子育て。それは、親と子が少しずつ少しずつ離れていき、最後に、自分一人に返っていく営み。
コロナの蔓延と共に
小学校を卒業し,
中学校に入学した息子。
入学式に始まり
あらゆる行事が、
規模縮小、延期、
時には中止となりました。
おそらく息子は
本来の行事、
本来の学校生活を経験しないまま
中学を卒業することに
なるのでしょう。
でも、ある意味
息子にとっては
これが普通、当たり前でした。
決して悲観的になることもなく
今この状況の中で
やれることを
ただただ楽しんできた…
そんな風にも見えます。
さて、
規模縮小ながらも
今年も、
運動会が開催されました。
3年目の今年も
午前のみの開催で、
各家庭大人2名、
子ども1名までの参観が可能でした。
息子にとって
中学校生活最後の運動会。
初めて主人と2人で
参観することができました。
振り返ってみれば
1年生の運動会の時は
16年連れ添った愛犬が
危篤の状態でした。
息子にとって初めての運動会。
クラスの監督(リーダー)に
推薦されたと聞き
ぜひ2人で応援に行きたいと
思っていました。
でも…
苦しむ愛犬をひとり残していくことは
どうしても出来ませんでした。
出発のぎりぎりになって
主人が、
自分が家に残ると言いました。
この時の様子については
こちらの記事どうぞ。
2年目は
大人1名のみの参観。
昨年のこともあって
その出番を主人に譲りました。
息子が生まれてから13年間
息子の行事に参加しなかったのは
この時が初めてでした。
私たちは
写真やビデオをほとんど
撮らないのですが、
この時だけは
参加できない私のためにと
主人が少しだけ
映像を撮って来てくれました。
ただ私の中に
息子の中学2年生の運動会の記憶は
全く残っていなくて…。
やはり
あの場で体感していないからなのですね。
さて、
3年目の今年は、
2人で参観できると分かり
ほっとしました。
今年も監督に選ばれたらしいのですが
「団をまとめる団長がトップで
俺はその下の監督の方だから
俺の役目はほとんどないよ」
と何とも気楽なものでした。
それでも
運動会直前には
「今年は時間がなくて本当にやばいと思う」
とかなんとか言って
少し焦っていましたけれどね。
週間天気予報では雨でしたが
心配していたその雨も
朝には上がり
予定通り行うことができました。
幸運にも
息子の陣地の近くの
最前列の観覧席が空いていました。
そこからは
息子の様子を終始
見ることが出来ました。
団員に指示を出す姿。
何の練習なのか
友達数人で奇妙な動きをしている姿。
友達と楽し気に笑い合う姿。
そんな息子の姿を
主人と二人、
目を細めながら見ていました。
今年は
少しだけ写真も撮りました。
その日は
息子を含め数名が
紺色のマスクをしていました。
てっきり
何か役割がある子の目印だと
思っていたのですが、
どうやらそうではなかったようで…。
そのマスクは、
親友の一人が持参したもので
言わば
友情の証のようなものだったのだそう。
その話を聞いて
何だか胸がいっぱいになりました。
運動会が終わった後
その仲間たちと
ご飯を食べに行くと出かけ
夕方まで帰って来ませんでした。
帰って来てから
かなり盛られた
乙女チックなプリクラを
見せてくれました。
きっと、それらも含め
全てが思い出となったことでしょう。
こうして
中学校生活最後の運動会も
終わりました。
飛ぶように過ぎていく中学校生活…。
思い返せば
小学校3年生ぐらいまでは
息子の行動は
ほとんど把握していて
息子の考えていることも
全て分かるような
気がしていました。
高学年になるにつれ
徐々にその距離は離れていき
私の役目も
どんどん減っていきました。
中学生となった今はもう
私の役目は
ほとんどなくなりました。
息子が何を思い、何を考え、
外でどんなことをしているのかも
ほとんど分からなくなりました。
食卓を囲んで
あるいは
一緒にテレビを見ながら
学校であったことや友達のこと
お笑い番組のことや
好きな曲ことなど
色々な話はしますが
それで分かるのは
息子のほんの一部。
時々、息子と話をしていて
「こんな風に思う(感じる)んだ!」
