正面から受け止めず、適当に「受け流す」図々しさを身につける
拝啓 奥さんへ
夫の好きな羽生さんが「鈍感力」に通じるものを書いていたので、引用が少し長くなりますが、ご紹介したいと思います。
「大局観」(羽生善治)より
2003年から2004年にかけて、私は次々とタイトルを奪われて、一冠になってしまったことがあった。
分析してみると、自分の感覚や将棋観と相容れない戦法が流行し、それに自分が対応できなかったことが敗因だった。つまり、それまで自分のやり方ではダメだということだ。
新しい戦法にどう合わせていくか、どんな対策を立てていくかをかんがえなければならない。現在の将棋は、刻々と変化している。そのなかで自分なりのスタイルをどう貫き、新たにどんなスタイルを作り上げていくかが大事なのだ。
こうした反省をしないと、同じ間違いを何度も繰り返してしまう。負けも進歩の1プロセスと考えてプラスの材料とし、成長していこうとする姿勢が大切だと思う。
棋士にとって大切な資質の一つに、こうした「打たれ強さ」がある。
負けたとしても、また立ち上がって前進していかなければならない。
なぜなら、プロの将棋界は十代から七十代の棋士で構成されていて、定年は特にないからだ。四十年、五十年、人によってはそれ以上の長い期間、対局を続けていかなければならない。
一つ負けたから、一つの失敗をしたからといってくじけていたのでは、とてもではないがプロ棋士として生きていくことはできない。
負けたとしても、正面から100%「負け」を受け止めるのではなく、適当に受け流す図々しさも必要ではないかと思う。これは、渡辺淳一先生が書かれた「鈍感力」に似た発想かもしれない。
一局について、どこで投入するのかが重要なように、長いプロ生活の中においても、負け方は大切だと思う。
なぜなら、勝っている時や順調な時に方向転換するのは難しいが、負けている時ならばさまざまな変化をしやすいからだ。
変化の極端に速い時代においては、むしろ適当な負けも必要不可欠な要素なのではないかと思っている。
所感:夫は、客観的な分析によると、真面目で誠実な性格らしく、その分、打たれ弱い。リカバリーは早いほうがだと思うのだが、何事も正面から受け止めて凹んでしまうことは、日常茶飯事である。そこで、この羽生さんのアドバイスが利いてくる。いかに「打たれ強く」なるか。本文の中に、負けたとしても、正面から100%「負け」を受け止めるのではなく、適当に受け流す図々しさも必要ではないかと思うとある。言い方を変えると、渡辺淳一先生の「鈍感力」に通じるものだが、これは含蓄に富んだ言葉だと思う。よく考えてみれば、負けは過去の話であり、すでに過ぎ去ったことである。わざわざフィードバックしてきて、凹む必要もない。それよりも、いま、現在のことに集中すべきである。釈迦の言葉に、
という言葉があるが、まさにその通りである。負けたとしても、正面から100%「負け」を受け止めるのではなく、適当に受け流す図々しさを身につけていきたい思います。多謝。