無責任に願う
1時間30分の打ち合わせが終わり、気付けばもうすっかり夜中になっていた。
ついでに自分の空腹にも気付き、2日前に作った鍋の残りの存在を思い出す。
…3日前だったかもしれない。
賞味期限はあまり気にしない質だ。
もう少量だったので小さめの器に移し電子レンジのスイッチを押す。
2分で充分だろうというのは完全に感覚で足りなくても気にしない。
本当は熱々が食べたいけれど。
電子レンジが「終わった開けろ出せ」と騒ぐので扉を開けるとほんのりと柚子の香りがした。
今回、と言うのが正しいのか分からないけれど使った鍋つゆが柚子塩味だったから当然だ。
そして2分の勘も当たっていた。
かさ増しで入れた大根にもしっかりと味が染み込みホクホクとした食感と優しい温みが口内に広がる。
「昨日はポン酢をやたら入れたけれど今日はこのままでいいや」
気の抜けた頭は刺激より癒しを求めたらしい。
ホクホクの大根とクタクタの葱と白菜を何時になくゆっくりと咀嚼する。
得意の早食いも今日はお休みという事だ。
鍋の残りを食べながら部屋の壁を見る。
知り合いのイラストレーター3人が描いてくれた私の似顔絵が貼ってある。
実際の私に寄せた絵、完全にその人の画風で描いた絵、そしてもはや人ですらない個性的な絵。
…みんな元気にしているんだろうか。
昨今誰もが使って当然の便利ツールSNSを見るだけでは分からない事もある。
そして分からない方がいい事もある。
情報の溢れた世の中で、今はあまり余計な情報に触れたくない気分だ。
ただゆっくりと時間が過ぎて行く。
鍋の残りは少量ながらも程よい満足感があり、貧乏性の自分は
「残った汁は明日雑炊に使おう」
などと考えている。
我ながらなかなかの節約家だと思う、さすがに他人には振る舞わないけれど。
静かな部屋にエアコンの轟音だけが響く。
東京の冬は地元に比べれば圧倒的に優しいけれどそれでも寒いものは寒い。
部屋を暖めてくれるエアコンの轟音には感謝すらおぼえる。
昨日はやたらと寒かったが部屋着を厚手の物に変えたらあまり問題なく過ごせた。
ただそれだけの事にも気付かないくらい昨日は疲れていたんだろう。
一変して穏やかな今が不思議に思える。
今日はたくさん話をしたな、色んな人と話をしたな、たくさん笑ったな、嬉しい知らせや有難い言葉もあったな
思い返してそれらに救われたんだと実感する。
人の笑顔で私も笑顔になれる。
だから人を笑わせたいし自由に喋ってほしいのか、その人が穏やかなら自分も穏やかになれるから。
そんな自分に「相変わらず手前勝手だなぁ」と呆れ笑いをし、お気に入りのビーズクッションに埋もれる。
ニトリの大きなサイズのビーズクッションは私の全てを受け止めてくれる相棒だ。
私をダメにするのではなく委ねさせてくれる大事なヤツだ。
このビーズクッション無しの生活なんて…
…出来なくもないか。
出来ない訳がない。
住む土地や居る場所、生活そのものが変わっても簡単には死なないだろう。
最期に隣に居る人間さえ変わらなければ。
また視線を変えると昨日貰った青い花束が目に入った。
シンプルな黒い鉢に入っている。
「水やりをしなきゃ」
うわ言のように呟いて、花の隣にある加湿器の存在に気付いた。
すぐ隣に加湿器があるんだから水やりは必要無いのでは?
かなり阿呆な考えが過ぎった。
そういう問題ではない。
不意にヨルシカの「チノカテ」が頭を流れる。
『本当に大事だったのは花を変える人なのに』
大切にし過ぎて枯らしてしまったものを思い出して、ほんの少しだけ寂しくなった。
緩やかに過ぎる時間。
今はただ穏やかでいたい。
音を立てるのはエアコンだけでいい。
極稀にこういう日がある。
こういう夜と言うべきか。
穏やかで緩やかで見知らぬ誰かにも優しくいたいと思えてしまう。
無責任な事だ。
実際に何が出来る訳でもない。
でも、ただ願うくらいはいいんじゃないだろうか。
この文章を最後まで読んでくれた、私に付き合ってくれた人達が穏やかでいられますように。