおぶしのようなものなのかもしれません。あるいは、Ameca(英国、Engineered Arts)のような、ひようじようゆたかせいこうつくられただいどう〔「robotロボット」の、ざいしやによるやく〕でもそうです。
 すなわちひとは、「しき」とうところのものをそなえたぶつたいたいして「きているようにえているだけ」、「せいぶつとしてそんざいしているようにさくかくしているだけ」であるとうことです。ざいしやはこのようにかんがえました。

(そのAmeca。わるさをかんじましたら、すぐにちようをやめてください。ぞうだんかいですでにわるいですが。)


 ここでそのしきとやらのしようたいについて、養老ようろう孟司たけしちよゆいのうろん」をいにしましょう。
 養老ようろうていしようする「ゆいのうろん」においては、しきこころうのはのうの「のう」であって、へんとくべつするものでもない、といています。べつぞうれいせば、けつえきじゆんかんけいについては、しんぞうけつかんは「こうぞう」、けつえきじゆんかんは「のう」とみることができる、といています。
 にもかかわらずじんるい(とく西せいようじん)は何故なぜか、のうは「こうぞう」、こころは「のう」となおとらえられず、こころとくべつするけいこうがあるようです。

 ...。
 ともかく、この「じんせいとはきゆういちたいざいすること」とかんがえを、ざいしや一人ひとりで「たいざいそう」とか、「たいざいせつ」などとんでいます。
 このたいざいそうくないところは、(いまっているが)「どうせらいがある」、「らいからほんす」とんで、げん[うつしよ]をおろそかにしてしんけんきなくなってしまうきらいがあるところです。どのでも、どのしよでも、みなていねいに、ちゃんとよくたいざいしたいものです。

読者「では、子供こどもつくる、そんのこすとうのはどううことになるのか。」
 子供こどもつくる、そんのこすとうのは、すなわちぶんがいだれかのために、きゆうでのたいざいさきようしてあげること」ふうとらえられるとおもいます。子供こどもつくひとうのは、おそらくきゆうでのたいざいおよびげんざいわたってじようじゆうじつしており、このこうふくだれかにもけてあげたい、そうふうかんがえているひとでしょう。すてきです。

 ほかきゆうたいざいさきようするひとなかには、

  • ぶんきゆうたいざいかんないではえない、かんすいできないことがらたいして、子供こどもつくることでかいけつけいぞくこころみたひとたとえば、のうけいしようよういんとして。たとえば、なにかのあとまつ[しよ]よういんとして。

  • しゆう人々ひとびとたいざいさきようするようきようようされたひと

  • べつきゆうでのたいざいじゆうじつしているわけでもないのにたいざいさきを(わけあって、あるいはほんながら)ようしてしまったひと

  • とくなにかんがえずにたいざいさきようしてしまったひと

ったかたなどもいるかもしれません。

 なか色々いろいろきようぐうひとがいます。げんだいいたりては、たくさんのあかにんきようぐうを、たんかんなんなくることができるだいとなりました。ふふふ(やめておけばいのに…)。

 
 じんせいじゆうじつさせるとうことは、このきゆうでのたいざいじゆうじつさせるとうことです。べつおおきなことをひつようはありません。

 どくしやみなさまの、きゆうでのたいざいたのしいものでありますように。



 じようで、このぶんしようはおしまいです。
 えつらんありがとうございました。


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