魅惑の人
私は中堅企業で働いている48歳のサラリーマンだ
役職もあり、妻と一人息子と3人暮らし
妻とは見合いで結婚した
特に可もなく不可もなく
専業主婦として家庭を守っていてくれる
そこには感謝している
しかしその当たり前の幸せがひどくつまらなかった
単調に繰り返される毎日がとにかくつまらなかった
妻が望むままに子供を作り、妻子を養えるほどに働き、給料を全部妻に渡し、小遣いを貰う
と言っても酒もタバコもギャンブルもしない
妻に持たされた弁当があるから他に使い道もない
休憩に飲むコーヒー代があれば良い
使わなかった小遣いは貯金
趣味も無い面白みの無い俺に誰も話しかけては来ない
ましてや飲みに誘う事も無い
単調で実につまらない人生だった
彼女に会うまでは
新しく入った新入社員の彼女
特別容姿が美しいわけでもおしゃべりが得意というわけでもない
彼女の魅力はその白く長い首
髪を結った彼女の白いうなじ
そこからなだらかな線を描く白い首
そこに惹かれた
彼女とは仕事上の上司と部下であった
どんなに魅力的な首であっても彼女はまだ24だ
俺のようなおっさんに告白されても不愉快なだけだ
ましてや昨今はセクハラにも厳しい
俺はただ遠目から彼女の首を眺めていた
そんなある日彼女から告白された
「部長が私の事を見ているのに気づいていました」
このままではセクハラで訴えられてしまう
焦った俺は彼女に謝罪し、弁明した
側から見れば滑稽な光景だろう
良い年をした男が小娘にペコペコと頭を下げている姿など
彼女は違いますと訂正した
「私の首を愛してくれているのですよね?」
彼女にとってその首は自慢のパーツだという
「私の母も首の長い美しい女性だったそうです。父は母の首に惚れたそうです」
確かにその美しい首には魔力が宿っているような美しさがあった
丸でそう、それは美しい白磁の花瓶のような
そこに赤い花びらを押し付けたくなる
白い首に俺の醜い唇を押し付け、痣を残したくなるような背徳感
彼女はそれを知ってかしらずか微笑んだままで
「部長が私の首を見ていてくれるのが嬉しかったんです」
それだけ言うと彼女はその場を去った
顔から火が出ると言う揶揄の通り私は額から汗が吹き出し、顔面が熱くなった
自分のさもしい姿に恥を持ちつつも彼女が愛おしくなった
しかし、俺は既婚者の身
不倫をするほどの勇気も無い
かといって長年連れ添った妻にも未練がある
悩み抜いた挙句
彼女とはセカンドパートナーという道を選んだ
肉体的関係は無く、ただわずかな逢瀬を楽しむだけの関係
休みの日のほんの1〜2時間彼女の部屋で静かに過ごす
妻には散歩だと偽った
健康診断での肥満が出ていたので妻はあっさりと信じた
俺は彼女の首を眺め
あらゆる妄想にふけこんだ
彼女の白い首に唇を押し当て、舌で彼女を味わう
時に歯を立て、首に手をかけるなどの背徳の時間
携帯のタイマーが鳴り、時間になったことを知る
今日も彼女との時間は終わった
立ち上がった時に不意に見えたベランダの植木鉢
「朝顔か何かかかい?」
この時期に育てる植物といえば朝顔しか思い浮かばない
「夕顔です。成長したら夕方に真っ白な花を付けます」
彼女が愛おしそうに見つめる
「僅かな時間のみに咲く朝顔のような儚い植物です」
「夕顔か。源氏物語のようだな」
光源氏と僅かな逢瀬の後、生き霊に取り殺された儚い女性夕顔
「部長との時間が終わった後に咲いて萎んで行く」
彼女の首越し
俺の知らぬまに咲く花を見たくて、俺は彼女から種を分けてもらった
「緑のカーテンになったりしてな」
知人から貰ったと説明し、育ててみた
成長するごとに彼女のような愛しさが増してくる
世話をする俺の背中に
「何かこの朝顔の親戚?家を侵食してくるみたいで怖いわね」
妻は不気味がっていた
「植物がそんなに侵食するわけないだろう」
俺は笑ったが、妻は何故かこの昼顔に恐怖していた
やがて夕顔は夕方になると真っ白な花を咲かせるようになった
「綺麗だなあ」
花なんかに興味はなかったが彼女の夕顔だと思うと余計に愛おしさが増す
「ツルの時は不気味だったけど花が咲くと綺麗だわ」
妻もいつの間にかこの夕顔の虜となっていた
しかし
「その夕顔って誰から貰った?キモいんだけど」
高校生の息子だけは違う感想を持っていた」
「父さんの会社の部下からだ。綺麗な花が咲くと聞いたんだ」
正直にいうと
「そのツルの隙間から首の長い女が睨んできてキモい」
息子に言われどきりとした
彼女の事を何か知っているのだろうか?
