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映画からの学び。2つの作品を見て感じたことをつらつらと。ネタバレあり。

ここ半年ほどで
家族共通の趣味が出来ました。

それは、映画鑑賞。


実は我が家では
息子が低学年ぐらいまで
極力テレビを
見ない生活をしていました。

テレビを辞めたのは
息子が1歳を過ぎた頃でした。

ぐずる度に
テレビに依存するようになって…。
思い切って
辞めてみることにしたんです。

幼かったこともあり
1週間ほどで
テレビのことは忘れてしまいました。

成長に伴い
少しずつ
テレビを解禁していきました。

その後
映画館デビューも果たしました。

正確には映画館ではないのですが…。

私たちの住む街には
映画館がなくて。

一番近い映画館は
隣の隣の街にあって、
車で1時間弱かかります。

そんなこともあって、
街の会館の大ホールで
時々映画を上映してくれるのです。

その大ホールの大きなスクリーンで
息子は生まれて初めて映画を観ました。

ところが…

見た映画が良くなかったのでしょうか。
息子はすっかり
映画嫌いになってしまって…。

それ以来
会館の大ホールはもとより
隣の隣の街の映画館へ行くことも
ありませんでした。

当時
息子が好んで見ていたテレビ番組は、
お笑い番組や
生き物の番組などで、
アニメやドラマ、映画など
ストーリ性のあるものには
ほとんど興味を示しませんでした。

そんな息子が
中学生になって突然、
ドラマって結構面白い
と言うようになりました。

それから間もなく
先輩に映画に誘われて
ついに
本物の映画館デビューも果たしました。

そのうち
家でも映画を見るようになりました。

今では
多い時は毎日のように、
少ない時でも
週に2、3回は
映画鑑賞を楽しんでいます。

変われば変わるものですね。

週末は
私たちもたまに一緒に見ます。

息子のおかげで
家族共通の趣味が出来ました。

もちろん
好みはバラバラなのですが
映画鑑賞会に便乗しているのは
私たちの方なので
極力息子の意見を尊重しています。

時々超感動ものなどを見る時は
(号泣してしまいそうだから)
今日は一人で見たいと
入室禁止になることも。

さて
そんな折、
今上演中の
『すずめの戸締り』の話になり
息子が見たい
と言い出しました。

正直意外でした。
普段アニメ映画は
ほとんど見ないものですから。

私は元々興味があったので
そのことを主人に話したら
みんなで行こう
ということになり
11月の終わりに
3人で行って来ました。

3人で映画を見に行くのは
この時が初めてでした。

息子が映画嫌いだったこともあって
気付けば主人も私も
本物の映画館から足が遠退いていて…。

かれこれ…
えー、15年以上も行ってない!

