宇宙の仕組みについて考えてみました。
宇宙の仕組みについて、今まであれやこれや妄想してきたことを整理し、文章化してみました。宇宙のことだけでなく、時間や粒子、人生のことについても触れています。
本文章で述べられていることが絶対に正しいとは微塵も考えておりませんが、この文章を通してどなたかの何か創作物の世界観設定の参考となったりなどしたとしたら、筆者としても文章をねりねり書いたかいがあると言うものです。
(↓目次が表示されます。)
はじめに
この文章の内容は筆者の妄想であり、論理的でない箇所が多々存在します。数式も一切登場しません。
文章中で使用されている括弧について、例えば、
「甲[乙]は...」
のような大括弧付きの表記は、直前の語句について、「甲は...」と言う箇所を「乙は...」と読んでも意味が通ることを表しています。また、
「甲乙つけがたい〔どちらが良いか決められない〕...」
のような六角括弧は、直前の語句の意味を簡単に説明したり、註釈をする役割を担っています。ほぼすべての漢字に振り仮名[ルビ]を振りました。拗音〔小さなや、ゆ、よ、わ、あ、い、う、え、おを含む音〕や促音〔小さなつを含む音〕などの捨て仮名は、本文においては小さく、振り仮名においては大きく書いてあります。また、振り仮名において漢字の字音の正否(例えば慣用音など)は考慮していません。
本文章を(脳内で、あるいは実際に)音読する際は、振り仮名とは違う音で読んでくださってもかまいません。好きな音で読んでください。
例:読者の皆様が文章中、「学校」とある箇所を、「がっこう」と読んでも、筆者は意に介しません。文章中、「在者(ざいしゃ)」と言う筆者の自作一人称を用いています。
本文章は筆者自身の脳を用いて思考、作成したものです。
(人工智能が発達し、代筆できてしまう時代がもうすぐ来るため、このような断りを入れてみました。)
それでは以下より本文です。
「時間」と言う虚構
ある日閃きました。
時間なんて、本当は存在しないのではないか。
...。
「時間」と言うものが人類から信仰されている理由の一つには、時計の存在が挙げられるでしょう。
部屋に一人でいる時、時計の秒針の音が聞こえます。
チク、タク、チク、タク。
秒針の音を聞いていると、あたかも「時」と言う流れが実在しているかのように錯覚してしまいます。日本語には「刻一刻」と言う表現もあります。
では、時計が部屋に無かったり、屋外にいるなどした場合、それでも人は「時間」なるものを感ぜられるのでしょうか。
次に考えられるのが、太陽、お天道様による「時間」の認識でしょう。太陽は朝に昇って夕方に沈みます。これで時計ほどではありませんが、今の大体の時刻がわかります。昔は日時計と言うものもありました。
それでは、もし時計も太陽も存在しなかったとしたら、人類は「時間」と言う概念を思いつかなかったのでしょうか。
いやいや、まだあります。重力の存在です。
「時間の経過」とともに物が落ちるさまを見る、これも人間が「時間」と言うものを認識する理由になり得ましょう。こちらもやはり、砂時計と言うものがあります。
読者「でも太陽が無かったら、まっくらで物が落ちる様子なんて見えないし、「時間」と言う概念も人類は思いつかなかったのでは?」
確かに...。
しかし、深海生物の奇怪な姿からも想像できるように、常に暗い空間に棲んでいる生物は目が大きくなったりします。もし地上に太陽が無かったとしても、人類は聴力や頭脳を結果的に発達させたり、目玉を大きくするなどして、しぶとく存在し続け、「時間」と言う概念をやはり信仰することでしょう。
読者「(「時間」を感じさせる要素は)もう無いでしょ。」
いやまだだ、もう少し考えます。
...。
!
