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愛とか呪いとか。(2) 私の自由と母の不自由
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迷言が多い母の最近の口癖は「樹木希林になる」。ぜひなってくれ。そんな母は抗がん剤治療を始めて数ヶ月経って経過は良好だが、それでも脳に転移しているせいで左半身が思うように動かない。完全に麻痺しているわけではなく、ちゃんと動いているようにも見える。けれど、足の裏の感覚がなかったり、左腕が思ったのとは違う方向に動いたりしててんてこまいになったりしている。それでたまにぶん殴られる。ふつうに痛い。それでも頭と顔はまったく問題ないので、いつもの通り元気よくおしゃべりしている。
そんな母に付き合って外出をしていると、私だけでは見ることのできなかった側面から世界を見ることになって、ちょっと興味深い。今日はそんな、小さな発見と反省の話。
健常者ばっかり。
退院直後、母がなにがなんでも食べたいというので、最寄り駅の近くにあるインドカレー屋さんに行った。インドカレーと言いながらネパール人の方が経営している(らしい)お店で、チェーン店とは違う個性の光るカレーが売りだ。ナンがテーブルからはみ出るくらい大きくてパリパリでモチモチで永遠になくならない勢い。スパイスの効いたカレーは家庭では絶対に作れない味で、香辛料全般が苦手な妹がいないときに私と母とでしか行かないお気に入りの店だ。
歩きで行ける距離だし、母のリハビリも兼ねて徒歩で行った。そして商店街に差し掛かった頃、母が唐突に言った。
「みんな、ふつうに歩いてて怖い」
何言ってんだ、と思うところだが、母を見ると言いたいことはよくわかった。
母が入院していた三ヶ月、見舞いに行くと、周りは病院の患者ばかりだった。当たり前だ、病院なんだから。大きい病院で、毎日外来の患者さんや、入院している人でごった返している。
そしてこれも当たり前ながら、誰もが、何かを患っている人だった。
付き添いの方や見舞いのひとも、誰もが病人である身内を中心に歩いている。あるいは松葉杖、あるいは車椅子。ベッドで運ばれている人もいる。みんな歩みは遅い。母のように頭を患った人はもちろんのこと、どんな患者でも転倒は一番避けなくてはいけないことで、そのためなら患者本人もしくはその家族の同意のもと、拘束も辞さないことがある。そのくらい、全員が転倒防止のために神経をとがらせていた。
そうやって、なるべく転ばないように、誰かにぶつからないように、優先し、優先され、他人を気遣うのが当然だった空間から、母は医者の許しをもらって外界へ出ることを許された。
そこでは誰も気遣っていない。
転ばないのは当たり前、歩けるのは当たり前、歩こうと思えば特に意識することなく右足が出て左足が出る。地面を踏みしめる足の裏はしっかりと靴底を押す感覚があって、どんなに細い歩道でも他人とぶつからないように避けながら進むことができる。目の前からやってくるひとが、自分と同じように歩けるひと、そう信じて疑わずに歩いてきた。そういうひとを暗黙の内に想定して作られた道を、私は今まで、特に意識することなく歩いてきた。
そんな空間で歩かなくてはいけないことに、母ははっきり「怖い」と言った。あの、強がりで、誰よりもかっこよく見えなければ気がすまない、強情で見栄っ張りな母がだ。
母が病気になって初めて、私は歩道が細すぎることを知った。母の歩く速度ではどうしても後ろに列ができて、向かってくるひとがいなければ抜かしていってくれるけど、混み合っている道ではどうしても母でつっかえた。そうなると誰もが点字ブロックを当たり前のように踏みしめ、後ろから白杖を使うひとが来るかもしれないとはまるで思っていない顔で、ずかずか歩いて去っていく。
舌打ちされるような悲しい思い出はまだないが、これからはそういうつらいことが母の身に起こるのでは、と私は細やかに懸念している。
私や妹が一緒にいる間は、急ごうとする母に「急がなくていいよ」とか「ゆっくり行こう」とか、声をかけることができる。たまにその声が大きくなってしまうのは、母に聞こえるようにするためではなく(母は耳にはなんの異常もないのだから)、周りのひとに聞かせるようにと意識してしまっているからかもしれない。私の母は、あなたみたいに急いで道を横断することもできなければ、うまく体を寄せることもできないのだ。
でもそれは母の望むところではないかもしれない。そもそも健常者と同じ速度で歩けないことを公言しないといけないだろうか。いや、別に公言しろと言われているのではないから、言わなくてもいいんだけど。ただやっぱり、母の後ろにぴったりと着いて歩いてくるひとを見ると、あなたとは違うんだよ、と思ってしまうのだ。
