他人の成功論になぜ従うべきではないのか

人間には様々な属性がある。


「この人はああいう属性」「あの人はこういう属性」みたいな意味じゃない。

一人の人間の中に、沢山の属性があるという事だ。


人や物に執着しやすいタイプか、あまり執着しないタイプか。

臆病なタイプか、あまり怖がらないタイプか。

身体は強いか、平均的か、あるいは虚弱か。

親は優しく子供の気持ちを汲もうとする人間だったか、それとも子供の気持ちを無視して「自分の考える理想」を子供に押し付けるタイプだったか。

わりと色々キッチリしたいタイプか、面倒くさがりなタイプか。

キッチリしたい場合、神経質なレベルで気になっちゃうタイプか、それなりにキッチリしてればいいやくらいの感じか。

外出を億劫に感じるタイプか、むしろ休日に家にいることを苦痛に感じるタイプか。

外出が億劫な場合、それは身体の健康的な面で不安があるのか、精神的な理由で苦痛なのか。


まだまだ沢山ある。挙げればきりがない。

その人個人の特性。

最新の研究データでは覆った感があるけど、少し前までは人間の特性というのは生まれつきの性質が70%、育った環境や経験が30%程度、その人の人格に影響を与えるとされてた。

覆った最新データを参照すべきか少し悩んだけど、正直そこは僕の提言の本質にあまり関係がないから、今回は個人的に、慣れ親しんだデータを参照することにする。

なぜ生まれつきの性質が人格の70%を支配すると言われてたのか。

人間は多くの事を脳で考える。

厳密に言うと「実は腸でも思考してる可能性がある」という研究データや、「何気に皮膚の細胞が実は外界を認識・知覚してたり、それ以外の細胞も「思考する」機能が備わっていて、実際に思考しているような動作をみせている」という研究もあったりする。

それらはまだ確実なデータではないし、科学の世界って常に「こうだと思われてた事が実は違いました!」みたいな感じで数年おきに情報が覆るから、必ずこれが正しいっていうのは正直あまりない。

そしてこれも僕のテーマ的にはどうでもいい。

脳であれ腸であれ皮膚であれ、「思考に作用する原理が備わっている」という事が重要だからだ。

で。

脳の前側の方に扁桃体という部位がある。

この部位は人間の理性・抑制を司る部位で、この扁桃体の働きが活発な人は我慢強く理性的、困ってる人を助けたり英雄的な行動をしがちなのも、やっぱり扁桃体の活発な人だったりする。

逆に扁桃体の働きが弱いと、我慢力が弱く、自分の欲求に流されやすい、何かを判断する時、利己的な判断をしがちで、往々にして犯罪に走るケースもある。

実際、自分の身を危険に晒して人を助けたりする人達の脳を調べると、ほとんどの場合扁桃体の働きが平均より活発だったという研究データがある。

逆に、再犯を繰り返す凶悪犯罪者達の脳を調べると、やっぱりほぼ全員扁桃体の働きが平均より鈍かった、という研究データもある。

エビデンスについて参照元の研究論文を全部載せてくときりがないから載せないけど、全部ネットで調べればすぐ出てくるから、気になる人は気になった部分だけ各々自分で調べて欲しい。


つまり、「犯罪を犯しやすいか、英雄的な人助けをしたがる人間か」はほぼ扁桃体が司ってると言える。

もちろん扁桃体の働きの弱い人が全員犯罪者になるわけじゃないし、扁桃体の働きの活発な人が、全員英雄になるわけじゃない。

文章の序盤で「人間の内包する属性」を沢山あげつらったけど、そういう様々な特性が複雑に絡んで人の行動は決定されるから、「扁桃体だけ」が人間性を左右するわけじゃないってこと。

持って産まれた気質が70%、後天的な環境で変化する部分が30%と言われてる理由。

で、最新の研究では実は30%よりもっと多くの部分が、境遇や後天的な要素で変化するんじゃないかと言われてるわけだけど、だからといって「100%後天的な要素だけで人格が形成される」ってわけではなく、「先天的な脳構造による気質と、後天的に植え付けられたものが合わさって人格は形成される」という部分は同じだから、どちらのデータを参照しても僕の提言には差し支えないという事だ。


あまり主題を先延ばしにすると「で、何が言いたいの?」ってなっちゃうと思うからまずタイトルの「これを実践すれば必ず成功する10の法則」みたいなのがなぜ役に立たないのか、について。