まだ酸素と言う物質がありました。
さてこの酸素ですが、酸素はヒトを始め、動物が生存していく上で欠かせない物質であります。詳しい説明はここではしませんが、呼吸において酸素と言う物質を用いることで、動物は効率よくエネルギーを獲得できるようになりました。しかしこの酸素、実はヒトにとって「諸刃の剣」であり、酸素を摂取すればするほど、老化が進行してしまうと言う厄介な問題が存在します。
読者「酸素と老化って関係あるの?」
金属が酸素に触れ続けると、(長い時間をかけて)次第に錆びていくのは読者の皆様もご存じだと思います。これと同様に、動物も酸素を吸い続けることでDNAに酸素がくっついてしまい、次第に人体も「錆びる」、つまり老化が進行していくことになるのです(ただし老化の仕組みはまだ完全には解明されていない)。
この老化と言うものは、すなわち年を重ねることと一般に理解されていますから、酸素による人体の「酸化」も、人類が「時間」と言う概念を信仰している要因になり得ると、在者〔筆者の自作一人称〕は考えるわけです。
とりあえずまとめますと、人類が「時間」と言うものを信仰しているのは、以下の要素が存在するからであると在者は思います。
・時計。
・太陽。
・重力。
・酸素。
(これら以外にもまだありそうです。)
ではこれらの四要素が存在しない世界とは、どのようなものになるのでしょうか。読者の皆様も、この四要素がない世界を想像してみてください。
すると、(そのような世界では)「時間」と言う虚構が成立しなくなるかもしれませんが、それ以前に、人類そのものが存在し得るかどうかも危いことがわかります。特に酸素が無いのは絶望的です。そもそも人類は、酸素がある空間でよく生きられるようにできていますからね。人類だけでなく、同様に酸素がないと困ってしまう動植物が地球上にはたくさんいます。やはり有史以来、人類と「時間」と言う虚構との関係は根強いものと言えましょう。人が存在して初めて、「時間」と言う概念が生じるのです。
一方で、もしこれら諸要素が存在しなくても生きていけるようになれたら、それはもう永遠の命を手に入れたのも同然であると思いませんか。
宇宙空間でクラゲのようにふわふわしながら永遠に生きていける存在に、読者の皆様はなってみたいですか。もしかしたら、銀河系に遍在している暗黒物質(ダークマター)なるものは、このような存在なのかもしれませんね。
宇宙の仕組み
それでは宇宙の仕組みについて、在者の着想[妄想]を話します。
粒子連環仮説
まず、世の中の物体はみな、粒、すなわち原子から成っています。人体も、本も、にゃんこもわんこも、コンクリートも、樹木も、みな原子の集合体です。
その原子は原子核と電子とから成っています。
その原子核や電子は、さらに素粒子から成っています。
素粒子が何から構成されているかは本文章を書いている時点では確定していませんが、おそらく粒から構成されていることでしょう。あるいはもしかしたら素粒子からこれ以上は分割できないかもしれません。
このように、物質を細かく見てみると「粒は粒からできており、その粒もまた粒からできている」、と言うことが言えそうです。
それでは反対に、粒の集合体である物質は何を構成しているのでしょうか。
まず、ヒトも、本も、にゃんこもわんこも、コンクリートも、樹木もみな地球上に存在します。みな熔岩や鉱物とともにこの地球を形作っているのです。この地球はまた、何故か球体であります。
地球は太陽系の一部です。太陽を中心に公転しています。
太陽系は銀河系に属しています。
太陽系も銀河系も円盤のような形をしていますが、宇宙空間においては渾天儀〔昔のプラネタリウム〕のわっか(=自転)や、車輪の軸とわっかの構造関係(=公転)のように、何かを中心にしてぐるぐる回転していることでしょう。太陽や銀河は、宇宙空間にずっと静止しているわけではなく、ぐるぐると動いているのですよ。
