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寂しげな表情で「お金って大事なのかな」とあの子が聞いてきた本当の意味。

微妙な天気の下、ふたりゆったりとした足取りで散歩をしていた時のこと。

寂しそうな表情で、友人に尋ねられた。

「お金って、そんなに大事なのかな」

これが哲学的な問いだ、と思った人は説教を垂れる前に立ち止まった方がいい、と僕は心の中で勝手に、どこかの他人に密かに忠告する。

ぜひとも胸に刻んでおいていただきたい。

この問いに対して、「お金がないとどうなる」とか、「お金は手段であって目的ではない」とか、いずれにせよ質問を額縁通り受け取った時点で会話のキャッチボールには失敗している。

元気のない人が抽象的な問いを投げかけるときは、ほどんどの場合、質問を額縁通りに受け取ってほしいわけじゃない。

じゃあ、どう返したら力になれるのか。

***

「どんな時それが気になった?」

と尋ねることだ。僕はそうした。彼女が聞いてほしいのは、そう問いたくなる背景にある悲しみや苦しみの方だと思ったからだ。

彼女は、一呼吸おいて、背景にある話を教えてくれた。

彼女がまだ小学生だった10年前、母の兄に当たる人が交通事故に遭った。

その人は若くして寝たきりになり、今に至るまで、姉である彼女の母親に介護されている。親族は他にもいたが、介護は彼女の母親一人にすべて任されたようだ。

介護は重労働だし、時間的にも場所的にも拘束される。旅行はそう簡単にはできないし、それどころか家を空けているのすら難しい。おそらく、行動半径もグッと小さなものになったことだろう。

介護施設に預けることも何度か検討したという。

しかし、母親の属する集団の文化圏においては、事故に遭った親族を他の親族が介護するのが当然のものだとして捉えられている。病院に預けるなんてもってのほか、薄情なことだと親族は言うし、母自身もそう思っていて気が引けている。

そんなわけで、友人である彼女が家に帰るといつも必ず母親がいた。優しく、でも少し寂しそうな母親。

***

今でも彼女はよく実家に帰る。仲がいいのだ。それに、母親が遠出できないのを思うと、外に出ている自分の話を少しでもおすそ分けしたいのだろう。

彼女が母親について語るのを聞くといつも、母親の存在が彼女の穏やかさや温かさを育んだのだろうと察せられた。

そして、その母親に育まれた温かい心が、母親の状態を心配させているのだ。

実は、母親が兄の介護を引き受ける代わりに、兄の保険金も彼女の家族が受け取っていた。

だから、母親が介護を引き受けた大きな理由は、実のところ周りの目なんかよりも、我が子にお金の面で苦労させたくないという思いからなのかもしれない。

***

母親の決断のおかげで、彼女はお金に不自由しなかった。

習い事もしたいと思えばできたし、大学に行くお金もある。お金を理由にやりたいことを妨げられることはなかった。

でも、お母さんの人生は?

と彼女はそう思うのだった。特に、自分がやりたいことをやってそれで生きていこうと考えると、母親のことが頭に浮かぶのだ。

お母さんの人生を灰色に染めたお金で、自分は好きなことをしてきた。

それは、本当にそのお金がないとできないことだったのか。お金が必要だったとして、お母さんの可能性を狭めてまで捻出すべきものだったのか。

今より慎ましやかな暮らしでも、家族は笑っていて、なんとか生きていけたんじゃないか。

もし自分のやりたいことが誰か大切な人の我慢や犠牲の上に成り立っているものだとしたら、私は胸を張ってやりたいことをやっていいのだろうか。

そんなことを、答えが出ないと分かりながらも考えてしまうのだ。

彼女の母親の介護生活は、まだ終わりそうにない。彼女は、大学を卒業し上京する。経済的に自立した生活が始まろうとしている。実家に戻るつもりは、ない。

だから、自分がこうやって思考実験をするだけで、本当には母親の介護を手伝うつもりがないことも、彼女にはわかっていた。それが彼女の表情を固口するのだった。

***

そういう背景があって、説明すると長いし、整理できてもいないし、彼女は「お金って、そんなに大事なのかな?」と聞いてきたのだ。

自分の背負っている背景を誰かに共有したかった。人に話すことで整理したかったというのが尋ねた理由なんじゃないかと思う。

僕は、彼女の話を聞きながら彼女の意図を汲み取ることに集中した。

そして、会話の節々で、彼女自身が改めて何を望んでいるか再確認できるように、肯定的な表現の言葉にして相槌がわりに伝えた。

「お母さんのこと、すごく大事に思っているんだね」
「たくさん受け取ったものがあるって感じているんだね」
「自分に対しても、お母さんに対しても、自分がそうしたいと思えることができるようにしたいんだね」

いろいろと話をしたけれど、結局、こうしたらいいんじゃないか、みたいな話はしなかった。

彼女に今必要なのは、他人からのアドバイスなどではなく、自分が何を大事にしていて、それがどれくらい大事なことかを思い出すことだろうと思ったからだ。


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久高 諒也(Kudaka Ryoya)|対話で情熱を引き出すライター
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