目線のチカラ
何度も私を見返す、我が子。
何をそんなに見つめるのか。
どうしてそんなに目線を気にするのか。
周りを見渡すと、おもちゃで散らかっている。
食べ終えたお菓子の袋がそのままの状態。
ん?
反応を伺っている?気にしている?
怒られると思っているから?
私がそういう行動をするかもしれないという思い込みから、無意識の行動なのか。
ということは、普段の私の行動が、目線を気にさせていることになる。
いい子でいなくちゃいけないと思っているのかな。
そんなこと言ったこともないし、むしろ子どもらしく今を生きてほしいと願っているくらい。
考えすぎかもしれないが、ふと考え込んでしまった。
学校でも、目線を気にする児童はたくさんいる。
特に今はお互いマスク姿ということもあり、表情が分かりにくい。
目線や見つめる影響を大きく感じる。
目から表情だけでなく、何を考えているのかをこれまで以上に意識を傾け、教師がキャッチしていかなければならないと思う。
ううん、大人だってそう。
目線を気にする大人はたくさんいるし、少なからず自分もそう。
生きにくい社会を作り出している一つの要因と言ってもいいんじゃないか。
もちろん、決まりでも何でもない。
ただ自分自身の問題と言ってしまえばそうなのかもしれないが、それでも威圧的に感じる目線を感じ、表情を伺いながら言葉を選ぶこともある。
(だから自分らしく生きたいと常に感じるし、好きな自分を考え続けることができているんやろな)
マスクをつけることはこれからの日常生活の一部として、生活スタイルには欠かせないグッズの一つとなるだろう。
だからこそ、この目線のチカラが大きいこと、非常に影響力があることを今まで以上に慎重に捉え、かつ目線の送り方にも意識を向けていきたい。
刺すような目線ではなく、包み込むような眼差しを。