同人活動をしている人の〝当たり前〟の水準が高すぎる件
こんにちは、ほうりです。
今回は、同人活動やっている人の当たり前の水準が高すぎる件という内容についてお話していきます。
同人活動を始めて30年ほど経ち、様々なジャンルを渡り歩いてきたり、ココナラでのサービスを提供するために色々とリサーチをしたり、実際にお客さんからの悩みをお聞きしていると、
読んでもらえて〝当たり前〟
イイネが貰えて〝当たり前〟
感想が貰えて〝当たり前〟
出した本は完売して〝当たり前〟
という、〝当たり前〟を前提条件にして活動してる人が多いなという印象を受けました。
そしてその悩みは30年もの間、悩んでいる人の数は引かず、それどころかSNSの発達によって顕著になってきたなと思います。
昔の私もそうだったから分かりますが、これらの〝当たり前〟を常に持ち続けて同人活動をするのって、モチベーションややる気は確かに湧くことは湧きます。
ですがそれ以上に心が削られてしんどい気持ちのほうが圧倒的に多いです。
同人活動を知った14歳から40歳になるまで、この〝当たり前〟が常識だと思っていましたが、マインドコーチングを知った今は、この〝当たり前〟こそが同人活動をしんどくしている大きな要因なのだとしみじみ感じています。
何故かと言うと、
読んでもらえるのも
いいねが貰えるのも
感想をくれるのも
本が売れるのも、
全部他人があってこそ成り立つ話だからです。
どんなに自分を押し殺して他人や周囲に合わせて生活をしていても、自分の本音を偽り続けていればいつか必ずガタが来ます。
他人が自分の心をコントロールできないように、他人の心も自分自身でコントロールすることは難しいんです。
確かに心理学や脳科学を応用した恋愛成就のさせ方や購買意欲を高めることは可能ですが、じゃあ同人活動でそれを用いてやりたいか?と言われたら、多くの人は難色を示すと思います。
そもそもそういったテクニックを用いて同人活動を行っていれば、30年以上もの間、
感想がこない
読んでもらえない
いいねがつかない
本が売れない
という嘆きや悲しみの声が途切れないはずがないからです。
つまり何が言いたいかというと、
自分ではどうにもコントロールできない他人の心を軸とした〝当たり前〟を前提にして考えるのって、ものすごいハードルが高いし厳しすぎるよっていう話です。
他人軸の〝当たり前〟に依存した考え方が当たり前になっている理由について
何でこんな他人軸の〝当たり前〟に依存した考え方がまかり通っているかといえば、私たちが幼いころから受けてきた教育にあります。
思い返してみて欲しいのですが、物心ついたときにはすでに私たちは
これくらいできて当たり前と、自分のやりたくないことに対してノルマを勝手に親や大人たちに課せられていました。
本当は学校なんか行きたくないのにようやっとの思いで行って帰ってきても褒められるわけでもない。
それどころか学校は行けて当たり前のことなんだから、行きたくないなんてわがままを言うなで流されてしまう。
今の時代はそういうことはないのでしょうが、私が学生時代の頃の昭和後半期~平成初期にかけてはそういう風潮がそれこそ当たり前でした。
それ以外にも、漢字や英単語や数学の小テスト。
体育祭や学校祭の準備など、好きでもなく興味のないそれらをやっとのことでこなしても褒められるわけでもない。
むしろ褒められるのを期待していたらはしたないと言わんばかりに
「何言ってるの?そんなの褒めるまでもないでしょ?できて当たり前なんだから」とバッサリ切り捨てらる。
逆にそうした世間一般の当たり前のことができなければ
「なんでこんな当たり前のこともできないの!!」
と、鬼のような形相で怒鳴りつけられて、当たり前ができない事に対してのトラウマを植え付けられる。
そんな情動記憶=ブリーフシステムが幼い頃から組み込まれてしまい、無意識の中にどっしりと根付いてしまっているので、私達は楽しんで萌えながらするはずの同人活動にも、他人を基準とした〝当たり前〟という名の重石を課して、しんどい思いをして消耗しているのです。
人間の脳の顕在意識では趣味は趣味、仕事は仕事、家庭は家庭だと分けて考えることは出来ていますが、実は顕在意識は脳の中の3~5%程度の割合だと言われています。
残りの95~97%は自分が意識できない〝無〟意識及び潜在意識で構成されているので、学校生活や社会生活で植え付けられた様々な情報や知識や記憶は無造作にフォルダ分けされることなく、ジャブジャブ注ぎ込まれている状態です。
