2024年、みずがめ座らしく生きてみる。
いつか置いてけぼりにしたあの子を、
わたしはちゃんと、迎えにゆけるだろうか。
そんな心配をよそに歩き始めた彼女を見て、はっとする。わたしを救えるのは、わたしだけだということを、どうしてか簡単に忘れてしまう。
今月はライブによく行った。
28日のTOMOOのライブに行ったら、今月のライブおさめだ。湿気がひどい季節に、雨が好きになれるピアノの音が耳に流れ込んで、久しぶりに心が躍る心地がしている。
6/10
ラグヘッズというすんごいオシャレなアーティストを聴くようになったのは多分去年の夏頃だった気がする。たしか、恋人が教えてくれたんだっけ。わたしたちのドライブデート出発時の曲、あるいは恋人の通勤時には、彼らのアルバムをよく聴いた。
大阪にラグヘッズが来ると聴いて、もちろん彼と聴きに行った。全然下調べしていなくて、対バン相手が誰かも知らず、会場も心斎橋だろうなと思いつつ特に調べないまま、当日を迎えた。
会場はジャニスだった。初めて行ったけど、競艇とかできるビルの5階で、急にオシャレな空間。後この日はめっちゃ美味しいフードも用意されてた。このイベント主催者が「」っていう飲食店を営んでいるそうで、だからだってさ。(私は美味しい野菜料理食べた!嬉しい!)
いざライブが始めるとなると、私はいつものことながら、緊張で体がこわばっていた。オシャレな人多いなーとか、考えながら、スタートを待つ。
なんか、やっぱり普段行くライブハウスにいる層とは違ってたな。
今回はHIMIというアーティストがゲストボーカルとして参加していて、彼の歌う曲が好きだったからすごく楽しみにしていた。ラグヘッズは基本インスト曲なんだけど、私は今までメロディより歌詞重視派だったので、まだ馴染みがなかったりして。だから、途中でHIMIが登場して、歌い始めると、急にほっとした。
HIMIは不思議と、わたしの肩の荷まで降ろしてくれた。着飾らない姿は、こうして人々を癒すのだとおもった。
よかったね、と恋人と話しながら次のバンドを待つ。誰なんだろう、とおもっていたら、どうやら天才バンドらしいと気づく。名前は聞いたことあるな、どんなだっけ?と思うと同時に「あ、"君が誰かの彼女になりくさっても"の人だ。奇妙礼太郎のバンドだって。」と恋人が言う。
え。
ずっと奇妙礼太郎って気になっていた。
なんか、気になってた!!
やったー!!!
と言うことで、「天才」なんてつけてしまう彼らのライブはどんな方向性なんだろうと、勝手に期待して高揚したわたしは、すでにさっきよりもワクワクしていたのです。
彼らが登場して、その後のことは忘れた。
忘れるくらいに「天王寺ガール」という楽曲のはじめの歌詞を覚えている。
たった三行、奇妙礼太郎がうたったその瞬間に、わたしは鼻が熱くなって、ああ持っていかれた、と思った。
その日の記憶の中で一番わたしの心を震わした瞬間である。
とにかく格好良くて、そして面白かった。
天王寺ガールで泣いた後はほとんど笑っていた。それも、しっかり声を出して笑った。
あまりない経験で、本当に楽しかった。
天才バンドの繰り広げるやり取りを面白いと感じられたのは、彼らが、彼らの言葉で話しているからである。詳しくは忘れてしまったけど、MCの中で彼らが話す内容は、社会に対しての彼らなりの見解があって、目線があって、そこを隠さないでいてくれるところが、ところどころからそれが滲み出ている感じが、わたしはすごく嬉しくて、だからこそ安心して笑っていられたなと思う。
作品に、音楽に、昇華すると言うことは、真っ暗闇に思える世界でどこにいるかわからない誰かと、あるいは自分自身と、戦う、対話することだと思う。その姿にみんな心打たれているのではないか、と思う。わたしはそうだ。
それはあまりにも恐ろしく、
だからこそ、美しい行為なんだな。
そういえば中学一年生の頃、初めて椎木知仁のいのちを燃やすステージを見た。一人で、後ろの方で見ていたのを覚えている。
ミュージックステーションでbacknumberのボーカルがお薦めしていた「真赤」をYouTubeで聴いて、当時上がっていた他のMVも見て、すぐライブに行ったんだっけ。
その時から何度も彼らのライブに通う中で、教えてもらったことは沢山あって、何よりも大きなことは「ひとは、命を燃やす人に惹かれる」んだと言うこと。
今でもMy Hair is Badが大好きだけど、心打たれる瞬間というのは都度変わっていくんだということも知った。時々、現れてくれる息を呑むようなシーンにわたしは生きる意味を、人生というものの楽しさを、感じているのだ。
スポットライトが照らす
まるで独り言のように、
まるで世界に投げかけるように
彼がうたう
そして、今体を揺らすダンスミュージック。
音に合わせて、勝手に体が揺れて、からだが喜んでいるのがわかる。自然な呼吸ができると、思考もすすむすすむ。
わたしが今求めているのは、なに?