上記の通り、人の特質というのは、何百、何千もの属性が複雑に掛け合わさって形成されている。


生まれつきの免疫疾患で外出すると体調が悪くなる、だけど脳の構造的には外出を好むタイプだったり、


生まれつき扁桃体が小さく、元来の性質的には利己的、わがままなタイプだけど、子供の頃から大好きで尊敬する人物がものすごく徳の高い人物で、自分もそうなりたいと常々思って生きてて、我慢力がめちゃめちゃ鍛えられてる人だったり(この場合、生まれつき扁桃体が大きく先天的に忍耐強いタイプとは別種の、特別な忍耐力が備わるケースが多い)、


本来はガンガン行動したいタイプなのだけど、親が子供を縛り付けるタイプで、「やりたいこと」をやろうとすると頭ごなしに怒られて育って、恐怖で萎縮しちゃって、「自分の意思を発露すれば最愛の親に否定され拒絶される」という強烈なトラウマが植え付けられて、生まれ持った脳の性質を発揮できない人だったり。


あらゆるケースが考えられる。

例えばこれを読む人に、この文章の序盤で書いた「属性」を全部シートに書きだしていってもらったら、全員全く違う内容のシートが出来上がる。

普段仲が良くて「自分たちは似てる」と思ってる友人同士、だけど上記の問を増やした「属性シート」に記入いただくと、実は一つ一つの属性で見ていくと全く全然似てない、むしろ真逆のタイプなのに、それらが複合的に合わさっていくと結果的に似た者同士になる、みたいな例も沢山ある。


何が言いたいのか。


人間ってほんと、千差万別なんだ。

これはただの四文字熟語じゃない。

本当に文字通り、「千差万別」なんだ。

1000人いたら1000人、全員違う。1万人いたら1万人全員違う。

あたり前のことだけど、人は全員、みんなが思う以上に、かなり、違う。


だけど人は大きな枠で物事をカテゴライズしたがる生き物。

「こういうタイプの人」「ああいうタイプの人」


「こういうタイプの人は、この方法を実践すれば成功できます」


僕が上に書いたこと全部3回読み返して、本当に、それが有効な効力を発揮すると思う?


中にはいるだろう。

その著者の意図する属性に全てが当てはまってて、彼の言う「これをやれば成功できる!」がぴったり当てはまる人。

だけど一番危険なのは「部分的に当てはまる人」だ。

部分的に当てはまっちゃうから、「この方法は自分に適してる。きっとこれをやれば成功の近道になるはず」と「錯覚」してしまう。

僕は個人的にこれ詐欺としてもっと糾弾すべきなんじゃないかと思うくらい危険な事だと常日頃考えてる。

なぜ危険なのか。


上で書いた通り「一見すごく似たもの同士なんだけど、こまかく属性分けシートで確認していくと、ひとつひとつの属性は、実は全然違う値を示してる」というケースが実はものすごく多いから。


本当はその本で書かれてる方法論は全く適してない、むしろそれを参照にしたら成功から逆に遠ざかる、下手すれば会社クビになったり精神病んで人生破滅するレベルで失敗しかねないのに、「これだけ守れば成功するはず」という刷り込みが引くに引けない状況を作り出して、「いや・・・思った以上に辛いけど、でもあの本で書かれてた通り、忍耐は何より大事だ・・・ここを凌げばきっと本の通りに成功が待ってるはず・・・・・」


・・・どうなると思う?

最悪の場合、最悪の事になる。

「これをやれば絶対成功する」系の本。

この危険性についてちゃんと書かれてる本、少なくとも僕が見た限り1冊も存在しない。

薬で言えば「副作用」の部分。

「こういう方の場合、こういう副作用が出る恐れがあるので、使用の際は医師にご相談ください」

教則本には1行も書かれてないの。

ただ「この薬は万人に絶対効く、最高の万能の薬なんです!!!!!」と書かれてるだけ。


その著者は実際それで成功したかもしれない。

でもそれって「サンプル数1」なんだよ。

100万人を対象に数十年単位で経過を追ってデータを取ったわけじゃない。

一人の人間が、一度成功しただけの方法論。

本当に信頼する価値があると思う?

その危険性、あなたには正しく認識できる?


人間には、とても一言では語れない多種多様な属性がひとりひとりにそれぞれ備わってる。


大事なのは自分の属性を出来る限り詳細に把握すること。


あなたが面倒臭がりなら、それはただ単に「そういう性格だから」じゃなくて、例えば身体は健康なのか、病弱なのか、免疫力は人並みにあるのか、ないのか、コンプレックスやトラウマ、幼少期の親の教育に歪みがなかったか。

なにがあなたを「面倒臭がり」にさせてるのか。

身体的な理由で、何かをするのに人一倍労力を要する人に、精神的合理主義だけに従って「こうすれば面倒臭がりが治ります!」を実践させたら?

