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「論語」の好きな言葉

拝啓 奥さんへ

本日は、夫の好きな「論語」の言葉を紹介します。

子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従い矩を超えず。

論語

四十にして惑わずとは、自己の学問に対して自信を得て、事を判断するにあたって迷わないことを指します。四十半ばになるのに、夫は惑いまくりなので、ちょっと困ってしまうのですが(笑)

朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。

論語

朝、人間の生きるべき道を聞いて会得することができたなら、夕方死んでも心残りはないということです。 真理の追求の重要さと、それにかける情熱を強調したことばとして、知られています。なんだか禅の言葉っぽくて好きです。

子曰わく、学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。
朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。
人知らずして溫らず、亦た君子ならずや。

論語

最後の、人知らずして慍らず(他人が自分のことを認めてくれなくても憂えない)は、お気に入りの言葉です。学ぶ事により自分が成長していく楽しさを知ることが大切です。学問を身に付けたことを他人が認めるかどうかは重要ではありません。徳を身に付けることが大切であるという意味だと思います。

巧言令色鮮なし仁

論語

言葉巧みに人の心を誘い、いつも人の顔色をうかがうような人間は、真心に欠けているのだから心せよという教訓です。その反対の、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である「仁」に近い者であることを意味します。英語でも「Silence is golden」という教訓があります。下手な弁解や言い訳をするくらいなら、黙っていた方がましなのかもしれません。

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。

論語

知恵のある者は活動的で、思いやりの徳がある者は落ち着いている、ということ。自分は知者でありたいのか、それとも仁者でありたいのか、どっちだろうか?と悩むところですが、時と場合によるような気がします。

義を見てせざるは勇無きなり

論語

目の前に困っている人を見かけたら、 見て見ぬふりをするのではなく、手を差し伸べることの出来る人こそが、勇気を持った人であるという意味です。 
そういう優しい人になりたいと思います。

老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん。

論語

老人からは安心されるように。友人からは信じられるように。年少者からは慕われるようになりたい。これも好きな言葉ですね。

子貢問いて曰く、一言にして以って身を終うるまでこれを行うべき者ありや。子曰く、それ恕か、己の欲せざる所を人に施すことなかれ。

論語

子貢が質問して言うことには、
「一言、生涯貫き通すべき言葉はありますか。」と。
それは恕(思いやりの心)であろうか。自分がしてほしくないことは、他人にもしてはならない。
これは本質的な質問に対して、ズバッと一言で応えているところが好きですね。論語の中では一番好きな言葉かもしれません。

上記の言葉は丸暗記してお風呂などでよく暗唱しています。
論語は音読するのがいいですね。音で聞くと身に染みいる気がします。
好きな言葉は何度も繰り返し読むことをおすすめします。多謝。

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