流れ、ころげる
好きな言葉と聞かれると答えに困るのだが、
苦手な言葉、嫌いな言葉となるとたくさんあげられる人生。
「あなたの夢、目標はなんですか?」
私が特に苦手な言葉だ。もちろん夢、目標を持ってる人は素敵だし、尊敬するし。社会的に良く見られるだろう。ただ、やはり人の価値観はそれぞれだ。だからこのような意見も主張する権利がある。
この言葉はよく、就活での面接でも使われるだろう。
「あなたの目標は?うちに入社してどうなりたいか?」こんな質問ちゃんちゃらおかしいと毎回思う。まず未来の事なんて知らないし、入社してどんな人材になりたいとか、まだ入社してないでどんなことを経験できるか分からない人間に聞くことなのか?それで答えられたとしてもそれは面接を乗り越えるため自分をよく見せるためふり絞った、嘘の言葉でしかないと思う。
私が面接官ならそんな質問はしない。「どんな人間でいたいか?」は聞くだろうが。
スポコンみたいなのに洗脳されて、バイアスかかって、がっちり目標を持っているのが、マスト。美徳。みたいな考え方はやっぱりどうしても多いみたいで。それがないとフラフラとしたきっちりしてない人だなと思われてしまう。なので学生の時は面接では何とかテキトー言って誤魔化してた。
(今ならはっきりと説明して目標は無いですと言えるのだが。。)
そもそも、人生なんてフラフラとして何だかよくわからないものだろう。
そんな中で目標なんて設定しなくても、「死」という確実な目標が既に設定されており、今この瞬間もその目標達成に向かっているのだ。これ以上目標を作る必要があるのか。
自分が考えたことより、予想外のほうが楽しいと思う。
私の例を挙げると、、
目標がなかったから、純粋に興味があった服飾学校に行ったし、そこに行ったからって「服を作る人になる」という目標をきちんと設定しなかったから、他の分野、文化も学ぼうと思ったり、音楽制作を独学で始めようと思ったり。視野を広げて物事を探ることができた。
そして、服飾の会社に勤めても、目標がなかったから、合わないと思った時点ですぐ辞めれて、休憩をして、自分を知るための期間を、この若さで得ることができた。これはすごく意味のあることだった。こんなの予想外だった。有意義だと思えるのは予想外の事がかなり多い。
盲目的にレールに乗っていた所から初めて外れて、社会人レベル1から改めて考えられた。それでも目標を決める気はない、
方向性をある程度決めるだけだ。それぐらいしかできない。
目標へ向かって投擲するより、流れるように、ころがる石のように、
そんな感じが私は心地が良い。
何処で止まるかも分からず、ころがる中、歪な形になったり欠けたり傷ついたりするだろうが。そんなものが、たどり着いた場所が何処なのか関係なしに、美しい物なんだろう。
と、言ったところが私の意見だ。
人間という存在は対等であるべきと思うが、人が均一化されてしまうのは良くないことだ。これからも思ったことは様々な形で残しておこうと思う。