失敗は「更新」しちゃえばそれでいいのだ! ~失敗名鑑 聖書編 #00 ペトロ~
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
新約聖書 マタイによる福音書 26章75節 (新共同訳)
こんにちは。キリスト教学校での聖書科教員歴15年&牧師のくどちん、こと工藤尚子です。
まだ見ぬ今年度の生徒たち(泣)のことを思いつつ、おすすめしたい本あるかな~と探っている中で、これを読みました。
古今東西の偉人たちの「失敗」を紹介する本です。「図鑑」の名の通り、イラストベースですいすい読めます。各項目、読者自身と重ねて読み解くためのガイド的な文章で締められているのも良いです。
「偉人」といえどもみんな人生のどこかで「谷」の時期を経験していたり、すごく厄介な欠点を持っていたりして、親しみが湧きます。そしてこの本は、それらすべての「失敗」が、後の成長や思いがけない成功に繋がっているんだよ、と物語ります。
失敗は失敗としてただちに断罪され、評価が固定されてしまうものではない。後の人生でそれをどう捉え直すかによって「糧」となり得る。だからあなたも、自分で自分が嫌になってしまうような経験や後悔があったとしても、「これから」においてそれを「更新」していけるよ。そんな励ましをくれる本でした。
聖書の登場人物で「失敗」といえば、私にとって真っ先に思い浮かぶのが、ペトロ。ガリラヤ出身の元漁師で、イエスの一番弟子とされる人物です。
最後の晩餐直後、「他のやつらは知りませんが、イエスさま、俺だけはたとえ死ぬことになったって、あなたにどこまでもついていきます!」と大口叩いたお調子者です。フラグ過ぎる。盛大なフラグ過ぎる。「からの~?」って言われてしまうやつ。
案の定、その直後にイエスが逮捕されると自分は慌てて逃げ出しちゃいます。お前、さっき言うてたお師匠さんへの愛はどこ行ったんや!
まあ愛が無いわけではないんです。一応「やべー、俺とっさに逃げちゃったよー。イエスさまどうなっちゃうんだろ……」と心配になって、連行されるイエスの後をこっそりついて行きます。
イエスは裁判のために大祭司の館へ連行されるのですが、ペトロはその中庭まで入って、館の女中や下役たちに紛れて焚火に当たりつつ様子を窺います。するとふと、女中の一人がペトロに気が付くのです。「あれ? あんた、この屋敷で働いている人間じゃないね? どこかで見たことがあるよ。あっ、今連れてかれたあのイエスって男の仲間じゃないかい?」
バレたー! なんせ数日前からこのエルサレム界隈でちょっとした騒ぎを起こしてましたからね、この一行。面が割れてるってやつです。
とりあえずしらばっくれてみるペトロ。「いや、ちょっと何言ってるか分かんないです」(勝手にサンドイッチマン風)。そしてそろりそろりとその場を立ち去ろうとします。
でももう周りの人も気付いちゃった。「あ、ほんとだ。この人あのイエスと一緒にいたよ!」「いや、まじで俺じゃないっす。そんな人知らないっす」「俺も知ってる、こいつあのイエスの仲間だよー。なにせほら、言葉もガリラヤ訛りじゃねぇか」
ペトロ、イエスと同じガリラヤ出身だということが、言葉つきでバレちゃうんですね。
このままだと自分も逮捕されると焦ったペトロ、「知らねえっつったら知らねえ! お前らの言ってることは分かんねえ! そんな奴と俺には何の関係もねえ!!」と徹底的に否定します。
そこで、鶏が鳴きました。
実はペトロが先の「俺だけはついて行きます」発言をした際、イエスはこの後の出来事を見越したかのように、「ペトロ、あなたは今はそんなことを言っているけれど、今夜、鶏が鳴くまでに私のことを三度『知らない』と言うよ」と、悲しい予言をしていたのです。
鶏の声を聞いたペトロは、イエスの言葉を思い出します。ああ、俺はついさっきあんなに強気で「俺は死んでもイエスさまについて行く!」って豪語したのに、なーんだ、結局俺って全然ダメな奴……。
自分自身の弱さに落胆したペトロは、激しく泣き出したのでした。
私はこの場面がすごく好きです。「自分ってなんて情けないんだろう」と涙するペトロに、やけに共感してしまうのです。
ペトロたち弟子連中はイエスを助け出す勇気も、運命を共にする覚悟もなく、イエスが十字架にかけられるのをただ見ているしかできませんでした。ところがそのイエスの死から三日目、「イエスは復活した」という証言者が現れ、やがてペトロたち自身が、「復活したイエスこそ救い主である」と語り始めます。「わけの分からんことを言うな!」と抑圧されても、今度は我が身の危険を顧みず、「イエスこそ救い主」と力強く告げ知らせる後半生を送るのです。これがキリスト教の始まり。
あの一番弟子ペトロでさえ、こんな「大失敗」を超えて偉大な宣教者になったのです。ぼんやりクリスチャンである私なんて、まだまだ。
そして何より、後のキリスト教の礎となったペトロの「黒歴史」をきちんと語り伝える「聖書」というものに、「失敗する人間を受け入れる温かさ」を感じずにはいられません。
『失敗図鑑』じゃないけど、聖書の登場人物って結構みんなはちゃめちゃだったりします。『失敗図鑑 聖書編』ができちゃうかも? あ、文章での紹介メインだったら、『失敗名鑑』かな。もしかしたらぼちぼちシリーズとして書くかもしれません。というわけで、今回は「#00 ペトロ」としてみました。
続編を乞うご期待。(いや、期待などせずとも気長にまた読んでくだされば十分です……と自虐クドウからの控え目ご挨拶。)