timesの運用をやめた
times a.k.a 分報の運用を今年の3月中旬にやめていた。
正確には所属している企業の都合上timesが2つあって、そのうち「会社に関する話題で仕事に関連しない話題」と「自分の住んでいる地域に関する話題」をするtimesは残しているが、「仕事に関連する話題」を書くtimesはアーカイブした。
なぜtimesの運用をやめたか?
理由としては2つある。
可視化と共有が弱い
timesはpublicではあったが、他の人は任意で入ったり能動的に見に行かないと投稿が見られないため、公開範囲は半プライベートといって良い。たとえるならMastodonにおける未収載(unlisted)みたいな公開範囲だろうか。
Working Out Loudという概念を知ってから、自分の思考をなるべく公開の場に書いて仕事をしているが、このWorking Out Loudを実践する場合はtimesだと可視化と共有が弱いと感じる。
もやもやをそのままにしてしまう
自分の場合、timesがもやもやを吐き出す場として機能してしまった。もやもやは適切にWhy, What, Howに分解して、組織に対してなにかしら提言できそうなら提言する必要があると思う。
今まではもやもやの状態をそのままtimesに吐き出すことで満足してしまった部分があった。誰かが解決してくれることを待っていたかもしれない。
timesをやめてどんな効果があったか
timesをやめたことによって次に挙げる良い効果があった。
よりpublicな場で自分の思考過程を流すようにしたら、同僚からリアクションをもらいやすくなった
以前は自分の思考過程をあまり公開していなかった。
timesをやめてから意識的に自分の思考過程を他の人も見やすい場に投稿するよう心掛けたら、割と同僚からここはこうするともっと良くなるかもといったアドバイスが来たり、分からなくて困っているという投稿に対して解決のヒントになるような返信がされたりと自分にとって良い影響があった。
ただチャンネルにつらつらと思考過程を流すと、チャンネルの投稿が自分の投稿で埋もれてしまうので、Slackのスレッドを使って自分の投稿ばかりにならない工夫もしている。
他人や他チームに対して能動的に話ができるようになった
以前は他人や他チームに対してどこか遠慮をしてしまって、なかなか質問や提案をできないということがあった。
ただtimesをやめたことによって、自分の中で精神的に吹っ切れた部分があったのか以前より能動的に話ができるようになったし、そのおかげで仕事も前より回るようになった。
また周りに助けてもらうばかりじゃなくて周りを助けるほうも、以前よりできるようになった。
自分はこれからもtimesを運用しない
timesの運用について他人にどうこう言うつもりは全くない。あくまで自分にとってtimesは合わなかったというだけだ。
仕事に関するtimesをやめて現状悪く思ったりtimesがないとダメだと思ったりしていないし、今のところは仕事に関するtimesを運用することはこの先無さそうと考えている。