
第28話 トロイの木馬 【自作小説】アオハル・イン・チェインズ 桜の朽木に虫の這うこと(二)
浅倉卑弥呼が退室してすぐ、彼女をこっそり見ようとしていたウツロたちと、廊下の途中でかち合った。
「あ……」
ウツロ、真田龍子と南柾樹の三名は、とっさの出来事に何と声をかけたらいいのかわからなかった。
ただ目の前の中年女の『柳の枝』のような髪型が面白いなどと考えていた。
「失礼」
浅倉卑弥呼は三人の横をスルーしていった。
「テレビと同じ人だね」
「当たり前だろ?」
真田龍子と南柾樹は、とりとめもない会話をした。
「いかにも仕事ができますって感じだけど、あの人が『組織』の送り込んだ刺客なのかな……?」
「さあな、俺にはただのおかたいおばちゃんにしか見えなかったけど」
組織が刺客を放ったというのはあくまで推測に過ぎないから、二人とも果たしてあの女性がと懐疑的だ。
襲いかかってくるというわけではなかったし、やはり思いすごしだったのかと、彼らは考えた。
「におい」
ウツロがボソッとつぶやいた。
「においがしたね、メンソールのにおいだ」
「タバコじゃね?」
ウツロの指摘に南柾樹はサクッと返した。
「それが何かあるの、ウツロ?」
「いや、何もないとは思うけれど。ちょっとキツいにおいだったから」
嗅覚の鋭い彼ならではの気づきだったが、それに特別危険があるというわけではないようだ。
「で、どうするんだよ。行っちまったけど」
「敵って雰囲気でもないし、うーん……」
南柾樹と真田龍子は首をかしげている。
「何もないなら、それに越したことはないと思うけれど……」
ウツロも同様だった。
ただそのメンソールのにおいが、なぜか彼の頭に引っかかっていることを除けば――
*
浅倉卑弥呼がエントランスを出て中庭にさしかかると、今度は遅れて帰宅した星川雅と遭遇した。
「どうも」
浅倉卑弥呼があいさつをすると、星川雅はペコリと会釈をして、そのまま横をとおりすぎた。
「……」
浅倉卑弥呼はチラリと顔をうしろへ向けて、遠ざかっていく少女の背中を見つめた。
しかしすぐ向き直って、ツタの張りめぐらされた白壁の門をくぐった。
こんななんでもないワンシーン。
だがこのとき、少なくとも二名の人間が、さくら館に『トロイの木馬』が侵入していたことに、しっかりと気がついていた――
(『第29話 公認会計士・羽柴雛多』へ続く)