「大人って楽しいですか?」って無邪気に聞かれたら俺は
高校生のころ、街中で適当に大人を選んでは「大人って楽しいですか?」と尋ねていた。
ほとんどの大人は、一度真剣な表情で間をおく。
回答はさまざま。「わかんないな」と笑って言う人。「楽しいよ」と答える人。「しんどいけど、昔に戻りたいとは思わないかな」と答える人。いろいろいた。
先日、久々にその頃のことを思い出すノートを見つけて複雑な気持ちになった。
「大人って楽しいですか?」
自分はもう大人か。それは、わからない。
けれど、この無邪気な問いを今度は突きつけられる側になったように感じたことはたしかだ。
複雑な気持ち。というのがどんなものかを言語化するのは難しい。
いや、楽しくないことはないんだけれど。
辛いこともあるし、責任もある。自分がやらなかったら、倒れたら、諦めたら、確実に誰かの生活に影響が出るようなことを抱えている。
じゃあ、それらが全くなかったら楽しいかと言われるとそうでもなくて。
最近クラウドファンディングをして、1ヶ月間非常にしんどかったのだけれど、達成して数日経った今はすでに糧となる経験だったと思えている。
親に仕送りができず、弟の進路のことを思って絶望的な気持ちになって泣いた日もある。
それもやっぱりめちゃめちゃつらかったけれども、尊い気持ちだったと思っている。控えめに言って、そういう経験がある自分の人生が好きだ。
もちろん、しんどい時期の只中にいる間はそんなふうにはなかなか思えないんだけれど。
楽しいか、楽しくないか。だけで考えると見落としているような気がすることをもうたくさん知っている。そんな感じがする。
それは例えるなら子どもに「ビールって、おいしい?」と聞かれた時のようなものかもしれないなと思う。(別にブラックコーヒーでもいい)
目の前の彼にとって、ビールのあの感じはたぶん「おいしい」には当てはまらない。彼にとっての「おいしい」は、甘いとか脂っこいとか、そういうのだろう。
だから、上手く味を説明できても、ちょっと飲ませてみたとしても、たぶんビールを嫌いになるだけだ。
でも、それはなんとなくもったいない。
だから笑って「まだ早いかな」とかなんとか言いながら「クゥーーー、うめぇ」と叫ぶ。飲みたいって言っても、ぜったいやらない。
「大人って楽しいですか?」
と聞かれたら、今の自分もたぶん一瞬だけ真顔になって、その後笑って「分けてあげたいくらいだよ」と答えたい。
ちなみに、僕は日本酒派です。
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