2024年、前半。
情報過多になりがちな頭の中を休めたい時にくるカフェで、ようやく文章が書けた。2024年が始まってからというもの、ずっと忙しなかったけれどようやく、ようやく今日までを振り返ろうと思う。
時々くる、梅田のブルーボトル。
一月末、リール動画が上がってからの1週間はほぼ毎日来ていた。今日もそこに来て、オーツミルクに変更したアイスモカを飲みながら心を落ち着かせる。あの時からここは、既に在るものに目を向けるためにはちょうどよくて、満たされているはずの心を思い出せる場所になっていた。
二月は、DREAMのファイナルステージがあったし、わたしは22歳になった。全然準備できてなくて、みんなの前で泣いたりしたなあと思い出す。
その後のことをよく覚えている。なんばの喫茶店で、一人でスケッチブックに書き殴った。わたしってなんなんだろう。わたしの足元にあるものは、わたしの心の奥底にあるものは、なんなんだろうって、みんながこれまでにくれた言葉を書き出したりした。それから、のんちゃんの歌を爆音で流して、すごく励まされて、自分は最強なんだと持ち直した。単純。でもほんと、彼女の歌声はすごくて、全部どうにでもなる気がしていた。
これが本番2日前だった。
優勝した日のことも覚えてるけど、ここでは書かない。
あと、22歳の誕生日は、ほんとそれどころじゃなく、あっという間に過ぎてった。でも家に帰ったらお母さんが風船で飾り付けとかしててくれて、嬉しかった。笑
三月は、第二回目の01circusがあって、すごい楽しかった。仲間が増えるというのは、いろんな意味で強くなれるなと思う。普段見ないようにしている独占欲みたいなものが現れて、そして、誰かを受け入れると同時に、そんな自分から少し成長を感じたりするんだあ。
そうだ、そうだ。第一回目があったから、第二回目を迎えられた。そして、あの日のみんながいたから、わたしは舞台に立てた。心からありがとう。ずっと消えない。きっと忘れない記憶。
そしてそんな色々が終わったころ、恋人の運転で東京まで行って、途中で静岡のUSHIO COFFEEに寄ったり、江の島に行ったり、すごく大移動だったけど過去1おもしろい2人旅だったな。
東京タワーが、見慣れたつもりだった大都会が、彼と一緒ならこんなにも美しく見えるものなんだなと思った。
選ぶ、ということ
その後は、十日間ほど、和歌山県は紀の川市に滞在させてもらっていた。
ゆったりとした時間が流れるすごくほっとする時間に、わたしの頭の中は、大学を辞めるか、続けるか、休学するか。そんな考えで頭がいっぱいだった。
意味があるのか正解なのか、どうしたらいいのか、こっちでいいのか、全部やめたくなったりしながら、でもどれも選べなかったわたしは、結果的に四年間、大学生を続けてきていた。
高額な学費を前に、もう辞めてしまいたかった。
けど、辞めることを選べなかった自分にもきっとまだ言語化できていないけど確かな理由があって、「辞めれずにいた」からこそ、このタイミングで一つの選択肢が増えました。
そこでようやく選んだのは、わたしの通う京都芸術大学に新設された映像コースに、編入学すること。
京都芸術大学とフジテレビが共同開発した、完全オンラインで「映像」を学ぶ学士課程。なんだか胡散臭い気もして散々迷いましたが、三月のわたしが頑張って、泣きじゃくりながらも毎日必死に考えて、お母さんや叔母、おじいちゃんと話して、決めました。
まだ授業が始まって二ヶ月ほどですが、圧倒的に自分の生活スタイルに合っていて、技術面だけでなくまずは映像思考をからだに馴染ませることのできる良い学びの時間となっています。(やったー!!!!!)