そして同様に、銀河系は銀河群を、銀河群は超銀河団を、超銀河団は超銀河団混成体〔「超銀河団Complex」や「Supercluster Complex」の、在者による和訳〕を、それぞれ構成しています。
超銀河団混成体を大量に寄せ集めた物、これが宇宙です。広くて大きいですね。
宇宙の全容はまだ判明していませんが、自然やら森羅万象の神やら何やらは円や球体が好きなようなので、在者などは宇宙も球体なのではないかと想像してしまいます。
ここで注目していただきたいのが、大きな物から小さな物にさかのぼること(物体→粒)と、小さな物から大きな物にさかのぼること(地球→宇宙)、どちらも似ていると思いませんか。
ここで強引にも、次の仮説[妄想]を提唱したいと思います。それは、
「素粒子あるいは素粒子を構成する最小の粒子は、宇宙である。」
と言うことです。
どうしてこのようなことが言えるのか。
読者の皆様、何か物を想像してみてください。手のひらに乗せられる物でも何でも良いです。その物を、ドラえもんのひみつ道具、ビックライトで大きくし続けてみましょう。
読者「大きくしたよ。」
まだです。もっと照射し続けてみてください。
読者「電柱より大きくなったよ。」
「スカイツリーより大きくなったよ。」
「富士山よりも大きくなったよ。まだ?」
まだです。もう少し照射し続けてください。
読者「あとどのくらい大きくするの?」
ずっと、ずっと大きくし続けてください。地球より大きくてもまだ小さいくらいです。
読者「太陽系よりも大きくなったよ!」
もっとです。在者が想定しているのは、もっともっと大きなものです。
読者「 …。」
ふふふ。
さて、このようにどんな物でも、大きすぎたり、大きくなりすぎたりすると、確かに存在するのにも関らず、人間はその存在を認識できなくなってしまうのです。
この「認識できなくなる」と言うことは、小さな物質についても言えませんか。すなわち、確かに存在するのにも関らず、その存在が小さすぎて認識できない、と言うことです。
従いまして、「極端に大きな物も、極端に小さな物も、どちらも人類にとっては区別できない存在、同じ存在」と言えましょう。
そう言うわけですから、例えば「素粒子あるいは素粒子を構成する最小の粒子は、宇宙である。」、と考えるのも、正しくはなくても、強引ではありますが、筋が通っていると思いませんか。
読者「そうかなぁ…。」
下の図1は、この「素粒子あるいは素粒子を構成する最小の粒子は、宇宙である。」と言う考えを一枚の絵にしてみたものです。
図中の丸は、各要素を簡略化して表したものです。また、図全体としては、下位の要素(=小さな物)が上位の要素(=大きな物)に属していることを示しています。すなわち、「素粒子は原子核や電子を構成し、原子核や電子は原子を構成し、原子は様々な物体を構成し、物体は地球を構成し、…」と言うことを図示しています。
また、「宇宙」と「最小の粒」の二要素においてはそのような入れ子な構造はなく、同一であることを示しています。(もしかしたら「宇宙」は「最小の粒」を構成していたりして…。)
この絵より、在者はこの仮説[妄想]を「粒子連環仮説」と名付け、提唱したいと思います。
読者の皆様も、本も、にゃんこもわんこも、コンクリートも、樹木も、みな自分自身の宇宙を有し、たくさんの自分自身の宇宙で構成されていると言うわけです。
粒子膨縮仮説
ここまで、宇宙とはとても小さな粒であると言う仮説[妄想]を紹介してきました。
一方でまた別の観点では、宇宙について、「宇宙は膨脹している」と言われています。こちらについても考えてみました。
結論から述べますと、在者は「宇宙は膨脹しながら収縮している」、との妄想を思いつきました。
読者「膨脹しながら収縮?ありえるの?」
さぁ...。
宇宙は、ビックバンと呼ばれる爆発により誕生、あるいは始まりました。粒子は爆発地点から遠ざかるように進んでいきます。爆発[膨脹]の過程で粒子同士がくっついたり離れたりを繰り返し、繰り返し、そうして星ができたり、消えたりしていきました。宇宙は現在も膨脹しているそうです。
