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行商と不便益から見える「人間の本質」について
みなさんこんにちは!フルーツボーイ中村です。
私は東京都内で35万人果物を行商で売ってきた人間です。
現代人にはなじみがないかもしれませんが、いわゆる
「歩き売り」
をしている人間です。詳しくはこちらの動画を見ていただきたいのですが、、
この仕事を紹介すると、皆さん口をそろえて
もっと効率の良い売り方あるでしょ。
重たいのによくやるねえ
とあまり良い反応をしてくれません。。泣
まあまあ、理解はできます。
世間の反応とは裏腹に、私はこの売り方で10年以上果物を売り続けています。
実は私、大学時代に哲学を専攻していたことから、人間の本質についてものすごい興味があり、幸か不幸か、その興味が没頭レベルまで深くなってしまいました。大人になってからは、人間の本質に触れられる仕事はないかと、、探した結果、たどり着いたのがこの行商という仕事でした。
だから、毎日200人以上の人間に会うこの仕事は、哲学好きの私からするとまさに天職。人間に会うことは研究サンプルを集めていることであり、私にとっては日常なのです。
さて
そこで今回は、行商から見えた「人間の本質」と私が最近気になっているテーマ「不便益」から見える「人間の本質」についてそれぞれの共通点と、これからの展望について話してきます
それではスタート!
「不便益とは」
まずは不便益について。
不便益とは、名前のとおり
不便だからこそ、利益があることです。
例えば、富士山を登るとき、大変ならばエレベーターを作って頂上まで行けばいいじゃない、と言われても私たちはエレベータには乗らないでしょう。
登ること自体は疲労するし大変、つまり不便なはずなのに、おそらく自分の足でせっせと登ることを選択するでしょう。むしろ、汗をかいて、時間をかけて登る過程に価値を感じる。筋肉の疲労が心地よかったり、仲間とともに励まし合いながら登る、苦労を乗り越えて頂上に到達することが快感。そんなところに価値を感じたりします。
他にも、キャンプで作るカレー、DIY、家庭菜園など、手間がかかるものほど、価値を感じる事例はたくさんあります。
マーケティングの視点からすると、「あえて未完成にしておき」最後1ピースをお客様に仕上げてもらう、という商品もあります。マックのシャカシャカチキンやIKEAの家具などがヒットしているのはまさにそこ。
私はこの不便益から、実は人間って
不足を埋めることに価値を感じる生き物かも?
というイメージを持ちました。完成されたものを渡されると、うれしいのだけれど、何か物足りない。自分がそこに関与していないというかなんというか、
行商から見える「人間の本質」
一方で私は、10年以上にわたり、たくさんの老若男女に会って人間の本質を探究してきました。
35万人以上の人間に対面してたどり着いた結論は
人間の本質は
「貢献したい生き物」ということです。
行商の場合、突然声をかけることで、相手に一瞬の驚きを与えてしまうのですが、アイスブレイクができれば、私のことに興味をもってくれます。
そして、こちらからオープンに話し続けると、あるタイミングで私のことを受け入れてくれる瞬間が訪れます。
それはなんとも表現しがたいのですが
受け入れてくれた感というか
存在を認めてくれた感というか、、
購入の有無なんてどうでもよくなるくらい、大きな満足感を得ることがあります。
私はこのことから、人間は根源的に
人とつながりたい生き物
人の役に立ちたい生き物
、、、
である、と想像しています。
さらに言うと、行商のおかげでその特徴が加速的に見えやすくなっている気がします。
重たい果物を持ちながら、懸命に一人一人に声をかけている、断られても足を止めずに続けている、すると
一度断った人が、近づいてきて
「お兄さん、さっきからずっーと頑張っているから」
と、購入してくれたりします。
私が相手にどのような影響を与えたのかはわからないのですが、このような事例は珍しくありません。
私はこのような感覚をまとめて、人間は
「相手に貢献したい生き物」
と定義しています。
両者から見える「人間の本質について」
さて
不便益からは
不足を埋めることに価値を感じる生き物
行商からは
相手に貢献したい生き物
という二つが導かれたわけですが、これを組み合わせれば
困っている人(不足)がいたら助ける(貢献したい)生き物
という風にならなりませんかねー?
、
、
、
なるはず。
ふむふむ
これが人間の本質??
私の主観が多分に入っていると思うので、是非、皆さんのご意見を伺いたいのですが、
仮に
「困っている人がいたら助けたい」という性質をすべての人間が持っているのであれば、
なぜ人間は
困っている人がいても、見て見ぬふりをするのか?
夢追い人に「できないよ」と言って足を引っ張るのか?
。
。
。
最後に
私が導いた「人間の本質」から考えると、、
現在の世の中に起きている現象と明らかに相反しています。
経済に困窮している人
人間関係に悩んでいる人
自分の生き方に悩んでいる人
、
、
、
昔と比べて増えている気がします。
「困っている人を助けたい」人たちの社会なのに、困っている人が量産されている、、、
なぜ全く逆のことが起きているのか。。
行商を通じて、人間は貢献したい生き物である、と体感している私にとっては、かなりショッキングな出来事です。
この社会の矛盾をなんとかせねば。
私は自身の考える性善説で、社会の構造にメスを入れようとしています。
良かったら私の活動を追ってください。