愛は国境を越える~私の大切な人、大切な国
4年程前
幼稚園で出会った
ベトナム人のB君。
3ヶ月半一緒に過ごした後、
産休の先生が復帰し、
お別れとなりました。
けれど、
家が近所だったこともあり
その後も
B君と妹のGちゃん
特にお母さんのFさんとは、
町でちょくちょく
会いました。
Fさんに
「元気でしたか?」
と声をかけると、
憶えたての日本語で
「はい。先生もお元気ですか?」
と丁寧に受け答えしてくれ、
別れ際には
「失礼します」
と会釈までしてくれました。
日本人より日本人らしい
その言葉遣いや佇まいに
関心させられると同時に、
日本人でありながら
和の心をすっかり
忘れてしまっている自分を
恥ずかしく思いました。
こんな風に
いつも穏やかなFさんでしたが、
時々、寂しそうに
「ベトナムに帰りたい…」
と口にすることがあり、
そのことが
ずっと気になっていました。
優しいママ友に
恵まれていましたが、
やはり言葉も通じず、
文化も違う生活に
不安や寂しさで
いっぱいだったのだと思います。
それでも、
B君が地元の小学校に
通い始めてから
少しずつ変わり始めました。
学校とボランティアをつなぐ
コーディネーターとして
学校に勤務していた私は
学校でも、時々
Fさんに会うことが
出来ました。
会う度に
Fさんの表情が
どんどん明るくなっているように感じ
嬉しく思いました。
B君が2年生になると、
ママ友の誘いで
ボランティア活動にも
参加するようになりました。
コロナ渦でのマスク作り、
稲刈り、
読み聞かせ会にも入会し、
読む以外の活動に
積極的に参加していました。
また、
スマホのアプリから
様々な情報を得、
日本の、
そしてこの地域の生活に
馴染んでいったFさん。
ある日、私は、
Fさんから教えてもらった
翻訳アプリで
ベトナム語の『おはよう』を憶え、
Fさんに言ってみました。
そしたら、
Fさんが首をかしげ
戸惑った表情を見せました。
何度言っても全く通じず、
仕方なく、
アプリを見せて
『おはよう』
と挨拶したつもりだったことを
白状しました。
Fさんは、にっこり笑って、
「あ~、分かりました」
と言った後に
私が言った言葉は
こういう間柄では
使わない言葉だと
教えてくれました。
その時に、
日常的に使う挨拶を
教えてくれたのですが、
どんな風に口を動かしても
Fさんような発音には
なりませんでした。
後で、
語学が好きな友人に聞いたら、
ベトナム語は
数ある言語の中でも
憶えるのが
かなり難しい言語なのだとか。
一時は
Fさんとベトナム語で
会話をすることを
夢見た私でしたが、
友人の話を聞いて
あっさり諦めました。
Fさんとは
これまで通り
簡単な日本語と、
身振り手振り、
時々翻訳アプリを使って
話をしました。
また、
アプリを使うことで
私たちボランティア仲間との
ラインのやり取りも
出来るようになりました。
2、3年前まで、
ベトナムに帰りたい…
と言っていたFさんでしたが、
この頃には
すっかり日本での暮らしに慣れ
日本、大好き。
日本の人、みんな優しいです。
日本に、ずっといたいです。
と言うまでになっていました。
この時、
日本語が堪能な旦那さんは
単身赴任をしていたため、
Fさんは、
たった一人で
二人の子どもを
日本の学校に通わせながら
生活していました。
昨年の秋から、
地元の飲食店でパートも始め
この春からは
なんと自動車学校にも
通い始めました。
筆記試験の壁にぶつかり
かなり苦労しているらしいと
Fさんの友人から聞きましたが
その後、
「合格しました。
でも、7回落ちました」
と笑顔で報告してくれました。
その話を聞いて
ただただ驚くばかりでした。
色んなことを
ためらっている自分が
情けなく思えるほど
Fさんはキラキラと
輝いて見えました。
最近は、仕事が忙しく
なかなかボランティア活動に