と2人で驚いたのでした。

もはや映画館は
あの頃と違っていて。

息子に色々聞きながら
チケットを購入するという
浦島太郎状態でした。

さて、
『すすめの戸締り』

良かったです。

映画の最中
時折視線に入る息子の様子が
何となくつまらなそうに見えて。
てっきり、
飽きたんだ…
と思っていました。

そしたら
終わった途端に

「良かった!
 もう一回見に来たい」と。

それは良かった…。

私はもう、号泣でした。

心に残ったシーンは
たくさんあるのですが…

今日はその中から
ちょっとテーマから外れますが
このシーンを取り上げたいと思います。

おばさんとすずめの喧嘩のシーン

すずめに対して
おばさんは
言ってはいけないことを
言ってしまいます。
それに対してすずめもまた…。

でも…
誰にだってあるのですよね。
こういうこと。

聖人君主でない限り
心は日々揺れ動くものですしね。

そして、
その時沸き起こった感情や
勢いあまって
口から出た言葉が
全てではない訳で。

おばさんは
はっと我に返り
言ってしまったことを
後悔します。

それで
すぐにあやまるんですね。
すずめもまた…。

結構なことを
言い合ったんですけれどね。
その言葉を
引き摺ることなく
お互いがお互いを許した…
それが本当に素敵だなと思いました。

思わず口から出てしまった言葉。

それはきっと
自分の中にずっとあったもの。

未消化なまま
心の奥に追いやってしまった感情。

だから
その気持ちを吐き出したことで
おばさんもすずめも
随分と楽になったのではないかと
思います。

すずめの母親になると決めたことも、
恋をしたり好きなことをして
自由に過ごしたかったという思いも
どちらも本当で
どちらもおばさんの本音。

でも
おばさんは
一方の気持ちを悪者にしてしまって
そんなことを思う自分はだめだと
そう思ってきたのですね。

でも
いいんですよね。

そういう気持ちが湧いてきても。

それでも
すずめを愛する気持ちには
変わりはなくて。

私も
心が揺れ動くことはしょちゅうです。

心の中は
色んな思いがうごめいていて
ついつい
言ってはいけない一言を
言ってしまうことだって。

言った後に
あっちゃあ…って。

それでも
元に戻れるのは
愛があるからなのでしょうね。

周りから見たら
一見驚くような言葉であったとしても
その言葉が全てではないと
お互いが分かっているから。

それはもう
その関係の中でしか
分からないことで。

きっと、
周りがどうこう
言えることではないのでしょうね。

ぶつかり合うということは
決して悪いことばかりではなくて。
自分を知り
互いを理解し合うための
一歩でもあるのだと。

すずめとおばさんは
自分の本音と向き合えたことで
これからは
もっと自分を大切に出来るようになって
二人の関係も
さらに良いものになっていくのでは…
そんなことを思いました。

『すずめの戸締り』
テーマは別のところにあるのですが
とても心に残ったシーンだったので
取り上げさせていただきました。

ラストは
もう、涙涙でしたよ…。

興味のある方は
ぜひ、映画館でご覧になってくださいね。


さて、もう一つ映画の話。

最近家族で観た
『青くて痛くて脆い』

かなり
極端な被害妄想の話でしたが
多かれ少なかれ
日々の揉め事や怒りの多くは
この映画の出来事のように
相手への期待や
思い込みによるもの
なのだろうなと思いました。

「相手は間違っている」
の裏に必ずある
「自分が正しい」

極端な話
戦争や殺人でさえも
良い悪いと
言えるものでなくて。

自分の正しさを
振りかざした時
本当に大切なことが見えなくなって。
自分の見たい世界
生きたい世界から遠ざかっていく…。

これまでの人生を振り返ってみても
出来事や誰かを責め
現状を嘆くことで
救われるどころか
本当に見たかった世界
生きたかった世界から
どんどん遠ざかっていきました。

出来事や相手を
非難したり否定することを辞めた時
はじめて
見えてくる世界がありました。

陰と陽。

幸せを感じられのは
悲しみや苦しみがあるから。

生きる喜びを感じられるのは
死があるから。

平和を実感できるのは
争いや戦争があるから。

片方だけなんて
あり得ないのだから。

それを受け入れた上で
自分の生きたい世界を選んでいく…

出来事や誰かを否定することなく…

時に
沸き起こった怒りや悲しみは
それとして味わい尽くして。

今ここから始める。

戦争を批判している自分
その時すでに
自分は争いを選んでいる。
争いの種を撒いている…。

どんなことが起こったとしても
今この瞬間から
始めることが出来る。

どんな風に生きていきたいか。
どんな世界を見たいか。

自分が選んだ世界が現実になる。
笑顔を溢れる世界を見たいなら
そんな世界を
今この瞬間に感じて
生きていきたい。

そうやって生きていったら
もしかしたら
もしかしたら
恐れるものなど
何もないのかもしれない…。


『青くて痛くて脆い』
映画のラストで
心の奥に押し込んでいた気持ちを
全て吐き出し
本当の自分と向き合った主人公が

もしあの時、
素直に自分を出せたなら…

と過去に遡って
想像するシーンがあります。

自分の気持ちに正直に生きていたら
今がもっと違うものに
なっていたのかもしれない…

そのことに気付いた
主人公が

今ここから始めよう

そう決心し
一歩を踏み出そうとしたところで
映画は終わります。

今この瞬間から
私たちは
幸せを選択していくことが
出来るのですね。


今日は
2つの映画から
感じたことを
つらつらと綴ってみました。

お付き合いいただき
ありがとうございました。


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