私の人生の原点 続編 ~運命の出会い…私たちに平和をもたらしてくれたピーナッツバター色の天使~
連載「私の人生の原点」を
お読みくださり
大変ありがとうございます。
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くださった皆さん、
オススメ、サポートを
してくださった
ミイコさん、giftさん、
きよこさん,
そして、
記事の紹介をしてくださった
西野圭果さん
みなさんの愛に
心から感謝しています。
「私の人生の原点」は
当時の手記を元に
まとめたものでしたが、
実は、この手記は、
息子が生まれる直前まで
続いています。
そこで、
引き続き、
ピーすけとの出会いや
息子の妊娠についても
記事にしていこうと思います。
お付き合いいただけましたら
嬉しく思います。
~運命の出会い~
娘を亡くして
ひと月半過ぎた頃のこと。
その日、
私たちは、
金魚の水草を買うために
車で20分程の所にある
とあるペットショップを
訪れていました。
街の外れにある
市内にたった一店だけの
ペットショップ。
お世辞にも良いお店とは
言えません。
私が子供の頃から
ずっとあって
かなり老朽化していましたが、
建物の古さが理由ではありません。
店内は雑然としていて
活気もなく、
何というか
どんよりとした空気が
漂っているのです。
とは言え、
そこにいる生き物に
罪はありません。
居心地は決して
良くありませんでしたが、
せっかく訪れたこの機会に、
かわいい動物たちの姿を
見ていきたいと思い
水草を買うのは後にして
少し店内を
見て回ることにしました。
お店に入って
数分経った頃だったと思います。
突然、主人が、
私の方へやってきて
こう言いました。
「ちょっと来てくれる?」
困ったような苦しいような
何とも言えないその表情を見て、
私は少し怖くなりました。
一体どこへ向かっているんだろう…
不安な気持ちで
主人の後をついて行くと、
店の隅で、
主人の足が止まりました。
そこには、
無造作に
ゲージが積み重ねられていて、
その中には、
いかにも売れ残った
と言わんばかりの
かなり成長した犬たちが
いました。
ゲージは3つずつ積み重ねられ
全部で6つありました。
それぞれのゲージの中に
1匹ずつ、
しかしその体には
狭すぎるという状態で
窮屈そうに入っていました。
ぶるぶる震えている犬、
狭くて首を伸ばすことが出来ず
猫背になっている犬、
憂いを帯びた目で
一点を見つめている犬、
牙をむき出して
激しく吠えている犬など
様々でした。
そんな中、
一際明るく元気で
人懐こい犬がいました。
その犬を指差して
「この子とさあ…
目が会っちゃったんだよ…」
主人は言いました。
あぁ、そういうことね…
私はようやく
事のしだいが分かりました。
その犬は、
主人の姿を見つけると
嬉しそうに
尻尾を振り始めました。
ゴールデン・レトリバーの赤ちゃん?!
いや、違う違う。
この子、何犬?
