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読書量は読解力につながるのか?

私は昔から大学入試問題を解くのが半分趣味になっていて、最近は神戸学院大学の英語と国語(現代文のみ)の入試問題を説いています。英語は本業が通訳なので解くのは当たり前なのですが、国語は日本語力の維持と面白い文章との出会いが目的です。

神戸学院大学の英語入試については、以前2021年度の過去問を分析した動画を作りましたので、もしご興味があればご覧ください。

受験生の時から18年ほど経ち、読書もそれなりにしてきたので少しは国語も解けるようになるかなと思ったのですが、これがあまりパッとしません。神戸学院大学の偏差値は40台がほとんどで難関大では決してないので、どうやら国語力が足りていないのかもしれません。

5回ほど過去問を説いてみましたが、正答率は8割弱でした。これまでの読書とか社会人経験などを考えたら9割とか出てもおかしくないのですが、残念。出題者による講評を見てみても、受験生が落とすであろう問題に私もまんまとはまっている・・・どうも国語力と(少なくとも私のやっている)読書はそこまで正比例するわけでもないような気がしてきました。

本を読む子どもは国語ができるようになると言われますが、これはある程度までは本当だと思います。まず活字に親しむという意味で、読まないより読む方が絶対にいいですから。

問題は読書したから自動的に国語の読解問題が解けると錯覚してしまうことです。私のように大人になっても読書はするけど読解力が微妙な人間はいると思うので。

とはいえ、漢字問題は社会人の方が断然有利です。会社の文書で見たことある漢字が入試に出てくることもよくあるでしょう。あと表現の言い換え問題も有利。過去問に「相場が決まっている」の相場を空欄補充させる問題がありましたが、これなどは社会常識で瞬時に解答できる問題ですね。

やはり読書と一口に言っても、どこまで活字と格闘しながら読めているかが大事なのではないでしょうか。文字を追うだけの読書もあれば、段落と段落の間の関係を考えながら重層的に読み解く読書もあります。また通訳者として限られた時間で会議資料を超高速で読み込むことも、読書の一形態かもしれません。

そう考えると読書には色んな形態があって、その人の職業によってどんな読書を実践するかが決まってくるということもできるかもしれません。そのやり方が大学入試の読解問題に対応できるような読書スタイルならば、高得点が狙えるということですね。

あと面白いのは、大学入試の国語で良い点が取れないからと言って、文章を読んだり書いたりするのが嫌い、というわけでもないことです。自分で思ったことを文章にするのは大好きだけれど、与えられた文章について特定の読解を強制されるような文章との付き合い方はしたくない、と感じるのは僕だけではないはず。

そんな言い訳を思いつきながら、国語の得点が低いことを正当化しようとしている30代男性なのでした。

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