見出し画像

愛とか呪いとか。(3) お金の話

高額療養費の見直しが検討されているらしいですね。何が悲しゅうて。

経済アナリストの森永卓郎さんが、原発不明がんによりご逝去されたニュースが流れた日でもありました。御冥福をお祈りいたします。

9月に母が倒れてからこの方、請求される治療費の額も私は見ていて、それがどれだけとんでもない額になっているかはわかっている。

今日はそんな、生々しいお金の話。



がんにはお金がかかるのよ


まず高額療養費ってなんぞや、というところから。

高額療養費制度とは、

高額療養費(こうがくりょうようひ)とは、健康保険法等に基づき、日本において保険医療機関の窓口で支払う医療費を一定額以下にとどめる、公的医療保険制度における給付のひとつである。

wikipedia

つまり健康保険の対象になる医療のうち、あまりにも費用が高額になってしまう医療については、国民の健康維持と負担軽減のため、定められた額以上は支払わなくていいですよ、という制度である。負担軽減のため!である。ここ大事。


高額療養費は費用を払うひとの個人年収から計算される。今回の引き上げの件でよく取り沙汰されるのは、70歳未満のうち、一番当てはまるひとが多い年収約370万〜769万円のひとの場合。今までは8万1,000円が上限だったところ、基準になる年収が細分化されるほか、最終的に引き上げられた際の限度額は、約370万〜509万円のひとは8万8,200円、約510万〜640万円のひとは11万3,400円、約650万〜769万円の年収のひとは13万8,600円になる。

現行制度上、8万1,000円が限度額となるひとは、場合によると5万円以上引き上げられることになる。


しかも高額療養費は月毎の計算になるので、ざっくり言ってしまえば毎月医療費がかかって、そのすべてが高額療養費制度の対象となると、毎月その療養費が請求されるという仕組みだ。この点は引き上げされても変わらない。

たとえば現行の制度でいえば、年収が750万円のひとで、1月から2月にかけて高額療養費が発生したとすると、月計算なので1月分と2月分とで請求される。つまり、1月に8万1,000円、2月にも同額の請求がくるということだ。1年間ずっと高額療養費が発生すると、8万1,000円×12ヶ月なので97万2,000円。

1年間ずっと治療するわけないでしょ〜と思われるかもしれないが、高額療養費の対象になるのは難病ばかりで、1回きりの治療で終わることはほとんどなく、年単位に及ぶ長期の治療になることが前提となる。場合によっては何十年と続く。引き上げされていない現在でもかなりの出費となることがおわかりいただけると思う。


私の母を例にとってみると、まずは脳腫瘍のサイズを小さくするためのガンマナイフ、そして肺がんのための抗がん剤。抗がん剤は3週間に1回のスパンで投薬する必要があるので、そのたびに治療費が必要になっている。

これは補足になるけれど、母のように通院治療で済んでいるひとだけでなく、難病を抱えるひとの中にはずっと入院やリハビリが必要な方も当たり前に存在していて、その方々は高額療養費の限度額の対象にはならない入院費など諸々の出費も抱えている。


死ねって言うの


高額療養費見直しを受けて、数日ずっと「#高額療養費制度引き上げ反対」のハッシュタグを追っかけている。

つらくて見てらんないです。でも見なきゃ。

もしかしたら前章を見て、「がんを患ってる割に700万も稼げるなら大丈夫なんじゃない?」と思った方もいらっしゃるかもしれない。でも相手は病人なのだ。


私の母も、病気をした後仕事をしていた。個人事業主だしリモートの仕事だし、出社形態で勤めているひとよりも融通が利いた。取引先も良い人で、病気を明かすと無理しない程度で良いと言ってくれたようで、母の体調優先で働けているのも大変ありがたかった。