得体の知れないその犬は、
主人が手を伸ばすと、
待ってましたと言わんばかりに
主人の指を
幸せそうに舐め始めました。
しばらくして
主人が手を引っ込めると
低く太い声で
わんわんと吠えました。
キャンキャンという
可愛らしい声を想像していた私は
少し驚き、
後ずさりしてしまいました。
でも、
主人が再び手を指し出すと
鳴くのをやめ、
ぶるんぶるんと尻尾を振りながら
近づいて来て
さっきのように
ペロペロと舐め始めました。
「かわいいね」
私は素直にそう言いました。
ゲージの後ろには
『特価品』
と書かれた紙が張ってありました。
『特価品』…
何だか悲しくなりました。
小犬のうちは人目に付く
明るいショーケースの中で
高い値段で売られ、
売れ残って大きくなると
狭いゲージに入れられ
店の隅っこに
無造作に積み重ねられ、
『特価品』として売られる…
この犬たちは、
みんな無事に売れていくのかな…
どうか幸せになって欲しい…
そう願わずには
いられませんでした。
私は、小さい頃、
猫や犬を飼っていました。
犬は小学校に上がって間もなく
死んでしまい、
付き合いが長かったのは
猫の方でした。
そんなこともあって
私は完全に猫派でした。
犬が嫌いと言う訳では
ありませんでしたが、
よほど穏やかで
おとなしい犬で無い限り、
噛まれるのでは
という恐怖心が先にたち、
簡単に触れることは
できませんでした。
それに、正直、
犬の匂いも
あまり好きでは
ありませんでした。
かわいいねと言ったきり
私が黙っていたせいか
「かわいいけどさ…
でも無理だよね…」
主人は自分に
言い聞かせるように言いました。
犬、しかも、
かなり成長した犬を飼う
ということは、
私にとって
とても勇気のいることでした。
でも、確かに
人懐こくてかわいい犬でした。
相変わらずその犬は
主人の手を幸せそうに
舐めていました。
その様子をじっと見ていた私は
この犬は噛まないかも…
そう思って、
思い切って
手を指し出してみました。
そしたら…
すぐに私の手をぺろぺろと
舐め始めました。
「くすぐったい…かわいいね…」
私は思わず言いました。
でも、その後…
舐められた手のやり場に
困ってしまいました。
手に付いた口臭や
辺りに漂う犬の匂いは
私にとって
決して心地よいと言えるもので
ありませんでした。
早く、手、洗いたいな…
やっぱり犬は無理かも…
そう思う一方で、
この犬を飼うことになったら
主人はどんな喜ぶだろう…
とも思いました。
自分を支えてくれた主人、
今もまだ完全に元気とは
言えない主人のために、
この犬を家族として迎えてあげたい…
そんな思いも
膨らみ始めていました。
その後、
主人は、水草を買うと、
足早に店を出ました。
まるで、
あの犬のことは忘れよう…
と自分に言い聞かせるかのように。
家に帰ってからも、
主人があの犬のことを
忘れられずにいるのが
分かりました。
そんな主人の姿を見て、
何とかなるさ…
私は自分に言い聞かせました。
そして、
思い切って
主人に言いました。
「ねえ、あの子、飼おうよ。
かわいかったし。ねっ!」
「確かにかわいかったけど、
でもいいよ…」
「えー、ねえ、飼おうよ」
私は、しつこく言い続けました。
最初は
その気がないような素振りを
見せていた主人でしたが、
私がしつこく言い続けると
「やっぱり飼おうか」
と目を輝かせました。
そうと決まると今度は
「もし今日、
売れちゃってたらどうしよう…」
と不安になってきたのでした。
~あの子が我が家へ~
翌日、
私たちは朝一番に
あのペットショップへ
行きました。
どうか売れていませんように…
私たちは、
店の隅のあのゲージへ
急ぎました。
いました。いました。
あの犬は尻尾を振って
私たちを元気に
迎えてくれました。
良かったぁ…
「この子が欲しいのですが…」
主人は言いました。
「この子ですか?」
お店の人は、
まるで
この子で本当に良いのですか
とでも言うように
聞き返してきました。
(なぜお店の人が、
こんな風に聞き返してきたのか
今だに謎なのですが…)
「ええ、この子です」
主人はきっぱり言いました。
それから、
ドックフード、トイレシート、
首輪、リードなど
とりあえず
今すぐ必要と思われる物を
手当たりしだいに選び、
様々な手続きなどを済ませ、
いよいよ購入
ということになりました。
私が驚いたのは、
犬も商品とは言え、
専用の箱に
詰められたことでした。
箱には
500円玉程の穴が
いくつか開いていて、
箱に入れられたその犬は、
その穴から、
時々黒い鼻を
覗かせてきました。
ふふっ、モグラたたき見たい…
私はおかしくなりました。
かわいいなと思いましたが、
突然パクッと嚙まれるのでは…
そんな不安もまだあって、
手が出せませんでした。
帰りの運転は
私がすることにしました。
車に乗ると、
主人はすぐに犬を箱から出し
嬉しそうに抱きました。
助手席で
幸せそうに笑う主人の顔を見て、
これで良かったんだ…
と心から思いました。
こうして、
水草を買いに行った私たちは、
なんと犬を飼うことに
なったのでした。
~子育てならぬ犬育ての始まり~
この犬は、
生後7ヶ月の
ミニチュアダックスフンドの
オスでした。
生後7ヶ月とは言え、
犬の年齢で言えば
間もなく成犬になろう
という年齢でした。
ピーナッツバターのような
綺麗なクリーム色を
していたことから、
主人が
『ピーすけ』
と名付けました。
「平和の『ピース』も
かけているんだよ」
冗談交じりに言った
主人の一言に、
私の心はときめきました。
平和のピース…最高!
