第16話 痛み分け 【自作小説】アオハル・イン・チェインズ 桜の朽木に虫の這うこと(二)
「龍子っ……!」
体育倉庫の扉を勢いよく開け放ったウツロは、目の前の光景に仰天した。
「なんだ、これは……」
建物内部を埋め尽くさんばかりの巨大ムカデと、星川雅が対峙している。
そして手前には、身なりのほつれた真田龍子が――
「ウツロ……!?」
彼女はうっかり、刀子朱利のいる前でそう呼んでしまった。
「これは、アルトラ……どういうことだ雅! そのムカデはなんなんだ!? どうして龍子が傷ついている!?」
事情を知らないとはいえ、場違いなウツロの発言に、刀子朱利は気が抜けた。
「ああ、わたしがやったんだよ。真田さんをメチャクチャにして、あなたを独り占めにするためにね、毒虫のウツロくん?」
「な……」
なぜそれを……
ウツロは驚いて口ごもった。
「真田さんにも言ったんだけどね、わたしたちはあなたたちのことなら、何でも知ってるんだよ? ふふっ、どう? こういうのって、なんかこわくない?」
大ムカデの胴体にへばりついた姿の名残から、彼はようやくそれが刀子朱利であることを理解した。
「その声、刀子朱利か……アルトラ使いだったとはな……どういうことか、ぜんぶ説明してもらうぞ」
ウツロの言動に、彼女は戦いで受けた苦痛も忘れて、すっかりあきれかえった。
「バカなの? 世界はあんたのために回ってるんじゃないんだよ? 毒虫のウツロ」
自分の情報を握られていることは確かにゾッとしたが、それにも増して、他者から『毒虫』と呼ばれることに、ウツロは腹が立った。
「貴様、言わせておけば……!」
「はいはい、落ち着きなさい二人とも。龍子が怯えてるじゃない」
星川雅の言うとおりだった。
傍らの真田龍子は、ウツロが激昂する様子を見て、体をこわばらせている。
ウツロはハッとなった。
「すまない、龍子」
「いえ、ウツロ……」
場違いに輪をかけられ、刀子朱利はうんざりした。
「はーあ、なんだか興醒めしちゃった。令和の時代になに? 昭和のラブコメディみたいじゃん。はん、バカバカしい」
すっかり闘志の萎えた彼女に、星川雅が語りかける。
「どうする朱利? まだ遊びたい?」
「あんたこそ雅、とどめは差さなくていいの?」
「わかってるクセに。差せるような状況じゃなくなっちゃったでしょ?」
刀子朱利と同じく、彼女もまた、殺意が静まっていた。
大ムカデはうなだれて、ため息をついた。
「『痛み分け』ってことだね」
「あんただけ得してる気がするけれどね?」
「ふん、言ってなよ」
ムカデの体が縮んでいく。
あっという間に元の姿に戻った刀子朱利に、ウツロは鋭い眼差しを送った。
「さあ、説明してもらおうか、刀子朱利。聴きたいことは山ほどあるんだ」
「あんたの都合なんて知らないし? 毒虫のウツロ」
「おのれ、まだ言うか……!」
再び怒髪した彼を、星川雅が制する。
「はいはいウツロ。あとでわたしからちゃんと説明するから。とりあえず血の気を収めてよね? もう、疲れるなあ」
「はいわかりましたとでも言うと思ったか」
「ああ、うざ……」
会話が噛み合わないことに、彼女は頭を抱えた。
「ウツロ、わたしからもお願い」
「龍子……」
真田龍子が割って入った。
この段階では、彼女がいちばん、精神的に落ち着いていた。
「とりあえずいまは、雅のいうとおり、みんな冷静になるのが大事だと思うんだ」
「……」
「ね、お願い、ウツロ」
「龍子が、そういうのなら……」
ウツロは内心不服だったが、ほかならぬ龍子が言うならと、怒りを抑えることにした。
「ああ、クサ、クサ。なんなの、この昭和臭? もう、どうでもよくなっちゃった」
刀子朱利はぶつくさ言いながら、制服についたほこりを落としたり、着こなしを直したりしている。
「朱利、どうする? 閣下の奥義を無断でコピーしたこと、ママに告げ口とかしちゃうの?」
「さあ、わたしの気分次第かな?」
星川雅の言葉に、彼女は不敵にほほえんで首をかしげた。
「彼女に感謝するんだね。でも、次はただでは済まさないから。それだけは覚えててね、毒虫のウツロ?」
「……」
ウツロの横をスルーしながら、宣戦布告とも取れる言葉を吐く。
ウツロ自身は内心、穏やかではなかったが、真田龍子への気づかいから、この場は黙って見過ごすことにした。
「雅、今回は見逃してあげるけど、次はないからね? 今度こそその顔をグシャグシャにしてあげるから、お楽しみに」
「ふん、よく言うよね。ザクロになるのがあなたのほうじゃないことを祈ってるよ、朱利?」
背中ごしに飛んできたセリフを、星川雅は牽制した。
刀子朱利は片手で合図をし、そのまま体育倉庫から出ていった。
「龍子、大丈夫か!?」
「わたしは、ウツロ、平気だから」
「平気なもんか! 早く手当てを!」
恋人を傷つけられ、ウツロの怒りは収まっていなかった。
「それなら保健室でやりましょう。あそこはわたしの『根城』だしね。そこでお望みのとおり、説明してあげるから」
「また何か企んでいるんじゃないだろうな?」
「ああもう、どうしてあなたってそんなに疑り深いの? わたしはクタクタなんだよ? やめてくれない? ウザいから」
「なんだと……」
星川雅の提案にも疑念を抱く始末。
翻せば、それほど真田龍子のことが心配なのだ。
彼は心の中で拳を振り上げたが、彼女のことを優先させるべきだと気づき、われに返った。
「……わかったよ、行こう龍子。肩を貸すよ」
「わたしはいいからウツロ、雅のほうに……」
「ごめんだ」
邪険に扱われ、星川雅はムスッとした。
「うーん、ははは……」
真田龍子はどうしてよいかわからず、笑ってごまかすしかなかった。
「ウツロ、あなたいつからそんなに捻じ曲がったの? 仮にもいとこのわたしに対して。何が『人間論』よ、わたしは人間じゃないっていうの?」
「もちろん『人間論』は現役さ。むしろ高みに達しているよ。だが雅、優先順位は存在するんだ、絶対的に……!」
星川雅はウツロの心がくもっていることを指摘したかったが、彼はまったく意に介していない。
くもらせているのは真田龍子への愛――
星川雅はそれがうっとうしかった。
「さいっ、てえ……」
「なんとでも言え。さあ急ごう、龍子」
「え? ああ、うん……ごめんね、雅……」
「……」
ウツロは真田龍子の手を引いて、さっさとその場をあとにした。
ひとり残された星川雅は、いったい自分は何を守ろうとしていたのかと、ボーっと考えた。
「変な感じで『人間』っぽくなってきたよね、あいつ……」
『帝王』になるのも楽じゃない――
そんなことを思索しつつ、なんだかバカバカしくなってきて、彼女は幽鬼のような足取りで、二人のあとを追った。
(『第17話 プライド』へ続く)