振り返り|意見を主張したい人、意見の相違を認めて進みたい人
こんにちは、モラハラ夫の久保だいすけです。
今日は一年間待ちに待った、娘の発表会です。
朝から美容院を予約して、この日のために必死に練習も重ねてきて、なによりも楽しみに披露することを願ってやまなかった娘と、その娘を応援している家族全員が待ちに待った日です。
そんな日なのですが、本番を控え、本番前最終リハへぼくが娘を送り届ける道中、二人に起きた #加害 になりかねない瞬間と明確に自分のトリガーについて改めて気付かされたケースについて共有します。
速報のツイートはこちらから:
背景|遅れて焦る娘となんとかなると思う父
会場の集合時間は、本番前のリハも考慮して少し早い14:30でしたので、30分離れた家を10分余裕見て13:50に出発していました。
ただ途中で道が混んでいたのと、狙っていた駐車場が満車で、3つ目の駐車場候補(会場まで徒歩4分)に駐車できた頃には14:27でした。
そして事件はそこで起きました。
そもそも娘は失敗を恐れる性格。
これは責任の一端を最近感じていて、下の子ということもあり、かなり要領が良く、幼い頃から教えないでも色々できてしまっていたことを褒めて育ててしまい、その結果に目がいくようになっているのかなと。
それはさておき、遅刻は良くないことであり嫌という感覚と、待ちに待った本番ということもあって、何かあってはいけないという焦りがあったのだと落ち着いた今なら振り返って理解できますが、当時はかなりイラッとしました。
特にイラッとしたのは太字の部分。
「ダメじゃん」「ダメなんだよ」「ダメじゃん」
三連発を喰らいました。
ぼくは何も悪くないし、大したことがないこと。でもなんでダメダメ責められるの?おかしくない?というのが、ここの大きなイラ・ポイントでした。
多くの場合は、誰かが用意するのに時間がかかり、予定していた時間を過ぎて出発することがありますが、今日は一切そういったこともなく順調でした。ですので誰も何も悪くないという想いがありました。
それにもかかわらず、やっと見つけた駐車場に車を停めて連れていく中で、数分遅れなら大丈夫という大人の感覚がありました。大したことはないと思うのは、この感覚に基づいてですが、娘にとっては一大事だったのだと今なら思います。
モラハラの傾向の一つでもある「大したことない」と思うことは、自分の勝手な「大したことない」を強要することであり、娘の感情を「大したことない」と寄り添っていません。それは娘も傷付きますし、なんならそんな大人は怖いし嫌ですよね。
もう一つここで見られるモラハラの傾向は「親切に思ってした行動を相手が喜ばなくても不機嫌になったり怒ったりしない」という相手の感情の強要が背景にあるように感じました。
ぼくは親だから当たり前なのではなく、娘は暑い中で電車とバスを乗り継いで一人で会場へ向かうのではなく、涼しい車の中に座っているだけで楽に連れて行ってもらえることに感謝すべき、という想いがあります。
いずれも、そこに娘を愛する気持ちはあっても、配慮やケアは不足していた思考・行動でした。
無言は無視?無言は防衛反応で、無視は攻撃。
もう一つの僕のトリガーポイントは、何も答えずに無視された(無言だった)ことでした。
私はモラハラしないように必死に、ダメダメ言うんじゃない!パパ何もしてないでしょ!と怒らずに、「じゃあどうすればいいかなぁ?」と返したつもりでした。
ただそれがぼくが思っていたよりも怖かったか、これまでの積み重ねで怖かったのか。娘は無言でした。返事すらしませんでした。
そしてこの行動をぼくは無視をされたと、自分を蔑ろにする行動として捉えてしまいました。
これは無言を無視と解釈してしまう癖で、無視をされることは上述のとおり蔑ろにされたと感じてトリガーになります。
娘としては、言葉に困っていて無言だったのを、無視と捉えたぼく。もしくは無言のままだと無視したと思われて怖いパパが出てくる、どうしよう!ともうパニックだったのかもしれません。
その証拠に最後に娘が言ったのは、「だから👧🏻はもうお話ししたくなかったんだよ」でした。
実は背景にあった伏線
この会話の前に、車内では伏線となる意見の相違がありました。
互いに正しいと思いながらも、正そさをぼくが証明しても仕方ないと思い、「じゃあそれは意見が違うんだね」で済ませようとしたが、納得のいかない娘は何が違うかパパの考えを教えてと言うのでゆっくり話。
ただ話終わった側から第一声で「ちがう」と娘は真っ向否定されたので、
「だから意見が合わないって言ったんだよ」と今度こそこの会話にピリオドを打ちました。これ以上は論破しにかかってしまう恐れがあったので、自分を抑えるために必死でした。立証できる自信があっても、運転中だし、正しさを証明しても何も得るものはないと学んでいます。
でも👧🏻は不満そうで少しの間、ダンマリを決め込んでいました。
意図が交錯する2人に忍び寄るモラハラの影
意見の相違を扱うのは難しいです。
双方にディシプリンが必要な気がしますが、最も必要なのはぼくです。
どちらも意見を主張したい方と、Agree-to-disagreeして流したいと思っている方がいる中で、どう会話やその場の収束を図るかというケーススタディでした。
ただ同時に、速報としてTwitterにあげた後、冷静にこうやってnoteに書き出してみると色々見えてきました。
「大したことはない」は、相手に寄り添っていないサイン。
相手に自分の価値観や視点を強要していないだろうか?相手から感謝を求めない。感謝されなくても仕方がない。
自分の行動と思考しか変えられず、相手の行動は変えられません。無言は無視ではない。無言にこそ寄り添う。
無言は相手からの十分なメッセージ。しっかりそこに寄り添ってこその思いやり。
これらを肝に銘じ、娘に会ったら謝ろうと思います。
こんなぼくを父として子供たちの近くに今日も置いてくれて、妻ちゃん、ありがとう。