私は、その愛くるしい名前が、
すっかり気に入りました。
ピーすけを迎え、
静かだった我が家が、
急に賑やかになりました。
小型犬ということもあって、
ピーすけへの恐怖心は
思ったよりもすぐに
解消できました。
また、
気になっていたあの匂いは…
飼育環境やストレスも
あったのでしょうか?
家に来てからは
不思議としなくなりました。
ペットショップで過ごした
数か月間、
ピーすけの生活スペースは
あの狭いゲージの中だけでした。
トイレトレーニングは
もちろんのこと
散歩の経験も
ありませんでした。
「最初から自由にさせると、
家の中が
大変なことになると思います。
トイレを覚えるまでは
スペースを決めて
飼った方が良いでしょう」
お店の人からのアドバイス通り、
トイレの習慣が身に付くまでは、
サークルの中で
飼うことにしました。
とは言え、
やっぱり
様子が気になって…
私は、一日に何度も
ピーすけを
サークルから出しました。
30分ほど
ボールで遊んだり
走り回ったりして一緒に過ごし、
そろそろいいかな
とサークルに戻すと…
クウンクウンと
悲しそうな声で鳴きました。
その度に
胸がチクチクと痛みました。
こんなことが幾日か続き
サークル内に閉じ込めておくことが
不憫に思えてきた私たちは
作業場として使っていた一室を
ピーすけのために
開放することにしました。
これだけ広ければ自由に動き回れる。
ピーすけも喜んでくれるだろう…
そう思っていたのですが…
作業場の扉を閉めると、
やっぱり中から
あの悲しそうな声が
聞こえてくるのです。
そう。
ピーすけは広いスペースが
欲しかったわけじゃなかったのです。
私たちの側にいたかったのです。
『自由にさせるのは
トイレトレーニングが出来てから』
そう決めていた
私たちでしたが…
ピーすけの悲しそうな姿に
耐えられなくなり、
わずか半月ほどで
サークルも、個室も止め、
ピーすけを
自由にさせてしまいました。
覚悟はしていたものの、
ピーすけは本当に
所構わず排泄しました。
この頃は
排泄の回数も多く、
一日中
排泄物の始末に追われていました。
気付かずに
うっかり踏んでしまったり
座ってしまったりして
大騒ぎになることもありました。
それだけではありませんでした。
目に付く物は何でも口にし、
よく壊しました。
リモコン、眼鏡、
スリッパ、ゴミ箱…
私がうっかり
閉め忘れた棚の中から、
素麺と蕎麦とスパゲッティを
引っ張り出し、
袋を全て食いちぎって
いたこともありました。
床中に散乱した
三種類の麺類を見た時は
さすがに言葉を失い
しばらくその場に
立ち尽くしました。
一方、
やんちゃな割には、
運動神経も体力も
全くと言っていいほど
ありませんでした。
きっと、
ゲージでの生活が
長かったせいなのでしょう。
わずか10センチの段差も
越えられず、
500メートル歩くのに
1時間もかかりました。
散歩の途中で
座り込んで動かなくなり
最終的に抱っこと言うことも
しょうちゅうでした。
こんな風に
一緒に暮らし始めてから
色々な課題が見えてきました。
私たちはまず、
お互いが快適に過ごせるように
環境の見直しをしました。
そして、
出来ないことは
子育てと同様に、
出来るようになるまで
繰り返し教えていきました。
初めてトイレシートに
おしっこが出来た時、
小さな段差を越えられた時、
してはいけないことを
理解した時…
出来なかったことが
出来るようになる…
それは本当に嬉しいことでした。
その度に、ピーすけを褒め、
互いに成長を喜び合いました。
ピーすけは、
ゆっくり、
でも、確実に、
成長していきました。
