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『余白』ー身体構造からみる「余白」の重要性

こんにちは、くどちんです。
今回は、最近自身で体感したことを因数分解してみようと思います、

結果「余白」が大切、ということになりました(ありふれた結論ですが)。

最近体感したことというのは「怒り」の感情コントロールのこと。

子どもが夜泣きをしてなかなか寝てくれない時、今まではどうしたって「なんで寝てくれないんだ!」と心の中で怒りの感情が浮かび上がり、その湧き上がった感情に反応していました(つまり八つ当たり。。。もちろん子どもには当たらないですよ笑)

ですが、近頃夜泣きをしてなかなか寝てくれなくても、浮かび上がる「怒り」の感情に反応しなくなってきたのです(完全にではないですが)。

なぜだろう?とこの現象を自分なりに因数分解してみました。

反応しなくなってきた要因の1つは「余白ができたから」と考えています。

余白というのは「心の余裕」との言い換えられます。

・夜泣きの回数が減って、睡眠不足な日々が減ったから(身体的余白)
・怒りの感情が湧き起こり、それに反応している自分を客観視できるようになった(精神的余白)
・肉体のトレーニングを始め、ストレス耐性がついたから(精神的余白)

これら3つの要素が重なった結果、怒りの感情が湧き上がっても「反応しない」という行動を選択する『余白』が生まれました。

身体構造から考える「余白」の必要性

余白は重要、とはよく聞く話ですが、これは身体構造から考えても同じ事が言えます。

むしろ「身体の構造が余白を必要としているのだから、余白ってヒトにとって必要なんだよね」と『一部は全部』のような論理です。

関節を例にすると、関節には「関節腔」という空間があります。
また関節を固定する靭帯にもゆとりが存在します。

これらの構造から、関節には「遊び」といったものが存在することになります。

この関節の「遊び」があるからこそ、スムーズな関節運動が可能であったり、衝撃の分散が可能となります。

しかし、さまざまな理由でこの関節の遊びがなくなると、骨同士がぶつかり軟骨がすり減り「関節痛」などのトラブルを引き起こします。

つまり「関節の遊びがなくなった結果、障害が生じた」ということです。

先ほど、一部は全部と言いましたが、心も同じ。
心の余裕がなくなると、トラブルが起こった時に原始的な防衛反応(怒る・逃げる)といった選択を選びがちになります。

僕の例でも同じですね。

余白があることによって、選択肢が生まれ、自分にとっても相手にとっても良い反応を選ぶことができるようになります(必ずしもではありませんが)。

『一部は全部』。結果、これは『健康な心身』につながっていくと考えています。

では、どうやって『余白』を作るのか?
長くなりますので、この点については、次回以降にお伝えします。

読者の皆様、今現在自分に「余白」はどれくらいありますか?

ありがとうございました。

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