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十社様物語その②
さて、日向の国へたどり着き、遠くの山で見た怪しげな光。
今までも幾度となく足止めをくらわせようとした者。
それはどうやら【鬼八】というものらしい。
現日之影町を経て、いよいよ現高千穂へ入られた。
たどりついた場所は、川登、島戸。
三毛入野命(以下命)一行は、旅の疲れもあり、空腹であった。
ここに住んでいた老夫婦が命が来られたことにたいそう喜ばれ団子をご馳走してくれた。よって、ここを『団子の宮』という。
※ 端午宮とも書く。(歳宮神社だが、地元の人は「だご宮」という。)
さぁ、命は鬼八の行方は知らないかと尋ねると、「私たちは分りかねますが、興梠という者に聞くとわかるかもしれません」と告げられた。
興梠とはこの辺を守っている氏族、興梠山氏という。
※ 興梠氏は猿田彦と天鈿女を祀る荒立神社の宮司を務めている。
興梠氏を訪れ、鬼八の行方を聞くも「私たちは行方は分かりませんが、もしかしたら、ひょいと住処に帰ってくることが分かるかもしれませんので、少しここに滞在してみてはいかがでしょうか」と提案された。
命は『筒井戸の森』に滞在中、ある時、命は興梠方の南側に五色の的を張り、弓の稽古をしていた。
※ ちょうど真ん中のこんもりとした森で荒立神社の一の鳥居の反対側にあり、ニニンビトと呼ばれる塚がある。
命は、この辺には子供の姿が見えないがどうしかことか?と、筒井戸の森に住んでいる何某に尋ねると、「子は大鷹に取られてしまい、減ってしまうのです」と嘆き悲しみられた。
三毛入野命は、「それは大変だ。その鷹はどこからくるのだ?」と聞くと、「その鷹は藤岡山に住んでおります」と答えた。命は矢を放ち、その鷹を撃ち留められた。
※ 現高千穂小学校付近を藤岡山という。筒井戸の森の背後である。
その時、その鷹は白い血を流した。その場所を熊白川という。
※ 天の眞名井より流れる神代川 以前は川水も多く、生活の中で重要な水であった。
その血は飛び、宮尾野に落ちた。よって白水というところあり。【白水水神】また、鷹は手負いながらも浅ヶ部に飛び、高杉というところにて死んでしまった。
※ 白水水神として今でも祀られている。
※ 浅ヶ部の岩戸越えのところにある水神さんが鷹の息絶えたところではないかと云われる。
ある時命は、五ヶ瀬川のほとりにある七ヶ池を通ると、水鏡に美しい姫が映っていた。
※ 高千穂峡内にある七ヶ池
「私は姥岳(祖母岳)の主、大明神(豊玉姫)の御子稲穂明神の御娘、うのめと云います。「乳ヶ岩屋」というところに連れていかれてしまいました。」
命は言った。
「そこに鬼八はいるのか?」
と仰せられると、
「大変恐ろしい人であります。むりやり結婚させられ、一緒に住んでいるのです。」
そこで、鬼八の行方も分かり、味方の家来44人連れ、いよいよ鬼八退治へと向かったのだった。
鬼八の背丈は2丈余り、面は赤黒く、頭の角は古木の如く、目は八咫鏡のよう、口は鰐口のよう、腕は銅のようで、雷の荒れた状態の様であった。手には長さ8尺、太さ1尺2寸の鉄棒を持っていた。
鬼八は、力を見せつけようと200トンもある岩を命目掛けて投げつけた。
※ 高千穂峡にある力石
その後命の家来は鬼八より切り伏せられ討ち死にしてしまった。主従3人は生き残り、1人は力いっぱいに切りかかると、鬼八もこれまでかと逃げていった。それを、追いかけ、追いかけ、追いゆくと、鬼八は逃げながら、ベロを出して逃げた。そのことから、【ベロの松】というところがある。
※淡路城、道の駅高千穂周辺
これより川向うの根引きヶ原に逃げている間をすかさず追いかけ切り伏せた。その時、三毛入野命の刀が鬼八の眉を一寸切り込んだ。これより鬼八、後手にて根引き松を引き抜き、神土橋のごとく逃げ降った。そのことから【根引きヶ原】と名付けられた。
主従3人にて、急がねばと追いかけて行くと、鬼八は竹の迫より、岩に膝をつき命目掛け、弓を放った。
※ 向山竹の迫にある膝付き石
押方小谷内、乳ヶ岩屋へ逃げ込んだ。
これより追いかけると、鬼八は三ケ所、内の口(五ヶ瀬町)へ逃げ込んだ。
鬼八は、追い回され、奈須山を通り、主従3人追い打ちになった。鬼八は豊前の英彦山に逃げ、それより四国の金毘羅山に渡り、伊豫の国立川山に籠もった。それでもなお、三毛入野命は追いかけ、鬼八は八幡浜より佐賀関へ逃げ込み、姥ヶ岳(祖母岳)に逃げ込んだ。3人は追いかけるも、姥ヶ岳に逃げ込んでいるときは行方が分からなくなってしまった。3人は鬼八の行方が分からなかったが、「高千穂へ戻っているに違いない」と意気を上げ、高千穂へ戻った。鬼八は押方の二上山へ逃げる途中上野にて待ち構えてた命に、太刀で斬りつけられた。なんとかかわすもその太刀は岩をも斬り割った。
※この地区を「鬼切畑」といい。鬼切石という。
負傷した鬼八は泣く泣く鵜の目姫に会いたいと逃げた。ここを妻恋坂と云う。鬼八は血を流し、その血が道にある草についた。ここを千草町(血草)という。
いよいよ鬼八を追い詰める。
※ 追い詰めた場所として、瀬戸口という。
鬼八は、最早これまでと最後の力を振り絞り、三毛入野命目掛けて大手を広げ、組み合ってきた。なかなか決着がつかず75回も組み伏せた。しばしば戦いが続くと、この先どうなってしまうのか。三毛入野命危うし。そこへ、一の堀にて朝日丹部大臣が駆けつけ、鬼八を取りつかんで引き伏せ、体を堀へ投げ飛ばし退治した。亡骸を埋めてもその体は何度も地上に這い上がってくるため、体を3つに切り分けた。
墓を築き分けて埋めたが、首は天に舞って、6月土用に大霜を降らせた。その災いにより、命が祈徳をもって、首は肥後の阿蘇谷に落ちた。今【霜宮】と称する宮はこの場所のことである。
※ 首塚
※ 胴塚
※ 手足塚
高千穂には3つに塚があるが、他の説にはここ三田井と、肥後阿蘇、下日向という説もある。また、体は瀬戸口、両手は一の堀、両足は東光寺村という説もある。
鬼八を退治した命は見事鵜の目姫を助け出し、結婚し、高千穂を治めた。
その後は8人の子供に恵まれ、命と妻合わせて十社大明神として、高千穂神社にお祀りされて、現在まで大切にされている。
参考文献
高千穂の故事伝説・民話
高千穂皇神の御栄え
旭大神十社大明神記
高千穂十社御縁起
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