仕事は辛いけど趣味があるから乗り切れから頑張る!という人が、近ごろ趣味を楽しめなくて辛い…となっているのは、辛い仕事の情報量が多すぎる=辛い人生が自分らしいという風に脳がそちらにリアリティを感じてしまっているからに他なりません。
なので社会的洗脳によって刷り込まれた、他人の目を気にする〝当たり前〟が潜在意識にこれでもかというほど刷り込まれているという事実を知らないまま、どんなに同人活動を自分らしく楽しもうとしても、結局他人が軸になった〝当たり前〟を満たさなければ!と感じるのが自分らしいと脳が判断してしまっているため、いつまで経ってもそのしんどさからは抜け出せないままです。
●●が出来て当たり前!そのセルフトークを使う場面
ここまで聞いてきた中で
「でも、●●が出来て当たり前って言わないか?」と思う人もいらっしゃるかと存じます。
確かに「●●が出来て当たり前」という言葉は確かに使う場面があります。
しかしそれは、
ダイエットだったり
筋トレだったり
ビジネスだったり
資格取得のためだったりと、
自分自身の成長を促すための言葉であったりマインドであったりするのが、本来の〝当たり前〟の考え方であり使い方だと私は思います。
例を挙げますと、私は97㎏から‐30㎏以上のダイエットに成功したのですが、その際常に
「痩せている自分なら食事改善していて当たり前」
「痩せている自分なら運動を習慣化するのは当たり前」
「痩せている自分ならままならない人間関係からとっととオサラバして、自分らしく生きているのが当たり前」
と、とにかく自分軸に関することはやっていて当たり前だという言葉を使っていました。
そしてその当たり前のことができても、おざなりには決してせずに
「よく頑張った自分!」
「すごいよ自分!!」
ととにかく自分で自分を褒めまくっていました。
自分で自分を褒めることは実は他人から褒められるのと同じくらい効果があることだといわれているので、行きつけのジムのコーチからはとにかく自分で自分を褒めることは口を酸っぱくして言われています。
何より当たり前にできることを褒めることは自己評価やエフィカシーを高めることにもつながるので、当たり前のことを褒めるのはやらなきゃ損というわけです。
成長をするということは、成長したいと願う今の自分とは全く違う価値観や考え方を持ち、習慣化していくことが必要になってくるわけで、それらを手っ取り早く身に着けるためには「●●できて当たり前」という言葉を使うのが近道になるわけです。
なので、同人活動を行うにあたり、他人の意思が前提にある〝当たり前〟は、自分の成長どころか自己評価やエフィカシーを下げてしまうので、さくっと手放した方が心身の健康を保てます。
他人軸を前提にした〝当たり前〟を手放すには?
とはいっても私自身も過去に、
読んでもらえて〝当たり前〟
イイネが貰えて〝当たり前〟
感想が貰えて〝当たり前〟
出した本は完売して〝当たり前〟
と思っていましたし、その〝当たり前〟が叶わなかったら、一人で勝手にぶち切れしてやけ食いしては周囲に奴当たったりネガツイや愚痴ツイしたりしていました。
しかし現在はそんな自分がコントロールできない他人の意思を前提とした〝当たり前〟を手放したので、全くそんなことする必要はなくなりました。
その理由は、マインドコーチングを知りマインドセットを整えてダイエットを開始して成功体験を得て、同人及び二次創作にだけ依存する生き方をすっぱりやめたからです。
私がなぜ同人活動に依存していたかというと、
●体重が四捨五入して100㎏近くあった
●仕事もつまらない
●人間関係も家族間含めて最悪
↓
なので、30年間続けてきた同人活動しか誇れるものはなく、すがれる物がなかったからです。
加えて同人及び二次創作はあまり日の目を見られる趣味ではないという後ろめたさもあり、こうした同人活動に関する悩みを周囲に相談できる人もいない上、それ以前に同人活動はなんぞやというところから説明しなければならない面倒くささがありました。
その結果、当時の私は『この悩みは誰もわかってくれなくて〝当たり前〟だ』という気持ちがあり、一人で抱え込んでいる自分がかっこいいとすら錯覚していました(苦笑)
この悩みは誰もわかってくれなくて〝当たり前〟だという部分にリアリティを感じてしまったからこそ、脳は『そうか。私は誰にも悩みを理解されない自分でいることが心地がいいんだな』と判断し、それを現状(コンフォートゾーン)と定めてしまったため、常に誰にも理解できない悩みを探し続けては抱え込んで、当時のコンフォートゾーンを死守していたのだと今なら思います。
