「見えないけれども大切なもの」を見失わないように。
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
新約聖書 コリントの信徒への手紙二 4章18節 (新共同訳)
こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。
BTSが好きです。(ズバリ)(急にどうした)
いや、つい先日某インタビューの内容が巷でちょっと取り沙汰されているのを眺めつつ、いろいろなことを考えたのでした。
何を考えたかというと、「それが得られて嬉しい結果」というのと、「自分たちが本当に目指している結果」というのは、別にぴったり一致するわけじゃないんだろうな~、などということです。
ご存じ「Butter」が5月末の初登場1位以降ずっとチャートインを続けています。それはものすごいことだし、彼らにとっても嬉しいことでしょうけれど、彼らが最も望んだことかと言われるとそうでもないんじゃないかな? なんて勝手なことを思いました。
世界的に影響力のあるチャートにランクインするのはもちろんすごいことで、ご本人たちもそりゃ喜ばれるでしょうし、ファンとしてもこんなに嬉しいことは無いわけですが、「自分たちにとって意味のある結果」ということと「自分たちが最も目指した結果」ということとは常にイコールではないと思うんです。
情報供給量の多いBTSの皆さんなので、こんな新参者のファンでもいろんなアーカイブを通して彼らの考えや姿勢の変遷を垣間見ることができるのですが、今回のインタビューも含め、「ファンに喜ばれる音楽を作り続ける」というのが、彼らの「核」として一層確かに感じられた気がしています。(個人の感想ですが)
その「核」から派生した部分に「有力な音楽チャートで評価される」というのも入ってくるとは思っています。「5週連続1位~!」と言って喜んでおられたお姿は、私のような者にも「共に喜ぶ」という恵みを味わわせてくれましたしね。(写真はV LIVEのものをお借りしました)(あーかわいい)
「チャート操作」と思われるほどの勢いでファンがいろんな購買活動をするのも、「ファンを喜ばせたい」という彼らの思いが波及していった結果であって、彼ら自身が「何としてでもチャートインしたい」と直接願った結果ではないと思うんですよね。いや、したらしたで喜ばしいし誇らしいのはもちろんなんですが。
「本当に自分が目指しているものは何か」というのを見定めるのは、大事なことだけれど時々難しくなる気がします。やっぱり目に見える分かりやすい結果(数字とか)って、すごく私たちを揺さぶるから。
たとえば私は学校という場に身を置いていますが、生徒さんたちも時々そういうところで「揺れて」います。ただただ数字として良い成績をとるということと、本当に自分が学びたいこと、目指したい進路にどう向かっていくか、とかが混乱してしまうような、そんな混乱が時に彼らを悩ませます。
我々教員だって同じです。目の前の生徒さんのリアルタイムの反応が「快感」になってしまうと、本来その授業で伝えたかったことは何かということが二の次になって、自分が教員として目指したかった「学び」の形を見失いそうになることがあります。
子育てしていてもありますね、そういうこと。「健やかに幸せに生きていって欲しい」とそれだけが真の望みだと思っているのに、「もっと落ち着いて」とか「積極的にいろんなことに挑戦して欲しい」とか「成績が上がらない」とかいろんなことが気になっちゃったり。
ほんと、「見えるもの」は「見えないもの」を時に凌駕してしまうから厄介です。
でも聖書が言うように、見えるものは容易に移ろうけれど、見えないものは私たちが「信じる」しかないからこそ、逆に変わらないものだったりするんですよね。
多くの人は見えないものの方が頼りない、心もとないものだと思うかもしれないけれど、聖書はそれと逆のことを言っています。逆説的かもしれないけれど、これは真理だと思います。
ただ見えないものを「信じ続ける」ためには、やっぱり見える形で何度もそれを確認する必要があるとも思います。その一番手軽で、でも一番大切な方法は、「私はそれを大切に信じます」と言葉にする、告白し続けるということです。
「私はこれを大切に思っている」「私はあなたを愛している」「私はこういうものを目指していく」
見えない思いを、見えないからそのままほったらかし……というのではなくて、折に触れて言葉にして確認していく。そうすることで、自分の中の「見えない大切な何か」に積もってきた「見えるもの」による曇りを拭い取って、またその「大切なもの」を静かにきらきらと輝かせることができる。そんなイメージです。
インタビューの度にファンへの思いに触れてくれるBTSの皆さんも、もしかしたらそういう「ブラッシュアップ」をしてくれているのかもしれませんね。
私も2学期が始まりますが、ついつい目の前の雑事に紛れて曇らせ埋もれさせてしまいがちな信念を、時折言葉にして再確認しながら、道を見失わずに進んでいきたいなと願います。