参加出来ずにいたFさん。
買い物で会う度に
「ボランティア活動に
参加出来なくてすみません」
とあやまられました。
「ボランティア活動は
時間がある時でいいのよ。
お仕事頑張ってね」
そう話し、
また一緒に活動出来る日を
楽しみにしていました。
そんな矢先のこと。
Fさんのママ友から
Fさんが、
夏休みの間に
旦那さんの単身赴任先に
引っ越すことを聞きました。
本当に突然のことでした。
B君とは、
1学期の授業で
何度か会っていましたが
当然2学期もまた会えると
思っていたので、
もう会えないと分かって
急に寂しくなりました。
ボランティア仲間で
にわかに、
お別れの準備が始まりました。
読み聞かせ会のグループラインは
Fさんも入っているため使えず
個別に連絡を取り合いながら
寄せ書きやプレゼントを
準備しました。
最後に全員で活動し、
ランチ会をしたのは、
去年の秋のことでした。
その時に
記念に撮った写真を真ん中に
みんなで寄せ書きをしました。
お別れの準備をしていたら、
FさんやB君との思い出が
次々に思い出されて…
本当に会えなくなるんだ…
と寂しさでいっぱいになりました。
愛する人や
大切な人が
いつもそばにいる
それは、決して
当たり前のことではなく、
本当はとても幸せで
かけがえのないことなのだと
Fさんとの
突然の別れを通して
改めて思いました。
引っ越しの2日前に
ボランティア仲間と
Fさんに会いに行きました。
寄せ書きの写真を見て
「皆さん、かわいい」
そう言って、
喜んでくれた優しいFさん。
Fさんは、言いました。
「家にばかりいる時は
日本語、分かりませんでした。
ボランティア活動でみんなに会う。
それが日本語の勉強になりました。
みなさんが先生です」
涙が溢れました。
外の世界に飛び出そう
そう決意した時、
どんなに怖かったでしょう。
どんなに不安だったでしょう。
でも、
このままでは嫌…
変わりたい…
その強い思いが
Fさんを変えたのでしょう。
勇気を出して
一歩を踏み出してからのFさんは、
本当に驚く程
変わっていきました。
その変容ぶりには、
私たちはもちろん
学校の先生方も
驚いていました。
全てが順調に
進んで行ったFさん。
そんな矢先の突然の引っ越し。
「寂しいです…」
Fさんは言いました。
でも、その顔には、
ベトナムに帰りたい…
と言った頃のような
寂しさや不安は
ありませんでした。
今のFさんなら
引っ越し先でも
すぐに、
新しい友達を見つけて
うまくやっていける…
そう思いました。
ボランティア仲間との
グループラインは、
このまま残すと言います。
私たちは、
これからもつながっている…
そう思ったら、
嬉しくなりました。
Fさんには、
私たちの思い出の作品でもある
『モチモチの木』の絵本と
地元の南部鉄器の風鈴を
贈りました。
絵本を開く度に、
そして、
風鈴が風に揺れる度に
私たちと過ごした日々を
思い出してくれたら嬉しいな
と思います。
私は、
これまで一度も
ベトナムに行ったことが
ありません。
Fさんから
ベトナムの話は
時々聞きましたが
それ程詳しい訳でもありません。
でも、
FさんとB君、二人に出会い、
間違いなく、
ベトナムは、
私にとって
愛すべき国になりました。
人と人がつながっていれば、
戦争なんて
起きるはずがない…
だって、
大切な人が生まれ育った国、
大切な人が暮らしている国、
大切な人が愛している国に
爆弾を落とそうなんて
誰が考えるだろう…
人と人とのつながりが
国境を越え、
国と国を、
そして世界をつなげていく…
Fさんとの別れが
8月だったせいでしょうか。
ふとそんなことを
思いました。
Fさん、B君ありがとう。
私は、今
FさんとB君を
ベトナムを
心から愛しています。
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