でも、同人活動って言ってみればどこまで行ってもたくさんある内の趣味の一つなんですよね。
趣味とは一言で言っても人の数だけあります。
●ゲーム
●カフェ巡り
●筋トレ
●聖地巡礼
●御朱印集め
●ガーデニング
●ドールやぬいぐるみづくり
●ドライブ
●サイクリング
●電動キックボード
●ウォーキング
●ジョギング
●登山
●スキーやスノボ
●スケート
●キャンプ
●バーベキュー
●読書
●着物の着付け
●メイク
●古着屋巡り
●料理
●パチンコ屋のトイレを借りて、その綺麗さを比較する
などなど、王道なものからニッチなものまで本当に様々です。
そしてそのほとんどは自己満足で楽しみながら行うものであり、他者からどう思われようがどう評価されようが全く関係なく行えるものがほとんどです。
そう考えると改めて同人活動ってすごく特殊だなと思います。
同人活動というのはその中のほんの一つでしかなく、夜空に輝いていても誰も気づかない名前のない星のような知名度だと私は思ってます。
そんな知名度がないし、実際に説明しても理解を示してもらえなくても私は30年以上同人活動という趣味は捨てることはありませんでした。
そもそも趣味というのは本来、やりたくないこと(Have to)が一切なくて、やりたいこと(Want to)しか存在しないものなんですよ。
他人から
「は?何それ??」
「え、それって理解できない……」
と言われても、そんな価値基準で測れない幸せや評価基準を与えてくれますし、世の中に役立つアイディア・人生を変えるチャンスも全て趣味から生まれます。
既存の有名なサービスはもちろんのこと、同人活動という趣味があったからこそ私はココナラでサービスを提供しようと決意できましたし、ありがたいことに購入してくださるお客様もいらっしゃいます。
だからその趣味である同人活動に対して、他人軸に振り回されてやる気が失せたり止めるか否かを考えるのって非常にもったいないですし、少しでもそうした他人の意思をベースにした〝当たり前〟を手放してほしいと心から思います。
なのでこの記事を読んで下さっているあなたは、同人活動に対して
読んでもらえて〝当たり前〟
イイネが貰えて〝当たり前〟
感想が貰えて〝当たり前〟
出した本は完売して〝当たり前〟
っという、ブラック企業の社訓と変わらないマインドはもう手放して、自分の成長を促す〝当たり前〟を使っていき、楽しいオタライフを送って欲しいと心から願います。
自分の〝当たり前〟を手っ取り早く手に入れられる魔法の言葉
他人の意思をベースにした〝当たり前〟を手放して、自分の成長を促す〝当たり前〟を手に入れるのがいいのは分かったけれど、具体的にどうすればいいのかというと、常日頃から感謝をし、ありがとうをセルフトークにすることです。
いきなり何言ってんの?と思われるかもしれませんが、実は感謝をしてありがとうをセルフトークにするというのは、ダイエットの成功や金運アップに有効な手段として注目を集めています。
そもそも感謝をするということは、今ある物に目を向けることになりますので、必然的に「自分が今、手に入れているもの」にフォーカスすることになります。
それはお金なり、
住まいなり、
仕事なり、
コンビニでご飯が買えることであり、
宅配便がきちんと届くことでありなど、
そういった些細な〝当たり前〟のことに感謝をすることが、凝り固まってしまった他人の意思を軸にした〝当たり前〟を手放すことになります。
私の場合は、ダイエットではなくお金に対するマインドブロックを感謝とありがとうのセルフトークで外しましたが、例えばお金がないというセルフトークを意識的にしろ無意識的にしろ使っている場合、
脳は「お金がない」という部分にフォーカスし、お金がない現状=コンフォートゾーンと定め、お金がない状態に留めようとしてきます。
実際私たちはスマホやパソコン、液タブや同人誌に費やすお金があるにもかかわらず、『お金がない』というセルフトーク一つで、自分にはお金がないんだという思い込みに脳が囚われてしまい、結果的に貯蓄も全くすることが出来ず、無駄遣いばかりしてお金が常にない状態をキープするように働きかけてしまうのです。
じゃあ逆に、自分にはスマホやパソコンもあるし液タブや同人誌に費やせるお金があるしお金に恵まれているんだという事実に目を向けて「お金がある、ありがとう」というセルフトークを繰り返すとどうなるか?