お店が狭い
母はどうしても左側だけ無防備で、体を寄せたり小回りを利かせることが難しい。だからできるだけ余裕のある空間が望ましいが、道路と同じく、世の中の店が母のようなひとにフィットして作られているわけではない。
くだんのカレー屋さんに着くと、まずそこに階段があった。手すりがあったから良かったものの、なかったらたぶん母は断念していた。その頃の母は、階段を登るだけでも息が上がった。私はお店に着くまで、階段があることも、手すりがあるかも忘れていた。
違う店では、席を変えてもらったことがある。チェーンの焼肉屋に入ったとき、予約して行ったのだがお座敷の席だった。母は一度正座をすると立ったり座ったりが難しくなる。申し訳ないが変えてもらえないか、と交渉したところ、テーブル席に変えてもらうことができた。
そういった経験から、私たちは外食する際、次のことをチェックするようになった。
・何階の店か
・2階以上の場合、階段か、エレベーターか
・テーブル席があるか
・椅子に背もたれがあるか
・席の指定はできるか
・お店はどのくらいの広さか
最近はお店の内装なども写真で上がっている時代なので、お店に問い合わせなくてもなんとなくわかるのがありがたい。
もちろんどれか一つでもあてはまらなければバツ、ということにはならないが、母には伝えておく必要がある。階段で息が上がることはもうないものの、急すぎる階段だと怖いとか、長すぎる階段ならやっぱり手すりが欲しいとかはある。もちろん母の場合は、という話で、もっと不自由をしているひとはチェックする項目が増えるだろう。
たまに体に障りのあるひとがお店に行けないことを嘆くと、SNSとかで「行かなきゃいい」という声が上がる。母が病気をして、そういう意見にはよりいっそうもやもやすることが増えた。だって行きたいのだ。鉄板の上で焼かれる肉汁したたるステーキなのか、板前さんが握る極上の寿司なのか、はたまた昔なじみのラーメン屋かカレー屋か、なんなのかはわからないが、それを味わいたいと思うのは健常者でもそうでなくても変わらないはず。
でもそこにはやっぱり、体が言うことをきかないひとたちにフィットしていないという大きなハードルがあって、お店のほうも健常者のお客さんを想定している以上、伺うのがなかなか難しい現状が確かにそこかしこに存在する。
バリアフリーとか多様性とか…
母がこういう状態になって、ちょっとずつ気になるところが増えてきた。
道の狭さ、お店の狭さとかの、公共の場所のことだけではない。
母が病気をする前の私は、足の遅いひとの後ろにぴったりと着いて歩いたことがなかっただろうか。もちろんそこに悪意はないけれど、私がぴったりと後ろにくっついていたらそのひとは、速く歩けないんだから仕方ないじゃないか、と嫌な思いをしたかもしれない。
店内が狭いとき、体の自由がきかないひとがたまに、他人の椅子の背もたれとか、テーブルとかに手を突いて、「ごめんなさいね」って感じで進んでいることがある。死界からヌッとやってくると結構びびるので驚くことぐらいは許してほしいのだが、その後。うさんくさそうな顔をするひとを何人も見た記憶がある。私も、あんな顔をしてなかっただろうか。あんな目で、ひとさまを見ていなかっただろうか。そのひとはもしかしたら足が不自由だったのかもしれないし、母のように左半身が言うことをきかないひとだったのかもしれないのに。
自分のことを疑い始めると自信がなくなってきて、最近は、母とはまた違う理由で外に出ることがちょっと怖い。私は外を歩いているとき、向かってくるひとのことも、抜かしていくひとのことも、自分が抜き去るひとのことも、まったく気遣わないで歩いてきた。母といるときは母という存在があるので周りに注意しているものの、ひとりになったときには、文字通りまた独りよがりな歩き方に戻っていないだろうか。この世には様々なひとがいる、だなんて今っぽいことをわかっているふりをしながら、まるでこの世には健常者しかいないというような顔をして、歩いてやしないだろうか。
研究者でもなければ有識者でもないので大したことは言えないのだけど、もともと体に障りのあるひとたちにフィットするように作られていたら、そもそもバリアフリーなんて必要ないのでは、なんて、電車とホームの隙間があまりにも広い駅で降りたときに一丁前に思ったりもする。フィットする対象を変えるための案もなければ、母が細い歩道でも快適に移動できる案も思いつかないのだけれど。
それでも、しょうもない私が外を歩かないという選択肢はほとんどなくて、様々なことを気にしながらご近所を、街を、歩いている。
(まだ、最後ではない)