朝が来るとき、一人でよかった。
この夏、自分を、からだを犠牲に頑張っていたことを知っている。そのツケのようなものは数ヶ月遅れで来るどころか、毎月のように高熱が出て、最後は声も出なくなって、そんなにしてでも頑張ろうと決めた自分がいた。
女はつよいなんて誰かが言ったけど、あまりにも脆く、簡単に消えてしまいたくなることも知った。辛い時、そばにいて欲しい人って、わたしの大切な人だから、だから、言えなかった。
心配も、不安も、迷惑も、かけたくなかったのを覚えている。だけどこのまま自分を殺し続ければ、いずれ死にたいと思う自分を想像できたから、助けてあげたかった。それでも、本当のことを話して傷つくのは怖かったし、見放されたくはなかったんだ。
生活リズムさえ整えば、自律神経が乱れなければ、ほとんど悪化しないんだろうと言うことは分かっている。でもまあ、なんでも原因を探せばいいということでもないらしい。
そう言えば、わたしは朝日が好きだってことを知れた夏だったよ。それならまた早起きする日々に戻っていきたい。
あの子は夜を纏っていると思った。
人によって浮かぶ情景は違うなと最近考えてる。
身にまとう色というか、温度とか湿度とかって、全然違っていて、
あの子は深夜が似合うし、月だとか、雨とか、緑の多い地とか。
わたしは朝かなと思う。
だから、自分には朝を生きろと言いたい。
朝、昼、夕方、1日に三件ほど予定を入れるのが普通になっていたけれど、9月に入ってからわたしはダラダラ、ダラダラ、家で過ごす時間を楽しめるようになりつつある。
けど、朝6時に起きて、散歩に行って、9時ごろ近所の喫茶店へ行くルーティーンはとても豊かなものだ。誰かと会って話して、その人の目を借りて世界を見たときに、いろいろと気づく。その後一人になって思考したり、文字を並べるのが堪らなく好きだ。
それを分かっていても、夜遅い生活を重ねるにつれ朝をあきらめるようになっていた。それは自分で決めたことだったから、満足もしていた。今年の一月からなんとなく、夜を生きようと思った。というか、今しか無理できないんだろうなと思って、睡眠時間を削っていた。
求めているものを手に入れるための犠牲が、そのために手放すものが、今回は朝だったらしい。今しかできないからとそんな風に言い聞かせてみたけれど、わたしはやっぱり諦めたくなかったんだろう。だからこんなにも涙が出るんだろう。
手放すという行為を恐れたのは久しぶりで、8月末で辞めると決めたことを、今になって辞めないでいようかなとか考えたりしている。
でも、眠れないんだ。体は正直で。自分の喜ぶことをしてあげなきゃ、いつまでも満たされるはずがない。自分を傷つけ続けるのはやめたい。
全てをさらす勇気は無いけれど
たすけてほしい、と友人に言ってみた
やめても大丈夫だよと、君なら平気だと、言ってほしいと言った
最後は自分で決めなきゃ進めないことを知っているし
もう決めているはずの自分を見つめながら、後押しを求めた。
「フェードアウトするのは簡単だけど、やめることを決めるって難しいよね。」と寄り添ってくれたね。ありがとう。
未来を信じたい。いや、信じている。
きっと彼らも、
わたしを
未来を
信じてくれてる。
行きたい方へ足を踏み出したい。顔を向けたい。
8/30
どうして涙がでるんだろう
自分で選んだのに
傷つけてくる人なんて
今すぐさよならしたいのに
どうして許してしまうんだろう
私なんて見てないの、知ってるのに
大切な人ができた
たぶん最後の人なのかも
最初から信じてた
君が笑うのならば
ぜんぶ無かったことにしよう
最後まで信じてて、くれるかな
わたしが泣かなきゃいい話
どうして涙が出るんだろう
自分で選んだ道なのに
どうして涙が出るんだろう
そんなの分かってるよ
君といたいだけなのに
9/19
段々空が明るくなっていくなか、わたしはまだ一人だった。というか、ようやく一人になれたところだ。これからまた歩いていく。
小さく、深く、呼吸を整える。
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