さて、膨脹に膨脹を重ねた結果、粒子は結局どうなるのでしょうか。
読者甲「永久に(爆発地点から)遠ざかっていくんじゃないの?」
読者乙「十分に拡散した後は(爆発地点へと)回帰していく、って言う話もあるよ。」
在者もそう聞いたことがあります。ですが、もし粒子同士が遠ざかりながら近づいていたら、面白いと思いませんか。
粒子たちはビックバンによりお互いに距離を取り続けながら、爆発地点から遠ざかるように驀進〔まっしぐらに進む〕しているのにもかかわらず、同時に、粒子全てが最終的には同じ一か所に集まっていく...、と言う感じです(図2)。
この説が正しければ、ビックバンのエネルギー源と言うのは、全ての粒子が一か所に同じ瞬間にぶつかったがために生じた、と言えるのではないでしょうか。
読者「うーん...。」
それでは、この「膨脹しながら収縮」と言う状態を部外者視点、神の視点で見ると、宇宙はどうなっているのでしょうか。
これについて、二通りの仮説[妄想]を思いつきました。
一つ目は、「複数宇宙仮説」です。宇宙が一つではなく複数存在すると仮定したうえで、宇宙が「膨脹しながら収縮」する状態を理窟付けようと試みました。順を追って説明します。
まず図3をご覧ください。この図の丸は、ビックバンを起こす直前の宇宙を表しています。
次に、その宇宙を複数用意したのが下の図4です。
あとの説明をわかりやすくするために、それぞれの宇宙の間にまっすぐな点線を引いておきます。ちょうどお蚕様に繭を作ってもらう時のような感じです。
この宇宙全てが同時にビックバンを起こします(図5)。
すると、最終的に各々の粒子が集まり、新生宇宙[ビックバンを起こす直前の宇宙]が図6のようにできます。宇宙が最初の位置とずれて収縮してしまうわけです。ヘルマン(Ludimar Hermann)格子錯視みたいですね。
この後、再度ビックバンを起こして宇宙は図4の位置に形成される、またビックバンが起こる...、と言う仮説[妄想]です。これは図なので二次元的な表現となっていますが、空間ですから本当は立体的な広がりがあります。
この「複数宇宙仮説」においては、なんだかそれぞれの宇宙が「遺伝子」を交換し合っているみたいですね。宇宙の多様性はこのようにして担保されているのでしょうか。
仮説[妄想]の二つ目です。
もう一つは、宇宙は複数ではなく単一で存在しているとした「単一宇宙仮説」です。前述の「複数宇宙仮説」では、宇宙を複数用意することで宇宙が「膨脹しながら収縮」する状態を説明しました。この「単一宇宙仮説」では、宇宙は複数存在しないと言う前提のもと、どのようにして散った粒子(=膨らんだ宇宙空間)がもとの爆発地点に戻るのか(=縮んだ宇宙空間)についてを考えたいと思います。
在者「んでも待って、さっき粒子連環假説のところで「宇宙はたくさんある」って言ってゐたぢゃん。」
確かに…。
しかしせっかく考えたので、一応記しておきます。宇宙が一つしか存在しない可能性もあるでしょう。
話を戻します。
「単一宇宙仮説」における「膨脹しながら収縮」する状態について、その過程を三通りほど妄想してみましたので以下に紹介します。
以下に登場する三枚の図において、菱形は空間中におけるビックバンを表しています。また、三枚の図はそれぞれ(ビックバンにより飛び出した)粒子一粒について図示したものであることに注意してください。実際には粒子が一粒だけ存在しているのではなく、もっとたくさん粒子があると言うわけです。
一つ目は、「拡散していく粒子が、爆発地点からの引力、あるいは空間中に存在する圧力によって、爆発地点に戻っていく」説(図7)です。
二つ目は、「空間とは何か球体状のものが存在している状態である」、「空間中をまっすぐ進むと言うことは、球体の表面をなぞり行くことである」としたうえで、「爆発地点から飛び出した粒子は、円を描いてまた爆発地点に戻っていく」説(図8)。