多くの場合病状が更に悪化して、精神的にもより一層悪い状況に追い込まれる事になる。

特に生まれつきの免疫系の軽度疾患は自覚がない場合が多く、例えば長時間外出したり立ち仕事をしてると体調が悪くなるような場合、生まれつきそうだからそれが当人にとって当たり前になってて、病気だと自覚もしてなかったりする。

自分では自覚なくても、身体は免疫不全によって様々な菌に侵食されていて、当然抵抗反応を示し、つまり菌と免疫が戦ってる状態が慢性化して、常にだるい、めんどくさい、しんどい、って状態になる。

そういう人に必要なのは「こういう考え方をすれば絶対成功できます!」なんて本じゃなく、免疫を改善する食生活だったり、長時間の外出、長時間労働を回避できる職業選びだったりする。


人間にはそれぞれ無限の特質があって、無限の可能性があるのに、それをたったひとつの例にあてはめて、一つの結果に導こうとするのが世間一般で語られる「成功論」。

あなたが成功するための方法は、あなたが自分自身についてより深く学び、あなた自身が導き出すしか無い。

それを助けてくれる類の本ならどんどん読んでいい。

だけどそういうちゃんとした本の表紙には「これだけ守れば絶対人生が上向く」みたいな安易な事は絶対書かれてない。

むしろ純粋な研究論文の方がよほど応用が効くし、成功の糧になる。

そして「自分の特質は厳密に分析するとどういうもので、どれが本当の意味で適してるのか」を正確に洗い出すこと。

それをしないと絶対に間違った方法論を掴まされて見当違いの努力に無駄な時間と金と労力を支払って、人生損する事になるから。


そしてこれは子育てにも言えることだ。


英才教育はほとんど効果が無いらしい事も最近の研究で明らかになってる。

英語のヒヤリングに限っては幼少期の方が脳の対応が早いらしいから英語だけは小さいうちからやったほうがいいのは確かだけど、それ以外の英才教育と呼ばれるものは、実はそんなに効果がないっぽいことが、実際に英才教育をされた子供と、そうじゃない子供のその後の人生を追うと分かってくる、という研究データ。


子供にも当然、無数の属性がある。

一人の子供が何百、何千の属性を内包してる。

その属性をできるだけ多く、正確に把握してあげることが何よりも肝要だ。


そこを無視して「こういう教育が正しい」とか「子供にはこれを与えるべき」とか「子供をこう育てたい」みたいなのを優先させる親は残念ながら非常に多い。


結果どうなるのか。

子供の本当の属性が削られて、本来の属性と違う部分ばかり水増しされて、

「ある程度何でもできるけど、何をやってもすぐ頭打ちになって大した結果が出せない大人」になるか、


もしくは自分の特性を親から抑圧され殺されすぎた為に、強烈な自己無能感に常に支配されて無気力人間になっちゃったり、強烈な反発の意識ばかりが増大して反社会的な人間になってしまったりする。


「親のせいで」


「人のせいにするな」


でも「誰かのせい」って実際あるんだよ。


人の人格は環境と経験でかなり変わるから。


「責任」はちゃんと持とうねって話。


「誰かのせい」という考え方じゃなく、どこに責任の所在があるのかを正しく認識すること。


親は子供の一番重要な時期を、一番親密な距離で接する存在。


あなた達が子供の「無数の特性」に対してどれだけ真摯だったかで子供の性格、物事への受け止め方は大きく変化する。


「うちの子供はこういうタイプだから」じゃなくて。

100個、1000個、より厳密に精査すれば1万を超える属性をその子供は持ってる。

そのそれぞれの属性を一つずつ正確に認識して、「おおまかにいうとこういう性格だから」みたいに短絡的に大別せず、「こういう部分はこうで、ああいう部分はああで、でも身体的な性質で、生まれつきの気質に相反する部分もあって、でも本人的にはこういう感じっぽいから、そこはそれを優先させよう」みたいに常に親の側が複合的な目線で子供を受け止めてあげることが本当に大事。


「うちの子供はこうだから」


親がそう口にした時、子供の成長過程で、子供が親から得られるものは酷く限定されてしまうのだということ。


僕が苦言を呈してるのは世に氾濫してる成功論以上に、教育論の方だったりする。


もちろん大人になってからでも性格や気質は変化させていける。

それもやっぱり最近の研究でそういうデータが出てる。

人は存外いくつになっても性格を変化させられるらしい、という研究データ。


だけどやっぱり子供の頃の事はとても大事。


だって、子供にとってそれは、人生の節々で思い返すことになる、とても大きな意義を持つ、大切な思い出だから。


僕がここで書いてるのは「教育論」じゃない。

「あなたが読んだ教育論に縛られないで」とただ重ね重ね綴ってるだけ。


正解はあなたの子供の中にしかないんだから、それを直視する以外に正解なんてどんな本にも記されてないのだということ。


もしあなたの子供が発達障害や先天的な病気を持っていたとして、本当に子供の事を細部まで観察して、子供の心情、気質、性質、特質、才能、その多くを察知出来たなら、本当にするべきことは「病名を与えること」なんかじゃない事に気付くはずだ。


