話が面白い人になるには〜書くことの限界と可能性〜
ライターとして書くことを生業としているわけですが、
だからこそ書くことの限界を感じています。
かんたんにいうと「語りに対する劣勢な感じがすごい」。
※語り=動画、文章=ブログや本です
語り(以降しゃべりとします)の生産力、発見力、ライブ感は文章に対して圧倒的なんですよね。あとで一つずつふれます。
ただ、文章が負けたとも思わない。文章の可能性、そして読者という存在の可能性を感じてもいます。
今回はその辺の感じたこと自分なりに分析して、だから僕はこうするというところまで考えてみたのでよかったらお付き合いください。
しゃべりの圧倒的生産力
あくまで僕の話ですが、3000字の文章を書くのに3時間ほどかかります。ですが、同じ内容をしゃべりで伝えようと思ったら少々脱線しながらでも20分あれば十分。
しかも、しゃべりの方が頭を使わなくてすみます。言葉を尽くせるので言葉選びの労力が書くより低いんです。
これは受け身の方も同じで、読むより視聴する方が頭は使わなくてすみます。だから読み書きを選択する人口より動画を見る人口の方が多いですよね。
これまた僕の話ですが、書くのは(とりとめなく書く誰にも見せない内容でも)がんばって1日6時間くらいが限界。一方しゃべるのであれば10時間くらいやっても全然平気なのです。友達とどこかに遊びに行かなくても、しゃべる場所さえあればずっと楽しめます。
語る系のYouTuberの方が2時間しゃべったら本1冊分くらいの内容になると言っていたのですが、本1冊作るのって何人かでやって何ヶ月もかかりますからね。
だったら、1冊の本を書くよりも、同じ期間週1くらいの頻度でYouTubeで2時間しゃべる方が圧倒的に話が伝わるわけです。書くのは分が悪い…。
しゃべりの圧倒的発見力
また、しゃべりには発見力があります。
話しながら、自分こんなこと考えていたのかと思うことよくありませんか?
あれは話しながら発見ができているわけです。一人しゃべりでも発見はあるのですが、対話になるとさらに時間当たりの発見の回数が上がります。たくさんひらめきやすい。
もっというと、文章よりトークの方が脱線しても本題に戻りやすい傾向があるので、予想外のことが紐づくような発見であったり、流れによる笑いみたいなのも起きやすいですよね。みなさん経験あるかと思います。
しゃべりの圧倒的ライブ感
まだあります。
しゃべくり(動画)はやっぱりライブ感がすごいです。言語以外の情報が多いからかもしれません。
表現者の身振り手振り、声質、テンポなどが聞き手に臨場感を与えてくれます。これはなかなか文章では難しい。書き手の実力も読み手の実力もかなり試されます。
うっ…
ここまでの3つの項目からしゃべくりは文章に対してパワーが圧倒的なのです!
おいおい。ライターなのに話すことの力に圧倒的とか言っちゃったぞ。大丈夫なのか?
というわけで、ここから文章の反撃です。
文章の可能性
「話に花が咲く」と言います。
花が咲くためには良い土壌、小まめな手入れ(雑草抜いたり)、水やりが必要ですよね。話が花なら、これらは思考に当たると僕は思います。
思考によって自分という土壌は耕され、そこに面白い話という花が咲く。会話には発見力があると言いましたが、その発見の質や量は思考の深さと長さが決めていると思うのです。
では、思考を深めるにはという話ですが、それこそ書くことと読むことではないでしょうか?
これについては岡田斗司夫さんのスマートノート術を紹介する本の中の言葉が一番しっくりきたので長いですが引用させてください。
私たちの脳は工場ではない。原料である知識や情報を搬入して、常に刺激を与えれば一定のアウトプットが得られる、そんな工場製品ではないからです。(中略)
私たちにできることは「開墾」「日当たりと水はけの配慮」「日々の手入れ」「害虫の駆除」、そして「収穫」だけなのです。
なにかを思いついたり、アイデアや企画が脳内で生まれる。それは「収穫」です。収穫には準備期間として種まきや成長が必要で、急かすこともスケジュールを守らせることもできません。
でも、私たちは「良き農夫」となることができる。収穫物が少しでも大きく素晴らしいものになるためにできることがある。
それがスマートノートなのです。
『あなたを天才にするスマートノート』p.168.172-174
岡田さんのスマートノート術はおすすめなのですが、僕は書く習慣を持つこと自体が岡田さんのいう「開墾」「日当たりと水はけの配慮」「日々の手入れ」「害虫の駆除」の役割を果たすと思っています。
できれば手書きで、紙のノートに思考を物理的な形として残しておく。その蓄積が僕の思考の複雑性、豊かさを育てます。
書いたことはゆっくりと時間をかけ地層となり、いずれは地下資源となってしゃべる時に噴き出してくる。そんなイメージなのかなと思います。
読者の可能性
読むことも思考を深めます。
映像に対して受け手への歩み寄りが少ないのが文章。だから、文章は読者と作者が共犯で世界を作り上げていくものです。読者の能動性がなければ本は読めない。
読むのは、作者の補助は受けながらも映像を観るよりは自立して自分の世界を構築する練習です。映像を観る方がはるかに楽。
だから、(noteでは本を読む人をたくさん見かけますが)世の中には本を読む人がすごく少ない。購入された書籍の95%は読了されないのです。
作者にとっては、動画に比べ市場が小さいと言えますが、僕は受け手一人一人、つまり読者の可能性はすごいと信じています。
おそらく、本を読む人の方が思考が深く発想が豊かであることが多いため、様々な政治的思想や宗教や障碍者に対して寛容だと思うし、人生を楽しむすべを持っていると思うのです。
noteの可能性
note上にはたくさんの書き手であり読み手である人たちが集まっています。僕の何十倍も豊かな土壌と分厚くて層の多い地層を持っている方がたくさんいらっしゃいます。
そんな方達とふらっと交流できるのは価値あることです。
note内のサークルに入れば、もっと密に交流できます。
僕はサークルを持っていますが、サークルメンバーとの会話はすごく楽しいです。サークルに入る方はほとんどが熱心な読み手であり書き手であるからです。
あまりに楽しいので、いろいろお返ししたくなってあれこれ思いつきます。
僕はハイブリットで
ここまでで、しゃべりと文章の魅力を語ってきました。
じゃあ、僕はどっちを選ぶのかというと、両方です。両方のいいところを使ってサークルメンバーに貢献したい。
今はそのための実験中です。
先日、サークル内でこんな投稿をしました。
【書ける人を増やすためしゃべります!】
しゃべる方が文章の生産力に勝るので、
「書ける人を増やすため」にはそっちだな思ったという話を試しにしゃべってみた動画です。
→サークル限定公開の動画
今月からはYouTubeの限定公開も用いて、
動画にてサークルメンバーの皆さんに
①みなさんのnoteの感想・僕にできるアドバイス
②質問スレッドへの回答
③僕が今面白い、しゃべりたい!と思うこと
をお届けします。
①、②に関してはなるべく追って文章でも回答します。
以下は僕のエムグラム診断による強みなのですがこれを活かせる形にアップグレードできるかと思います。
これからどうなっていくか楽しみです。
サークルでの実験後は、無料公開の部分でも動画を活用していくかもしれません。お楽しみに。
ではでは、今日はこの辺で。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
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