三つ目は、「空間中に扉の開いたどこでもドアのようなものがいくつも存在し、それを粒が通過することでワープして再び集合できるようになっている」説(図9)です。
当然、上記以外の仕組みで粒子が再集合し、結果宇宙が「膨脹しながら収縮」していることも考えられます。
この説においては、あくまで一つの宇宙が何度も収縮と膨脹とを繰り返していると言う考えです。インターネットで調べたところ、この仮説[妄想]は「サイクリック宇宙論」と似ていることがわかりましたが、今述べている「単一宇宙仮説」とは、粒子の収縮機序や収縮過程などが異なります。
以上より、とりあえずなんとか宇宙が「膨脹しながら収縮」していることをこじつけることができました。
粒子連環仮説で述べたように、最小の粒とは宇宙、宇宙とは最小の粒であるとすると、(これは「複数宇宙仮説」、「単一宇宙仮説」、どちらの仮説[妄想]でも言えることですが、)宇宙が膨らんだり縮んだりするように、最小の粒にも膨らんだ状態と縮んだ状態とが存在しているのではないでしょうか。
ここでこれを在者の二つ目の仮説[妄想]、「粒子膨縮仮説」として提唱したいと思います。粒子は常に一定の大きさを保持しているのではなく、小さくなったり大きくなったりしながら存在している、と言う仮説です。もっとも、粒はとても小さいので、このようなことは確認のしようがないわけですが...。
読者「その粒子連環仮説やら、粒子膨縮仮説とやらってぇのは正しいの?」
さぁ...。
しかし、それが正しいか、また実現可能なのかはさておき、色々考えるのは楽しいですよ。昔の地球平面説や天動説なども、今となっては虚構ですが、昔の人の想像力[創造力]の程を窺い知ることができて、現代の観点からしても面白いと思いませんか。
読者「じゃあ、結局粒子やら粒やらってぇのは何なの?」
それもわかりません。しかし、案外粒子と言うのは「空間の折り目」であったり、「空間の結び目」程度のものなのかもしれません。それらのものをヒトの脳が「粒」と言う形で認識しているだけで、本当はもっと別の姿として存在している、と言う可能性もあります。
一方で、その脳も「粒」から構成されているわけです。これは、「粒」の組み方[構成方式]が異なれば、「粒」に対する認識も異なるものになると言うことなのではないでしょうか。面白いですね。
さて、ここまで色々と述べてきましたが、宇宙の全容や粒の正体などは、やはりヒトの枠組みを超えでもしないとわからないと言うこともあると思います。
読者「と言うと?」
例えば、ヒトと近縁種の動物にチンパンジーが挙げられます。このチンパンジーはバナナを食べておいしいと思ったり、嚙まれて痛いと思ったりはするでしょうけれど、アミノ酸であるとか、神経であるとか、精子や卵子であるとか、そう言った概念はおそらく理解できないことでしょう。同様に、ヒトを超えた存在、言わば「超人」のような存在でもないとわからないことと言うのが、世の中や宇宙にはやはり依然として存在しているのだと思います。世の中、わかることよりもわからないことの方が多いです。
未来、人類は自身の脳を用いて、果たしてどこまでものを解明することができるのでしょうか。
...。
以上、粒子連環仮説と粒子膨縮仮説の紹介でした。
もしかしたら、この二説はすでにどなたかが提唱なさっているかもしれません。そもそもこの妄想を紹介しようと考えたのも、一つには「老子」を読んでいて似たような記述があることに気がつき、それで(披露する)自信がついたからなのです。
時間旅行は可能か
時間旅行は可能なのでしょうか。ちょっと妄想してみました。
在者が思いついた時間旅行のやり方
1. 行きたい時点を決める。
2. その時点の粒子の配列を調べる。
3. 粒子をその通りに配置する。
4. 出向いて時間旅行を体験する。
こんな感じでしょうか。