それでも、母は仕事を無期限で停止した。

できると言って参加させてもらったプロジェクトを、抗がん剤の副作用が出てしまったせいでキャンセルしたのだ。それは母にとって一番やりたくなかったことで、しかし副作用がひどく、やめるしかなかった。幸いプロジェクトの進行には問題がなかったようで、途中で抜けてしまったにもかかわらずそれまでの仕事に対して若干の対価ももらうことができた。それでも、仕事人間の母はかなりショックを受けていた。

そして、これは母に限ってのことだ。

フルタイム出勤が当たり前の会社員であればこんなことは許されないだろう。上司に相談すれば「休め」と言われる。休んだとしても体調が回復するかは約束されていない難病を抱え、しかも休んだ分の給料は、有給休暇を使い切ったら当然ながら発生しない。それでもお金は必要だ。1年間ずっと高額療養費が発生すれば、97万円以上が必要であることは先述した通り。

「がんを患ってる割に700万も稼げるなら大丈夫なんじゃない?」に対しては、「がんを患ってる割に700万も稼がなくてはいけない」が正しい。


治療費、入院費、リハビリに薬代。もちろん、健常者と同じく生活費もかかる。いつまた発生するかわからない体調不良と費用のために働かなくてはいけない。だから早く仕事に復帰したい。

母の場合は、仕事をやめても現役で働いている娘二人と叔父(母の兄)がいる。車もあって、通院のために母を送ることができる。追加で薬局で薬をもらわなくてはいけないときは、病院の帰りに寄ることだってできる。そうやって近くに助けを求めることができる母と違って、自力でどうにかしないといけない患者はさらに出費がかさむだろうし、労力も必要になってくる。


制度の見直しによって、年収700万円の病人は限度額13万8,600円への引き上げが検討されている。何度も申し上げている1年間ずっと高額療養費がかかったら…の例をとると、13万8,600円×12ヶ月で、166万3,200円の出費になる。

思うように動かない体と読めない体調の中働いて、97万円以上の出費をギリギリのところでどうにか支払っているひとたちが、さらに70万円の出費を迫られるのだ。健常者でも70万円の節約のため自分の生活を見直すことは難しい。それを病人に強いるのは、かなりおかしいことではないか? ていうかそんな節約できないよ。

限度額が引き上げられた結果、生活が成り立たない病人は、治療をやめることも視野に入ってきてしまう。がんなどの難病の治療をやめる、それはつまり死ぬということ。

仕事をやめた母でも、治療をやめる気はない。私だって母に、「治療費が払えないから死ね」とは言いたくないし、そのために家族でがんばっている。



人間らしく生きる権利を


治療費がぎりぎりで保たているひとたちにとって、限度額の引き上げは死刑宣告に近い。

それにもう一つ。これはもしかするとわがままと捉えられてしまうかもしれなくて、書くかどうか考え続けたのだけれど、言うことにする。切り詰めて切り詰めて、治療費を出すことだけが人生だろうか。


厚生労働省の「高額療養費制度の見直しについて」の中の「高額療養費制度の見直しの方向性(案)」には、以下の記述がある。

約10年前(平成27年)と比較すると、物価上昇や賃上げの実現等を通じた世帯主収入・世帯収入の増加など、経済環境も大きく変化している。

https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001384399.pdf

いやまあ、それはそうなのかもしれないのだけど、「それでは賃上げした分豊かになった世帯には治療費を加算してもいいでしょう」ということになるのはあまりにも身勝手ではないかと私は思う。


とあるご家族が、お父さんやお母さんの出世などによって収入が若干アップしたとする。そのご家庭ではお子さんが難病を患っていて、入院や退院を繰り返し、毎年の治療費もばかにならない。

その中での収入アップ。親御さんなら、お子さんの体調がいいときにめいっぱい遊ばせてあげたいと思うのではないか。行きたいと言っていた遊園地、見たいと言っていた映画。食べていいならごちそうだって。楽しいことをしているときに、アレはだめコレはだめと言いたくないから、おみやげとかちょっと余分なものも買ってあげるのは家族愛と言えるだろう。