ピーすけと暮らすように
なってから、
道端で色々な人に
声をかけられるようになりました。
犬が好きな人は、
犬を見ると
黙って通り過ぎることは
できないのですね。
「かわいいね」
「男の子?女の子?」
「何歳なの?」
「家でも飼っていてね…」
初めて会う人とも、
自然に会話が弾みました。
引っ越して間もない
私たちでしたが
ピーすけのお陰で、
近所にたくさんの
知り合いができました。
猫派だった私は
いつしか犬派に変わり、
犬を見ているだけで
幸せを感じるようになりました。
子どもを育てるって
こういう感じなのかな…
子育てを通して
世界が広がるって
こういう感じなのかな…
叶えられなかった夢を
ピーすけが叶えてくれている…
そんな気がしました。
気が付けば、ピーすけは、
私たちにとって
かけがえのない
大切な家族になっていました。
のちに、主人は、
初めてピーすけに
出会った時のことを
こんな風に話してくれました。
「ピーすけに
呼ばれたような気がしたんだ」と。
もしかしたら、
娘が引き会わせてくれたのかな…?
それとも、
ピーすけが私たちを
選んでくれたのかな…?
そんなことを思いました。
ピーすけの存在が
私たちの中で
大きくなればなるほど、
私は犬の寿命の短さを
考えるようになりました。
小型犬の寿命は10~15年。
明らかに、ピーすけは
私たちより先に
逝ってしまいます。
娘だけでなく、
ピーすけもまた…
そう考えると悲しくなりました。
そんな時、
ムツゴロウさんの愛称で
親しまれている
畑正憲さんの言葉に
私は強く勇気付けられたのでした。
なんてすばらしい言葉だろう…
私は嬉しくなりました。
ピーすけの命が短いということ、
ピーすけを見送ることが出来る
ということは、
幸せな事なのだ。
ピーすけに、
今私たちができること。
それはただただ愛すること。
こうして、
ピーすけを抱きしめられる今が、
かけがえのない大切なものに
思えました。
普段は
無邪気なピーすけですが、
ふと見せる表情に
どきっとさせられることがあります。
その表情は、
まるで私たちの悲しみも苦しみも
全て知っていて、
それら全てを
優しく包み込んでくれているような、
それはまるで観音様のような
慈愛に満ちた表情…。
そんなピーすけの
大きな愛を感じ
私たちはとても幸せでした。
~流産を乗り越えて~
娘の死から10ヶ月後、
平成17年12月、
私は、2人の目の子どもを
妊娠しました。
ピーすけに兄弟ができる…
私たちはもちろん家族も
みんな喜んでくれました。
しかし、
年が明けて間もなく、
2度目の検診に
行った時のことでした。
赤ちゃんが
ほとんど育っていない
と告げられました。
「すでに亡くなっている
可能性も考えられます。
おそらく流産でしょう…」
そう言われ、
溢れる涙を止めることが
できませんでした。
「まだ決まった訳ではありませんが…
様子をみましょう」
悲しみの中帰宅した私は、
主人に検診の結果を伝えました。
「まだ流産と
決まった訳じゃないじゃないか。
親の俺たちが諦めてどうする」
主人の言葉にはっとしました。
「そうだね、ごめんね」
私は、主人とおなかの赤ちゃんに
謝りました。
「何かあったらすぐに連絡してね」
主人は毎日そう言って
仕事へ出かけて行きました。
検診から数日後、
茶色っぽい
出血のようなものがありました。
主人に話し
すぐに2人で
病院に行きました。
その時は、
子宮からの出血ではない
と言われほっとしましたが、
相変わらず流産の可能性は
否定できない状況でした。
帰宅した私たちは、
わずかな可能性を信じながらも、
不安な時間を過ごしていました。