脳はお金がある状態が当たり前だと認識し始め、今まで惰性で買っていた物を買わなくなって本当に欲しい物しかお金を使わなくなったり、
些細なことにも感謝の気持ちを向けられるようになり、ありがとうという言葉が口癖になり、脳内のセロトニンやエンドルフィンといった幸福ホルモンを分泌させて幸せな気持ちに常にいられるようになったりと、
いわゆる自分の機嫌は自分で取れるようになりますし、
いい意味で楽観的になって抑うつ状態を防げるようになります。
その他にも、感謝をすることで様々な恩恵を得られますがそこは長くなるので割愛します。
つまり
読んでもらえて〝当たり前〟
イイネが貰えて〝当たり前〟
感想が貰えて〝当たり前〟
出した本は完売して〝当たり前〟
という凝り固まったブリーフを感謝とありがとうというセルフトークを使って以下の通りに書き換えていくのです。
☆読んでもらえて〝当たり前〟
⇒読んでくれて〝ありがとう〟
☆イイネが貰えて〝当たり前〟
⇒イイネをしてくれて〝ありがとう〟
☆感想が貰えて〝当たり前〟
⇒感想をくれてありがとう
出した本は完売して〝当たり前〟
⇒本を買ってくれて〝ありがとう〟
という具合にです。
ちなみにこれらは何も現ジャンルに限った話じゃなくてもいいわけです。
私のように30年以上同人活動に携わり、それなりに色々なジャンルを渡り歩いていれば、閲覧してくれたことも感想もイイネも本もそれなりに売れたことがあるので、そうした過去の記憶に対しての感謝でも、脳はきちんと臨場感を感じます。
脳には時間の概念がありません。
来年には本気出す!と言っておきながら実際に来年になっても、また来年には本気出す!!と言っているのは、脳が『来年には本気を出すと言い続けている人生が自分に相応しいと思ってい』るからです。
この脳の特性を逆手にとって、今まで生きてきた中で培ってきた成功体験や、今まで無事に生きてこれたことに感謝をしても全く問題なく作用してくれます。
その結果、他人の意思を軸にした〝当たり前〟がもたらす欠乏感から少しずつ抜け出せるので、自分が恵まれているのだと無意識が認識し、恵まれ続ける自分が自分らしいと判断し恵まれている自分をコンフォートゾーンとして定めてくれるので、どんどん自分軸になれますし、いい意味で自分は自分、他人は他人と割り切ることができます。
ちなみにですが、感謝することと満足することは似て非なるものです。
感謝をしたからと言ってその現状に満足するというのは全くの別物であり、
『それはそれとして感謝しているけど、私ならまだまだ先を目指せる!!』
『今までの私はここで満足していたけど、ゴール側の私はもっと満足できる領域に常に行ける!!』
という気持ちを持って生きていっても全然OKです。
まとめ
というわけでまとめます。
●同人においての〝当たり前〟とは、他人があって成り立つもの
●他人の意思を軸とした〝当たり前〟は持っていてもしんどいだけ
●自分軸の〝当たり前〟は自褒めもセットで行う
●同人活動は数多ある趣味の一つであり、ほとんどの趣味は他者からの評価や目なんて気にしていない
●本来趣味はやりたくないこと(Have to)が一切なくて、やりたいこと(Want to)だけ存在する
●同人活動を楽しみたかったら自分軸の〝当たり前〟と感謝とありがとうのセルフトークを身に着ける
になります。
現在私は、同人活動以外にやりたいことや興味の持ったことでもどんどんチャレンジしていて、同人活動以外に趣味を持てたので興味の対象が分散して同人活動に依存することはなくなったし、自分で決断できるようになったし、半年前の自分と比べて確実に成長していると言えるようになりました。
この記事を読んでくださっている皆様も、ぜひもっとフラットに楽しみながら同人活動を行うためにも、他人の意思を軸とした〝当たり前〟を手放していくことをお勧めします。
では最後に、他人の意思を軸とした〝当たり前〟という呪縛を説くヒントとして、私が毎日眺めては唱えている魔法の言葉を紹介します。
今以上に幸せになってもいい
今以上に変わってもいい
今以上に自分を褒めてもいい
今以上にお金を稼いでもいい
今以上に自分で決めてもいい
今以上に成長してもいい
同人活動だけじゃなくて人生全般において使えるセルフトークなのでぜひ紙に書いて壁に貼ってアファメーションとしてお使いください。
どうしても他人の意思を軸とした〝当たり前〟がぬぐえないというあなたは、下記のサービスの利用もご検討ください。
スタエフでも配信してます。
ではまた。
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