そこに、限度額の引き上げが決定したとしたら。

看過できないほどの引き上げ。年間で何十万と治療費が加算されるとしたら、遊園地だとか映画だとかごちそうだとか、なかなかやってあげられないだろう。生きるためだからといって治療を優先させればさせるほど、楽しいことはできなくなる。


親と子を例にとったことは、ちょっとずるいのだろうか。
でも、こういう家庭が出てくることに、絶対にありえないと言えるひとはいないのではないか。


私の母は食事制限がまったくない。だから毎日、食べたいものを食べている。私たちもそうしてほしい。左半身がうまく動かなくて、長いこと歩いたり出かけるのが難しい母は、大好きな旅行も簡単にはできない。現に、計画していた二泊三日の旅行は母の入院でキャンセルになった。それでもすぐに食欲だけは取り戻してくれたので、母の好きなパン屋さんでパンを購入して食べ比べしたりして、母が楽しく過ごせる時間をみんなで作っている。

何度も言うが、母には私たち娘や叔父がいるからできている。

もし他人の援助がなければ母は、入院するたびに文句を言っているまずい入院食のみを食べ、治療予定表をことごとく裏切ってくる自分の病気に備えて預貯金を減らすことに恐怖を抱き、ちょっとした買い物も控えるようになり、家にこもり、光熱水費を気にして極度の節約を心がけ、そうやっていつか来るタイムリミットまで時を過ごすのだろう。車を運転できないから通院は毎度タクシーになるし、その出費だけでも頭を抱えることになる。そこには配信などのサブスクによる娯楽は存在しないし、食事制限がないのにスーパーで一番安い食材ばかり買って、旅行なんて言語道断。趣味のひとつもしないで母は、いつか病によって死ぬ。


母の主治医は、本格的に治療が始まる前に言った。「人間らしく生きていくことを最優先にしてください」と。

きつい副作用に悩まされて、ほぼ毎日起き上がることができず、寝たきりになってしまい、最後の最後までやりたいことのひとつもできなくなるような、それでも息をすることだけであれば長く続く――そんな時間の使い方を望まない母への言葉だった。

もちろんこれは根治不可能な病気を患った母への言葉で、病気や患者によってはどんなに寝たきりであってもいつか起きることができるから、という言葉に変わることだってありうる。それは間違えないでいただきたい。

仕事をしたいならして、好きなことがあるならそれをやり、好きなものを食べ、好きな映画を見て、体力が持つならば旅行もしてみたり、そういう特別なものを楽しみにしながら、病気と付き合いつつ、素朴に、ふつうに、生活する。母のようなひとにとって、「人間らしく」生きるというのはそういうことなのではないだろうか。


がん患者が好きなことしたいとか旅行したいとか言ってんじゃねーよ、という言葉をかけられるのかなあと、書きながら戦々恐々としている私がいる。それでも、病人だろうと人間であることに変わりはなく、健常者と同じく欲はあると先日の記事でも語った。その気持ちは今でも変わっていない。


健常者と同じように、とは言わないし言えないことが多くある。病気と付き合う分、様々なことができなくなり、我慢しなくてはいけない。その分やらなくちゃいけないこともしたいことも、ものすごく制限される。

だけどそれでも、ほんの束の間、自分の体調が落ち着いたとき、気分が晴れやかなとき、細やかな「特別」を過ごす権利は病人にだってあるのではないか。それだけは、「健常者と同じように」楽しみにしていたっていいのではないか。限度額引き上げは、そういった特別を病人から奪い、ただ息をしているだけの人生を強いるものではないか。

どうか、難病を患っているひとから、人間らしく生きる権利を奪わないでほしい。


高額療養費制度引き上げについては、全がん連理事長の天野慎介さんが主導されて、反対署名の募集がされています。オンラインの署名で展開してくださっていて、どなたでも署名できます。私も署名しました。難病患者の生きる権利のためにも、声を届けるためにも、皆さんで応援しましょう。


いいなと思ったら応援しよう!