夜になって、
ごく少量でしたが
さっきとは違う
明らかに赤色の出血がありました。
私たちは再び病院へ急ぎました。
それは…
流産の始まりでした。
先生は言いました。
「もう止めることはできません…。
これからは、
出血の量が増えていく一方です」と。
それでも
私たちは
諦めることができませんでした。
再び家に戻った私たちは、
奇跡を信じ、
布団に入りました。
夜中に
おなかが痛み出しました。
次第に痛みが増し、
眠れなくなりました。
布団を出て、
居間で横になっていると、
主人も心配で起きて来ました。
しばらくして
何かが大量に出たような
感触があり、
気になった私は
脱衣所へ行って見てみました。
下着が大量の血で
真っ赤に染まっていました。
泣きじゃくる私を抱きしめ、
主人が静かに言いました。
「病院に行こう…」
休日の早朝ということで
病院はとても静かでした。
しばらくして先生が来ました。
超音波検査を受けました。
そこには…
何も…
全く何も映っていませんでした。
「残念ながら流産です…」
その後、
私たちは悲しみの中
帰宅しました。
玄関のドアを開けると、
ピーすけが
私たちを迎えてくれました。
ピーすけは、
全て分かっていたのでしょうか…。
悲しみにくれる私たちを
慰めるかのように、
代わる代わる
優しく舐めてくれました。
「辛い時いつも
ピーすけが助けてくれるね」
私たちは3人で抱き合いました。
その後も、
出血は続きました。
トイレに行くたびに
便器の中が
血で真っ赤に染まりました。
ある時、ふと、
その流れ出た血の中に、
1センチ程の
小さな袋を見つけました。
これはきっと赤ちゃん、
間違いない…
そう確信しました。
「◯◯君、赤ちゃん。
赤ちゃんがいた!」
私が叫ぶと
主人が跳んで来ました。
私はその小さな赤ちゃんを
手のひらに
そっと抱きました。
「良かった。
もう会えないと思ってた…
ちゃんと会えた…」
主人もその小さな命を
じっと見つめていました。
それは、
私たちを選んでくれた
かけがえのない命でした。
私たちは、
その小さな赤ちゃんを、
庭のもみじの木の下に
埋めました。
2人が大好きな木。
もみじを見る度に
この子に会える…
そんな気がしました。
のちに、
私たちはその子に、
楓(かえで)と名付けました。
性別は分かりませんが、
主人は、
男の子のような気がする
と言います。
悲しみに沈む私たちに、
生きる希望を与えてくれたのは、
ピーすけでした。
~3人で暮らそうと決めた1年間~
先生は、
3ヶ月ほど休んで
異常が無ければ、
妊娠は可能だと言いました。
でも、私たちは、
家族の勧めもあって、
1年間子宮を休めることに
しました。
2人の子どもを宿して
疲れた子宮を、
元気な子宮に戻してあげよう。
次宿った命が
元気に育っていけるようにと。
私たちは、1年間、
ピーすけと3人の生活を
楽しむことにしました。
主人の仕事が休みの時は、
ピーすけを連れて、
3人で色々な所へ出かけました。
ピーすけが楽しめる場所、
ピーすけと一緒に行ける場所…
そう考えていくと、
公園、原っぱ、川、海、山といった
戸外の広い場所や自然の中が
多くなりました。
自然の中にいると
開放的な気分になるのは
人も犬も同じで、
そういう場所に出かけると、
ピーすけは
狂ったように走り出し、
もう誰にも
止められなくなるのでした。
目的があって
走っているのではなくて、
ただ嬉しくて走っている…
そんな感じです。
「ピーすけー」
私たちの呼ぶ声も
全く耳に入らず、
疲れて走れなくなるまで
ただただ走り続けるピーすけ。
その姿は
生きる喜びに満ち溢れていて
