悲しみや怒りを悪者にしない。揺れてもいい。それはやがて深い愛へと変わっていくのだから…。
悲しみや怒りの感情が
湧き上がってきた時
それを
良くないもの
悪いものとして
抑え込もうとしてしまうこと
みなさんにはありませんか。
こんな風に感じる自分はだめだ
とか
こんな低い波動のままではいけない
とか
そんな風に思って。
つい先日
こんなことがありました。
それは夕食前の食卓でのこと。
主人と息子が
食卓に集まり
さあ食べようという時に
私の不注意を
主人に指摘されて…。
その瞬間
血の気がさあっと引いていくような、
エネルギーが急激に下降していくような、
そんな感覚に襲われました。
気にしない、気にしない。
もう一人の私が
必死に悲しみを鎮めようとしました。
けれど、
その甲斐もなく
私が放つ低い波動が
食卓全体を包んでいきました。
やがてその悲しみは
怒りへと変わり
あんな言い方しなくてもいいのに…
と心の中で
主人を責め始めました。
まだモヤモヤした気持ちが残る中
あの時
どうすれば良かったのだろう…
と考えてみました。
あっ、そうか。
そうだった…。
その答えを思い出した途端に
怒りはすうっと消え
胸いっぱいに
温かいものが広がっていきました。
その答えとは…
そうだよね
分かるよ
そう言って
自分に寄り添ってあげることでした。
悲しみや怒りの感情が
湧き起こった時
それを抑え込んだり
相手を攻撃したりしても
解決にはつながらないのですね。
そうすることで
むしろ
その感情はより大きなものになって。
一方
そうだよね
分かるよ
と受け入れ、
認めてあげると
怒りや悲しみは
氷が解けるように
すうっと無くなっていきます。
それだけでなく
それは大切な気付きをもたらし
愛のエネルギーへと
変わっていきます。
以前の私は
揺れない自分になりたい
そう思っていました。
でも
本当に大切なことは
揺れないことではなくて
悲しみや怒りを感じた時に
それを十分に
味わい尽くすことなのですね。
みなさんが
あの人は愛の人だな
そう感じる人は
たくさんの悲しみや苦しみを
知っている人ではないでしょうか。
悲しみや怒り、苦しみの感情は
味わい尽くすことで愛につながる…
そう考えると
目の前の問題との向き合い方も
変わってくる気がしませんか。
辛い時
苦しい時
そうだよね
分かるよ
と優しく寄り添う。
それは
相手に対しても同様で。
自分に対しても
相手に対しても
まずは寄り添うことから
始めたいものですね。
あの有名な心理学者
河合隼雄氏は言います。
人の心など分かるはずがないと。
それほどまでに
人の心を理解するということは
難しいものなのですね。
ただ、
本当の気持ちを知ることが出来なくても
その時のその人の気持ちに
ただただ寄り添うということは
誰にでも出来ることではないでしょうか。
誰かに受け止めてもらう
寄り添ってもらうことで
もつれた糸がほぐれていくように
凍り付いた心が溶けていくように
自身で答えを見つけていく
そういうことが
起こってくるのではないかと。
アドバイスをしたり
手を貸したりということは
その場しのぎの解決法にしかならなくて。
その人自身が
自分と向き合う
ということで
初めて道が開けてくるのだと。
以前
マウントを取られた時のことを
記事にしたことがありましたが
学歴、年収、年齢、性別、
経歴、役職、地位など
その人の外側を取り囲んでいるものが
知らず知らずのうちに
人間関係に影響を与え
本質を見えにくくするということが
あるように思います。
私たちは
無意識に
様々なことに囚われていて。
無意識に
自分を上に置いたり
下に置いたりしているのですね。
でも、
何者かである必要はなくて。
私も
あなたも
かけがえのない存在。
マザーテレサは、
命の輝きに目を向けた人なのだと
思います。
その人が
何者であるかなどは
問題にせずに。
その人の過去や今が
どんな風であっても
彼女の前では
たったひとつの
かけがえのない命だったに
違いありません。
だからこそ、
その愛に触れた人たちは
その瞬間に
過去の全てを
愛と感謝に変えることが
出来たのではないかと。
マザーテレサの意識は
今もなお
生き続けている…
その意識とつながり
愛と感謝の日々を過ごしていくこと…
それが私の夢であり、願い…。
そのためにも
今の自分を受け入れ
その時々で沸き起こった
悲しみや苦しみを味わい尽くしながら
ゆっくり丁寧に
愛を深めていきたいと思います。
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