「後悔するかもしれない」という感情は、今手にしているある種の肩書きや安心を手放さねばならない時に現れるんじゃないかなと思う。わたしは、先の見えない将来を不安に思う中で、どうしても、手放すことができなかった。大学に通うということで、なにかしらから守られている気がしていた。
それから、手放しても大丈夫だと思えるほど自分を信じれていなかったんだということにも気づいた。今の自分を信頼して、何かを選ぶということは、わたしが思う以上に、難しいものだったんだな。
紀ノ川で出会った女性と話す中で、わたしは今すごく「辞めたい」と思っていることに気づいた。やりたくないと思っていることを選び続けることで、自分を信じてあげられないことで、どれほど自分を傷つけているのか、よく考えることができた。
だから、もし辞めるとしても、編入して新たに始めるとしても、「自分で選びたい」と思った。そしてもし失敗するとしても自分で選んで、その結果失敗するということも、体験したいと思えた。
だからやっと、「辞める」ということも選択肢に入った上で、わたしは映像コースに行くか辞めるかを悩み始めた。
わたしは映像を撮りたかったし、この映像コースの情報を見漁る中で単純にワクワクしたから、学びたい!と思えたので、出願届を出した。
そんな日々を終え、疲れが出たのか、四月の頭は体調を崩していました。
わかりやすいわたしのカラダ、愛おしいです。笑
ゆっくり過ごす中で、DREAMで優勝したことがようやく現実味を帯び始めて、行きたい国を考えたり、なにを目的にしようか、と考えたりし始めた頃。授業も、楽しい。
公開おしゃべりという、試み。
5月は、高校の頃の先輩にお誘いしてもらって、「はじめまし展」という素敵なイベントへ。初めての試みでしたが、その空間で公開おしゃべりをしたりして。自分にとってすごく大切な体験になりました。
それに、五月末は大好きな友達と愛媛で合流して、数日一緒に過ごした。あれは、なんていうか、映画みたいな時間だった。みんなといる時間は、人生の休暇だね。
松山で住んでいたことがある友人がいて、その子が当時お世話になった人やお店に連れて行ってもらって、その時間もすごく尊くて、大切なことを沢山思い出させてもらった。
四国、すごく好きだなぁ。
そして6月。
半年ほどあたためていた企画がついに本番を迎えて、正直すごく緊張していた。人前で話すことには少しずつ慣れてきたけど、進行役として人に話を振ったり深ぼったりということをするのが意外と難しいなと気づいたり。でもなんやかんや本番は他の登壇者の方の熱量のおかげで、話したいこと伝えたいことがナチュラルに届けれらたように思う。
先月のはじめまし展でやらせてもらった、公開おしゃべりに引き続きこういう機会があって、自分の幅を広げることができた気がして、嬉しい。本当にありがたいなという気持ちでいっぱいです。役割を与えてくれた皆さん、ありがとう。
高知県
それからまた、高知県に行ってきた。一ヶ月経たずして四国に上陸できた。目的はSiMのツアーで、10FEETとの対バンLIVEを見に行くことだった。
深夜に出発して、わたしが寝ている間に高知県についていた。恋人は体力がすごい。一年付き合ってみて、やっぱりすごいな、とおもう。
パン屋さんでパンを買って、食べて、日陰の駐車場に車を停めてお昼すぎまで一緒に寝た。それからライブまで時間があったので、何件か喫茶店と雑貨屋に目星をつけて歩き始めた。
KIKONISISUKOというお店にたどり着いて、これまたすごく素敵な時間を過ごさせてもらった。そこの店主さんと色々な話をして、ライブの後に夜ご飯が決まってないなら、ぜひここに行ってみてね、と教えてもらった。
ライブが最高だった話は置いておいて、勧められた通りCab'sさんへ。ああこの話は長くなりそうなので、いいか。とにかく、最高の夜でした。縁が縁を繋ぎ、また帰る場所ができたような、いやそれはまだ早いかな。もっとこの地を感じたいな、と思えた日。
zineを完成させる。
たくさんのことを経験させてもらって、これまでとこれからの生き方を考えて、私には持ちきれない荷物を下ろし始めている。量より質に、移りつつあるのを感じてる。厳選する、というよりは、今のわたしにできることをしよう、というか。今までやりかけて中途半端になっていたものを一つずつ一旦完成させていこう、としています。
まずは、一冊の本を完成させること。
ずっと作りかけて早めていたzineを今改めて作っています。
日記というかエッセイというか、
どういう名前がつくかはわからないけど
ようやく一冊の本にできそうです。
いや、まだまだ形にはなっていないし、紙を選んだり、印刷会社を選んだり、という作業が残っているのだけど、とても楽しいです。
一人でどこまでやれるだろうかと、挑戦でもありますが、もし「お助けできますよ〜」という方がいたらぜひ、ぜひ、お声がけいただけると嬉しいです。
いつも私の描く文章を読んでいてくれる人は、そこから何を感じてくれてるんだろう。一体その言葉の奥に、何を見ていてくれるんだろう。
わかんないけど、私にできるのは
私の中で今にも形を無くしそうな、モヤのような、
でもすごく大切な刹那の感情を書き留めること。
そうだよ。ことばを、諦めないでよ、わたし。
やり切るぞ、楽しむぞ〜
そんな気持ちで、六月後半を過ごそうと思います。
せっかくだし、何かしらの作品を作る誰かと、どこか自然の中にでも引きこもろうかしら。。
2024 年後半に向けて
久しぶりに、to doを書いてみようと思う。あ、うーん、違うかな?やらなきゃ、じゃなくてやりたいこと だ。Want to do!
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