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母がくれた苦しみの話 #01
こんばんは。モラハラ夫の久保だいすけです。
今日、なぜか日中どこからともなく、実家に住んでいた中高生の頃のことを思い出しました。
父は常に海外を飛び回るような人で、ぼくが小学6年生以降はずっと海外の僻地に単身赴任をしていました。単身赴任となった原因は、ぼくが行きたくないと言ったからです。すでに一度その地域に住み、ようやく日本に帰ってきて落ち着いた時にもう一度行くことは考えられず、直感「行きたくない」と言ったのが父の決断につながったそうです。
母と二人暮らしの6年間
小学校6年生から、一人っ子だったぼくはそれまで家族3人で暮らしていた一軒家で母とぼくとの二人暮らしが始まりました。
最初は特に問題はなく、むしろ自分がいい子にしていれば遠くに住む父も心配しないと思い、人生で最も良い成績の1年を過ごしていました。ただそれが中学に入ると、部活などの誘惑もあり、学業<部活の生活になっていきました。
同時期に母は祖母(母方の)の介護もあり、心身ともに疲れていたのだと思います。
そしてこの【父の単身赴任】と【祖母の介護】が重なったことで、母は毒親になっていきました。
不機嫌を撒き散らす母
母はその頃から抱えきれないストレス下にあったのか、自分の気に入らないことがあると、すぐに不機嫌を家中に撒き散らしていました。またそれは数時間では終わらず、長い時は数日間続くこともありました。
なので学校か帰宅した時に、ステレオから母の大好きなSMAPが流れていれば母は機嫌がよく安心。そうでなければ、そーっと「ただいま」を言いながら顔色を伺い、あー、今日は不機嫌か、という生活でした。
それが普通だと思っていましたが、これって最近知ったのですが、まさにザ・毒親の典型なんだそうですね。
悪魔のダブルバインド
当時はダブルバインドという言葉なんて知りませんでした。
「ダブルバインド」とは、二つの矛盾した要求や情報を受け取ることで、どちらの選択肢を選んでも罪悪感や不安感をおぼえるような心理的ストレスのある状態のこと。米国の精神科医グレゴリー・ベイトソン氏によって提唱された理論で、日本語では「二重拘束」と訳されます。
母の機嫌を損ねると、最悪でした。
あなたが間違ったことをしたのだから謝るのが当たり前。
謝れば、ごめんで済むなら警察いらない。それに謝られても私の気分は収まらない。
さらに謝れば、なに?私は常にニコニコしていないといけなくて嫌な気持ちもしてはいけないの?
この後は、もう知らない。何もしてあげない、と食事抜き、無視。実は無視ならまだよくて、はぁ〜、と聞こえるようにため息を吐き続け、台所の流しに立てば、洗い物のザルを水を切るためか流しにガンガン打ちつける。
もっと最悪なのが、恫喝され、人格否定されるまでネチネチネチネチ話が続くことでした。
母の中の魔物を呼び起こすのは?
高校時代になると、一時帰国する父がいつかぼくが我慢しきれずキレてしまい家庭内暴力につながるのでは?と本気で恐れていたそうです。
ぼくとしては、それだけ母の不機嫌がエスカレートしていました。
こちらも反抗期ではありましたが、毎度毎度立ち向かっては、結局あるところまでいくとこっちだって生きていかなければならないので、食事のためでも、なんのためであっても、ダブルバインドされようが、もう知らないと突き放されようが、謝り続けるしかないモードに。
その後は、ずっとネチネチと、なぜ自分が気分を害しているか。その原因がいかにぼくにあるか。ずっとこれを聞かされ、ごめんなさい、と言い続けるしかなかったです。
書いていて少し苦しくなってきたので、ちょっとどんなことで母が気分を害していたのかというと、
夕飯ができた時に、1階の台所から母が呼んでいるのを、2階の自室にいるぼくが聞こえない時
部活後6時ごろに帰宅。我が家の夕飯は7時。その間にうたた寝をしてはダメ
夏休み中、家にずっといないで何かしろと言われ、バスケをしに行くと毎日毎日バスケばっかり行ってと怒られる
バスケで捻挫をしたら怒られた(別に大した捻挫ではなく全治1週間程度のかるいやつ)
彼女との電話(当時は家電だった・笑)が30分を1秒でも超えた時
なんかちょっと気分転換にと思ったけど、笑えるぐらいどうでもいいことばかり。なぜあの時、知らないならじゃあいいです、と捨てなかったのか。
それだけ既に洗脳されていたのだと思います。
彼女との電話後になにかあろうものなら、当時は携帯もない時代なので、翌朝に登校するまで味方はゼロ。自分で凌ぐしかない。
誰がそうさせたと思っているの?
ある晩、深夜ぐらいまで続いたネチネチにより、もうぼくの精神はボロボロでした。その後、あまり眠れずに翌朝登校すると、当時付き合っていた彼女が顔を見て心配してか、話を聞いてくれました。
「悪ことをしたなら謝るべきだし、すぐに許せなかったとしても、人格否定をしてボロボロにさせることは良くない」
「今夜それだけは辞めてって言ってみたら?」
確かに彼女の言う通りでした。そう思いながらも、結果がどこか見えているというか、それができたら苦労しないというか、漠然とした不安はありました。でもその晩、ぼくは意を決して母に話しかけ伝えました。
前夜からの不機嫌は若干は改善されていた母でしたが、一気に顔色が変化。案の定、ぼくの不安は的中しました。
『傷ついた?傷つく言い方はやめてくれ?』
『だれがそうさせたと思っているの?あなたがそうさせたんでしょ?』
『勝手に責任転嫁してくるんじゃない』
『昨夜のごめんなさいは嘘だったってことじゃない』
そしてこの夜も何時間と母の不機嫌によって溶けていくのでした。
ごめんなさい、という言葉の価値
この頃からだったと思います。母からぼくは「ごめんなさいの大安売り」と言われ、ごめんといってもそんな口先だけの謝罪はいらないとも。
じゃあどうすればいいの?まさにダブルバインド・オブ・ザ・ダブルバインドです。
ぼくの「ごめんなさい」はそんな母の言葉により、紙ペラ一枚にも満たないような価値のないものに成り下がっていきました。
実はこれは今にもつながるような気がします。
モラハラのごめんなさいは、「あなたのことを傷つけたならごめんなさい」といったように条件付きの謝罪だと良く言われます。そしてその条件が満たされた時に発動するのは、ごめんなさいと謝った事実だけであり、謝った方も特に自覚はなく、謝られた方も全く感じ取るものがないものです。
その奥には、謝っておけば良いと言う発想があるのでしょうか。
もしあるとすれば、ぼくのその感覚は、後天的に母との関係の中で作られたものな気がしてきます。
まとめ
特にまとめることもありません。こんな出来事が昔あったと言うことを思い出しました。
ただ、これをきっかけに今でも母からの呪縛は自覚あるものも無自覚なものも、多くあるような気がします。そして毒親だと母のことを否定していながらも無意識に母の言葉や教えが染み付いており、それに歯向かおうとする人がいるならば、母がそうだったようにぼくも反射的に噛み付くのかもしれません。
妻には特にそうだったような気がします。。本当に妻には、ぼくがされて嫌だったことをそのまましていることがこうやって書き出してみるとよくわかります。
そこに耐えさせるような生活を強いてしまい本当に申し訳ないと思っています。そしてそれにも関わらず、今日も同じ屋根の下にいてくれて、妻ちゃん、ありがとう。