「そんなことするの?!」
と驚くことがあります。
だから今では
「私が知っていることなんて
ほんのわずか…」
そう思いながら
息子と接しています。
それでも
こうして一緒に過ごせることが
嬉しくて…
一緒に過ごせる今に
心から感謝しています。
息子は来春から
高校へ進学の予定です。
2年生の終わりに
突然、
「高校に行かない」
と言い出したことがありました。
進路調査には
進学しないに丸がされ、
弟子入りする
と書かれていました。
正直驚きましたが
息子の中に
そのような思いが
ずっとあったことは
知っていましたから
息子が本気でそう望むのであれば
応援したいと思いました。
私たちの40数年の人生から
これが正しい
という答えなど導き出せない…
ずっとそう思っていました。
私よりもずっと若い方で
中卒で活躍しておられる方を
知っています。
また、私は短大を出ましたが
今している仕事は
学歴には全く関係ありません。
そして
これから始める仕事もまた
学歴も資格も必要のない仕事です。
もちろん
私が意識していないだけであって
高校、短大で学んだ
知識や経験は
間違いなく
日常の様々な場面で
生きているのでしょう。
ただ勉強に関して言えば
私は、ほぼ一夜漬け。
試験の為だけの勉強で
その後は
全く身にはなりませんでした。
息子の目指す仕事は
技術面の比重が
はるかに大きいもの。
もちろんその仕事に関わる
知識や技術を
高校で学ぶという選択肢も
十分にあるでしょう。
そしてまた
高校生活そのものの中に
知識や技術以外の学びが
たくさんあることも確かでしょう。
ただ、だからと言って
高校ぐらいは出ておいた方がいい
とは言うのは
違うような気がしました。
もしかしたら
高校進学は
正しい道というより
安心な道なのかもしれません。
中卒となると
風当りも相当強いでしょうから
それに屈しない強い心、覚悟が
必要になるでしょう。
そのことは息子に伝えました。
そして、もし
後になって高校で学びたいと思ったら
いつでも学び直すことが出来ることも
伝えました。
息子が高校に行かない
と決めて間もなくのこと。
かみさまのはからいなのでしょうか…。
その道で有名なある方と
突然ご縁がつながりました。
短い時間ではありましたが
その方の仕事場を見学させていただき、
その方の歩んでこられた道
息子のこれからについて
色々とお話をいただくことができました。
中卒がいいとか
高卒がいいとか
そういう話ではなくて。
最終的に
どうしたいかは
自分が決めることだと。
その方にお会いした後に
息子が出した答えは、
高校進学でした。
自分で決めた答えに
もう迷いはないようです。
わずか2カ月ほどの出来事でしたが
息子が弟子入りしたいと言った時
私も母親として覚悟を決めました。
息子の人生を信じようと。
息子との残された時間はあと1年。
あと1年どんな風に過ごそうか…
そう考えたら、
自然に涙がこぼれました。
まるで余命宣告でもされたように
残された1年で出来る事を
頭の中に思い描きました。
親子として結ばれた縁…
一緒に過ごせる最後の1年を
悔いのないものにしたい…
心からそう思いました。
その後
息子との時間が
3年間延長になり
少し心に余裕が出来ました。
それでも
中学校生活がそうであったように
高校生活の3年間も
きっとあっという間なのでしょう。
当の本人は
高校進学を決めた途端に
残された4年間が
急に輝き出したようです。
きっと
中学を卒業してすぐに夢に向かうことも
高校で知識や技術を学ぶことも
少し寄り道することも
どれも間違いではなのですね。
そう、全てに意味がある…。
今息子は言います。
あれもやりたし
これもやりたい…
この4年間で
全てはやり切れないかも知れないけれど
今出来る事を
存分に楽しみたいと。
農作業、庭仕事、
鳥の餌やり、土作り…
将来の夢には
直接関係がないように見えて
一つひとつが
全てつながっている…
そんな風に思います。
もうすぐ
子育てが終わりを迎えようとしています。
私たちも、父、母から
「私」の人生に戻って行く時が
もう、すぐそこまで来ています。