正に『今を生きる姿』
そのものでした。
その年の夏休み、
家族や親戚と
山形へ1泊2日の旅行に行きました。
1日目は船で飛島へ行き、
夕方本土に戻り、
キャンプをしました。
船に乗るのも
キャンプをするのも
初めてのピーすけは、
四六時中
興奮しっぱなしでした。
案の定、
帰りの車に乗り込むと、
すぐにすやすやと
眠ってしまいました。
帰り道、
海沿いの道を
走っていた私たちは、
プライベートビーチのような
ほとんど人のいない
小さな砂浜を見つけました。
時間もあったので、
そこで少し
遊んで帰ることにしました。
さっきまで
死んだように眠っていた
ピーすけでしたが、
砂浜に離すと、
いつものごとく
元気に走り出しました。
その姿を見て、
「あんなに疲れていたのに、
どこに元気が
残っているんだろうね」
と主人と顔を見合わせて
笑いました。
水が苦手なピーすけは
水際を避けるようにして
走り回っていました。
しばらくの間、
ただただ砂浜を走り続けていた
ピーすけでしたが、
ふと海の中にいる主人に気付き、
勢いよく主人に向かって
走って行きました。
水に入るなんて、めずらいしい!
そう思って見ていた次の瞬間、
ザブーン
海に飛び込んだピーすけは
そのままぶくぶくと
水面下へ消えて行きました。
慌てて駆け寄った主人が
ピーすけを抱き上げると、
海坊主のごとく
ぬっと顔を出しました。
「ピーすけ大丈夫か」
そう言いながら、
主人は大笑い。
「犬なのに溺れちゃったね」
私も笑いが止まりませんでした。
犬は反射的に犬かきをするもの
と思っていましたが…
人間同様、
泳ぎが苦手な犬もいるのですね。
こんな風にして、
私たちは
1年間楽しく過ごしました。
もちろん、たまには
2人でデートをしようかと
食事に行ったり
買い物に行ったりすることも
ありましたが、
どうしても
ピーすけのことが気になって、
結局いつも足早に
帰宅することになりました。
少し遠出の用事ができた時は、
あらかじめ綿密に計画を立て、
できるだけ早く
用事を済ませるようにしました。
義母はよく私たちに言いました。
「2人で旅行に行ったりしても
いいんだよ。
ピーすけは見ていてあげるから」
ありがたいことでしたが、
この時の私たちは
2人だけで旅行がしたい
という気持ちにはなりませんでした。
ピーすけを置いて行くぐらいなら
3人でいる方がずっと楽しい
と思っていたのです。
そんな私たちの
過度の愛情もあって、
ピーすけは
すっかりの甘えん坊になり、
些細なことで
やきもちも妬くようになりました。
姪っ子をかわいがったり、
知り合いの子どもを
抱いたりすると、
執拗に吠え続けました。
それどころか、
私と主人が2人で話をしたり、
手をつないだりするのも
見逃してはくれませんでした。
まるで、僕が1番。
ずっと僕だけを見ていてね。
とでも言うように。
きっと赤ちゃんが産まれたら
大変なことになるだろう、
そう思った私たちは、
ぬいぐるみを使って
練習を始めました。
「よしよし、いい子だね」
主人や私が、
ぬいぐるみを抱いて
大げさにかわいがる真似をすると…
ピーすけはすぐさま跳んで来て
激しく吠え、
すきあらば、
ぬいぐるみを押しのけて
腕に飛び込んできました。
そして、
主人や私の顔を舐めて
愛しているよ、お父さんお母さん!
とアピールしてくるのでした。
やれやれ…
そうあきれながらも、
私たちは、
とても、
とても幸せでした。
『ピーすけ』
ピーすけは
その名前の通り、
私たちに
平和をもたらしてくれました。
そう。
ピーすけは
我が家に舞い降りた
ピーナッツバター色の
天使でした。
つづく