まず1. では行きたい過去や未来の日時を地球誕生時から起算するのか、宇宙誕生時から起算するのか、はたまたもっと遡って起算する必要があるのかなどを考えないといけません。前にも述べましたが、そもそも「時間」と言う概念が宇宙で通用するのかも疑問です。
2. では、その行きたい過去や未来の時点[世界]を構成する粒子の配列や配置を調べる必要があります。粒子と言っても原子配列などではなく、素粒子など、もっと微小な視点における粒子の配列です。その時点において全人類はそれぞれどこにいて何をしていたのか(そもそも人類は存在した[している]のか)、その全人類はその時何を食べていて何が消化管内で消化されていたのか、他の動物種や植物種もどのようであったのか、大気の状態はどのようであったか、放射線の分布はどうであったか、などなど様々な事柄を精密に広範囲に亘って調べないといけません。どうやって調べるのでしょうか。
3. では、粒子を大量に用意したうえで、2. で調べた配列の通りに粒子を一つ一つレゴブロックのように組んで[積んで]いきます。組む「場」をどうやって用意するか、何を用いて粒子を組むのかが問題です。
1. 、2. 、3. 、が達成できれば、晴れて時間旅行が(体験)できると思います。
さて、もう一つ時間旅行のやり方を考えてみました。
時間旅行のやり方 その二
1. 行きたい時点を決める。
2. その時点の粒子の配列を調べる。
3. その粒子の配列と一致する割合が高い星を探す。
4. その星にすぐさま移動して疑似的に時間旅行を体験する。
1. 、2. 、は先程紹介した時間旅行のやり方と同じです。
3. では、その行きたい時点の粒子配列を調べたうえで、その配列と同一の配列を有する星、あるいはその配列に近い星を探す、と言うのが一つ目の方法と違う点です。宇宙にはたくさんの星がありますから、その一つや二つくらい、過去や未来のある時点の地球と粒子配列が一致する星があっても不思議ではないと思います。将来、全宇宙の星がどこにあってどのような特性を有する星であるかなどを瞬時に把握できる「宇宙地図」のようなものが発明されるかもしれませんね。
あとは、その星に一瞬で出向くことができれば、疑似的に時間旅行を楽しめることでしょう。星への移動に時間がかかってしまうと、到着した時に目的の時点とは異なる粒子配列の組まれた世界に居ることになってしまうので、できるだけ速く移動する必要があります。
しかしさらに技術が発達すれば、例えば「ナントカ星は、あと○日後に指定の時点の粒子配列と近い配列になる」と言うような予測が立てられ、もう少し余裕のある時間旅行が可能になるかもしまれせん。
上述した二つの方法はどちらも、「その時の世界と同じ粒子配列を組めば、疑似的に時間旅行ができる」と言うことが前提となっています。
読者甲「そもそも同じ粒子配列を組みさえすれば、それで目的の時点[世界]を再現できたことになるの?」
読者乙「ヒトが肉塊になったりしないの?ポール・ワイス(Paul Alfred Weiss)の思考実験みたいな。」
在者もそう考えましたが、ちゃんと「構造」を組んでいるので、その点は大丈夫であると思います(ほんとぉ?)。きちんと「構造」を組めていれば、意識と言う「機能」もちゃんと運用されることでしょう(後述)。しかし、粒子を組んだ後はどうなるのか、その時間経過、状態変化に関してはよくわかりません。どうなるのでしょう。
ともかく、未来では時間旅行や惑星旅行が簡単にできるようになっているかもしれませんね。
え?「時間旅行や惑星旅行なんかであちこち動きまわるよりも、自宅で一日中ゲームをしたり、頭に装置をかぶせて脳みそに快楽電流を流していた方が楽しい」?そうですか...。
人生とは
人生とは、「地球に一時滞在すること」であると在者は思っています。
地球での滞在を終えたら、例えばヒトならヒトと言う肉体から脱したのちには、再び別のどこかの星の一生物として過ごすことになるのか、また同じ地球で何かの生物(ヒトや植物も含む)として滞在することになるのか、はたまた冥界や天国、極楽なんかの場所でのんびり暮らすようになるかなどする、と言う考えです。色々と想像できますが、結局死んでしまったあと、すなわち滞在期間終了後どうなるのかはわかりません。