もちろん「子供の状態を正しく認識する」上で正確な病名を割り出して、適切な対処を取ることは当然大事。


だけどそれがゴールじゃないという事。


病院で診断を貰って、発達障害の子にはこういう環境と、こういう教育が適切です、で終わりじゃなくて。


その子には必ず「発達障害でひと括りには出来ない部分」があるはずだから、それをどれだけ多く見つけてあげられるかが大事。


そしてこの一般的な教育論へのアンチテーゼはそのまま大人向け成功論へのアンチテーゼにも帰結する。


上でも少し書いた、「人間の性格は、どうやら大人になってからでもかなり変化させられるらしい」という点。


人は変われる。


だけど方法論を間違えれば当然悪い風にも変わってしまう。


20代の頃は夢に一途な働き者だった青年が、40代では自分に見切りをつけた自堕落人間になってるケースなんて山程ある。


たくさん頑張った人ほど、頑張りが報われなかった時、自分自身に失望して生きる意欲を失くしてしまう。


あなたが手に取った「成功論」が本当にあなたの助けとなってくれるのか。


20年後、あなたを「失敗して燃え尽きて、自分を信じられなくなった廃人」にしないと言い切れるのか。


その本の内容を実践する前に、あなたはあなた自身をもう少しよく観察してみるべきではないか。


別に「慎重になりすぎなさい」と言ってるわけじゃない。


時に大旦な決断も必要なのが人生。


だけど決断をするべきなのは「今、そこでいいのか」ということ。


自分の翼がどういう形をしていて、自分のエンジンがどの程度の馬力で、自分のハンドルはどの程度の力で自分の進行角度を変化させられるのか、そこにどの程度負荷を要するか、車体に綻びはないか、それは初期不良による破損か、衝突による破損か。


あなたの目標は、本当にあなたの「心」が望んだものなのか。

マスメディアに刷り込まれて、植え付けられた美意識だったりはしないか。

もし夢を実現出来た時、よく売れたアーティストが口にする「自分が想像してた成功と違った。こんなはずじゃなかった」にはならないと言い切れるか。

あなたはあなた自身をどれだけ正確に把握できているか。


正確な進路を割り出せているか。


人生全体を大きく左右する問題だ。慎重になって損はない場面だと思う。


「悔いのない人生を」


自分が送るために、子供にそれを選択させてあげるために。


一体何が必要なのか、何が不要なのか、今一度精査してみるべき機会を必要としてる人は少なからずいると思う。

ギアを最速に入れ、フルスロットルでアクセルベタ踏みするのは、自分自身の性能と特性をなるたけ正確に認識した後の話。

そうすれば分相応の結果は自ずとついてくる。

チートを使って分不相応な成功を叩き出したところで、一瞬テレビに出まくって1年後には消えてる一発屋芸人みたいな悲惨な事になるだけ。

そういう、最大瞬間風速に人生懸けるような生き方を否定するつもりもないけども。

それが本当に心から望む生き方なら、それもそれでかっこいい。


「自分探しの旅」みたいなのが冷笑的に小馬鹿にされてたりするけど、自分を正しく把握できてない人達ほどそういうものを嘲笑いたがる。

その人がどんな人なのか、細部を知ってるわけでもないのに平気で見下して馬鹿にできる人達にあなたはなりたいのか、そういうナチュラルに何かを見下して生きてる人達と一生連れ添いたいのか、ということ。


成功する人達は、物事を深く考えない人達の嘲笑に耳を貸さない。


無論、真剣に洞察した上で放たれる指摘には「改善案」として誠実に耳を傾けるけど。

自分自身を理解してれば、どれがただの罵声で、どれが改善案なのかくらいは選別できる。


結局、大概の事は自分次第。

どうにもならない事だらけだからこその自分次第。

今許された今日これからの選択を、自分自身がどう転がすか。

選べるもののうち、どれを選ぶか。

その累積の上に、本来選べなかったはずのミラクルが突然発生する事だって稀によくあること。


だけど総括的に見れば、それは突然降って湧いた幸運なんかじゃなく、自分の選択と行動の連鎖が手繰り寄せた、因果に即して発生した奇跡なのだということ。


成功ってつまり多分そういうこと。


教育ってつまり、子供たちにその法則を示してあげること。


よい終末を。


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