「いやねえ。気持ち悪いことを言わないでよ」
妻が息子を嗜める
「ホラー映画の見過ぎじゃないか?夜中にトイレに行きたくても怖いからって父さん達を呼ぶんじゃないぞ」
からかい混じりでそう言うと
「もうそんなガキじゃねーよ」
息子は不貞腐れて自分の部屋に行き、俺と妻はその様子を見て笑った
そうだ
怖がりな息子の妄想だ
「部長」
ツルの間から聞こえた彼女の声もきっと
「部長、部長のご家族って楽しい方々ですね」
翌日彼女が俺に耳打ちしてきた
「優しそうな奥様に、部長によく似た息子さん。凄く幸せそうです」
「君はうちの前を通ったのかい?」
言ってくれれば家の中に出迎えてお茶でも出したのに
と笑う俺に反し
「夕顔のツル越しに見えたんです。部長の家の団欒の様子が」
彼女は微笑を浮かべたまま答える
「と言っても夕顔の花が咲いている僅かな時間でしたが」
確かにその時間、息子は彼女の姿を見たと言っていた
「私の両親は父の不倫が原因で離婚してしまったので部長のようなご家庭が羨ましいんです」
楽しそうな彼女
「あんな素敵な家族がいるのに私と過ごすだなんて贅沢な人ですね」
「君にはそう見えるんだろうが、実際は夫婦の関係なんてないに等しいよ」
ただ惰性で一緒に過ごしているだけだと説明する
「夫婦円満ならセカンドパートナーなんてものは求めない」
そうだ
俺は彼女との関係を持ったのは現状がひどくつまらないからだ
「君が嫌ならこの関係は解消しよう」
あの美しい首は名残惜しいが
そう言った俺に
「いいえ。いいえ。私は部長と一緒に居たいの。私を癒してくれる部長が好きです」
思った以上に彼女は俺に依存していた
そして
「すまない。残業になったから先に飯を食っていてくれ」
俺は彼女と一夜を共にした
だが一夜限りだ
彼女に首以外の魅力はなかった
飯も性行為もイマイチ
いや、最悪の相性だ
彼女も俺の気持ちに気付いたのだろう
「部長、ありがとうございました。セカンドパートナーも解消してください」
無表情のまま別れを告げ、2ヶ月後には会社も退職していった
正直彼女と別れてから彼女の首もみりょくてきには見えなくなった
やはり手に入らないからこそ美しく見えたのだろう
なんの取り柄も無い地味な小娘
何故あんなに夢中になったのか分からなかった
あれほど熱心にやっていた夕顔の世話もしなくなり、今猛暑で夕顔もあっという間に枯れてしまった
「もうお父さんてば飽きっぽいんだから」
文句を言いながらも一緒に夕顔を片付ける妻のうなじ
「きゃっ!なんですかもう!」
妻が悲鳴を上げる
無意識に妻のうなじに触れていた
「いや、虫がいたんだ」
慌てて誤魔化す
妻のうなじが彼女のうなじに見えたのだ
「あれ?母さん少し痩せたか?」
「いいえ。それより自分が枯らしたんだからさっさと片付けなさい」
文句を言う妻に謝罪し、片付ける
確かに妻の首が伸びて彼女の首と同じように見えた
あの美しい首に
「父さんどうしたの?人の首ばかり見て」気味悪そうにポレを見る息子
「いや、何かお前達の首が伸びているように見えたから」
「何それ?お化けじゃ無いんだから」
熱中症の幻覚じゃないの?と笑う妻と息子
彼女らの首が伸び続けていkる
いや、会社の連中もだ
動物のきりんのように伸びていく町の人々
自分の首だけが伸びていない
「部長、あなたの大好きな首の長さですよ」
「ろくろ首の様な長さの彼女が笑い続ける
俺の体に巻きついたまま笑う
「部長、あなたのことが好きです」
俺の体に巻きついた彼女が笑い続ける
その時、会社の電話が鳴る
出てみると警察で
彼女が自宅で首を吊っているのを発見したという知らせだった
「彼女のご家族の連絡先が知りたいのですが」
話しかける警察の声が遠くに聞こえる
「部長が首の長い私が好きだって言うから思いっきり伸ばしたんです」
首にロープをかけた青白い彼女が笑いかける
「ああ、君は誰よりも美しい」
彼女にキスをする
俺はすっかり彼女に魅了されてしまった
ユウガオの花言葉
はかない恋
夜の思い出
罪
そして
魅惑の人
終わり