(後世の人々へ。少くとも筆者が本文章を書いている時代では宇宙旅行や星間移動は一般的ではないため、「地球に一時滞在すること」と言う限定的な表現を用いています。)
さてさて、上記の人生観において、死後に肉体[粒の集合体]を脱するものは一体何なのでしょうか。
読者甲「意識?精神?魂とか?」
読者乙「うーん...。」
それでは、それら「意識」、「精神」、「魂」とは結局のところ何なのでしょうか。
...。
何なのでしょうかねぇ。わかりません。
もしかしたらこれらの様相は、お好み焼きの上で踊る鰹節のようなものなのかもしれません。あるいは、Ameca(英国、Engineered Arts)のような、表情が豊で精巧に作られた代動機〔「robot」の、在者による和訳〕でもそうです。
すなわち人は、「意識」と言うところのものを具えた物体に対して「生きているように見えているだけ」、「生物として存在しているように錯覚しているだけ」であると言うことです。在者はこのように考えました。
(そのAmeca。気持ち悪さを感じましたら、すぐに視聴をやめてください。見出し画像の段階ですでに気持ち悪いですが。)
ここでその意識とやらの正体について、養老孟司著「唯脳論」を引き合いに出しましょう。
養老氏の提唱する「唯脳論」においては、意識や心と言うのは脳の「機能」であって、変に特別視するものでもない、と説いています。別の臓器を例に出せば、血液循環系については、心臓や血管は「構造」、血液の循環は「機能」とみることができる、と説いています。
にも関らず人類(特に西洋人)は何故か、脳は「構造」、心は「機能」と素直に捉えられず、心を特別視する傾向があるようです。
...。
ともかく、この「人生とは地球に一時滞在すること」と言う考えを、在者は一人で「滞在思想」とか、「滞在説」などと呼んでいます。
この滞在思想の良くないところは、(今は憂き目に遭っているが)「どうせ来世がある」、「来世から本気を出す」と決め込んで、現世[うつしよ]をおろそかにして真剣に生きなくなってしまうきらいがあるところです。どの世でも、どの場所でも、みな叮嚀に、ちゃんとよく滞在したいものです。
読者「では、子供を作る、子孫を残すと言うのはどう言うことになるのか。」
子供を作る、子孫を残すと言うのは、すなわち「自分以外の誰かの為に、地球での滞在先を用意してあげること」と言う風に捉えられると思います。子供を作る人と言うのは、おそらく地球での滞在が過去および現在に亘って非常に充実しており、この幸福を誰かにも分けてあげたい、そう言う風に考えている人でしょう。すてきです。
他に地球に滞在先を用意する人の中には、
自分の地球滞在期間内では手に負えない、完遂できない事柄に対して、子供を作ることで解決、継続を試みた人。例えば、技能の継承要員として。例えば、何かの後始末[処理]要員として。
周囲の人々に滞在先を用意するよう強要された人。
別に地球での滞在が充実しているわけでもないのに滞在先を(訳あって、あるいは不本意ながら)用意してしまった人。
特に何も考えずに滞在先を用意してしまった人。
と言った方などもいるかもしれません。
世の中、色々な境遇の人がいます。現代に至りては、たくさんの赤の他人の境遇を、短時間で難なく知ることができる時代となりました。ふふふ(やめておけば良いのに…)。
人生を充実させると言うことは、この地球での滞在を充実させると言うことです。別に大きなことを為す必要はありません。
読者の皆様の、地球での滞在が楽しいものでありますように。
以上で、この文章はおしまいです。
閲覧ありがとうございました。
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