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祭神は誰か?
「氏神とはどの氏族がどの神様を祭神としたことによって変わってくる」
と、高千穂町文化財保存調査委員の田尻隆介氏は言われた。
ここは高千穂神社。
神武天皇の兄、三毛入野命とそして、妻の鵜の目御前、以下その子供達を含め、十社大明神とも言われている。
高千穂神社で1番古いとされる旭大神文書によると、
「志んむの王子正市位」
とある。
つまり、祭神はこの正市位様となる。
高千穂神社は何度も火災にあい、焼失してしまっているので、貴重な資料が無くなってしまったのだが、三毛入野命と名前が出てくるのは1700年代とされる。
単純に正市位=三毛入野命となっていいのか?
答えはNo。
そもそも、正市位の前に「志んむの王子」とある。
つまり、神武天皇の子供ってことだ。
神武天皇の子供といえば、日向国に坐したときの妻吾平津姫との子が2人。
大和へ行かれた後に正室をもったのが、イスケヨリヒメ。
その子が3人。
吾平津姫との子、手研耳命はイスケヨリヒメの子、後の綏靖天皇になる三男の神渟名川耳命に滅ぼされてしまうので、イスケヨリヒメの3人の子の内、長男が日子八井耳、次男が神八耳命となり、「志んむの王子」とは、この長男の日子八井耳命と考えられる。
この日子八井耳は古事記でもほとんど出てこない。また、日本書紀では全く出てこない。
神武東征の際、日向に残るとあり、その後熊本県草部(くさかべ)へ移動したとのこと。
草部には日本三大下り宮として、吉見神社があるが、その祭神となっており、村人を苦しめていた大蛇を倒したとある。
そして、自身の娘アソツヒメと弟の神八耳命の子の健磐龍命(タケイワタツノミコト)※高千穂では(タテイワタツ)と読む
と結婚し、阿蘇神社の祭神として、阿蘇氏へと繋がっていく。
この吉見神社が高千穂とも深い繋がりを感じるし、日子八井耳がとても気になる人物と思っている。
高千穂に住まわしてからの、草部へ移動と考えられ、また、大蛇を倒したとあるので、勢力争いの匂いが感じられる。
つまり、どの氏族が正市位から三毛入野命を祭神としたか、この正市位は日子八井耳で草部との関連は何なのか?
謎ではあるが、自分なりの考えをまた改めてまとめていきたいところで、今日はこの辺にさせていただく。
追記、
子供達の名はどれも水が関係している。また、耳という文字が神武天皇の子には全て入っており役職であるという見方もあるそうだ。
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