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日記:「やってみる」ができていた頃の私を思い出して。

230118

思ったことであるとか、気づいたこと、考えたこと、書きたいと思ったこと。

そうしたことを、noteに書かないと!書いたほうがいい!などと思って書き始めると、たいてい何について書きたかったのかが有耶無耶になって、ただひたすらにそれっぽいことを書き連ねて、お蔵入りになるってのが常だった。

そろそろ学習しようねってことで、メモに書いていくことにした。

以前は、メモに、noteみたいに書かなくちゃって気負ってしまい、同じことになったけれど、今回は違う。

まず、日記をつけるようになった、これで、なんでもないことを、ダラダラと打ち続けて書くことができるようになった、なにかそれっぽいことを書かないとって、力まなくて良くなった。

こうなると単純に打つ文字が多くなる、書く言葉が増える。言葉の密度は減るかもしれないけど、今はそれでいい。

すると言いたいことがいくつか浮かび上がってくる。
これについていいたい、これには引用元があってだな、と言った感じ。

すると、適当に書いた日記が、自然と原稿のようになっていく、原稿までいかなくてもプロット、おおよその話の筋書きみたいなものが出来上がってくることになる。

たぶん。

話の筋が見えていると、展開が見えるってことだから、話をどこに着地させるのかがわかった状態で書いていける様になる。

すると章立てもしやすいし、実際に話しを展開することもやりやすい。
こりゃいいや、ってことで今もこうして思ったことを、ひたすらに書いている状況が生まれている。

これって、話し相手がいないからひとりでしゃべってるってことでもあるんだけどね。

話し相手を探すのもいいかもだけど、そうすると今度はメモがしにくいよね、書くようなことじゃないみたいな。

そこのハードルを下げて、全部書いちゃう、そうしたら、案外見落としてた日常にあるいろんなきらめき?とかを捕まえられるかもしれない。

これはある意味、思ったことを文字として書き出す、アウトプットさせる練習でもあるわけで。

訓練みたいな、あと、書くことに慣れる。

展開とか、構成みたいなものって、テンプレートの型はもちろんあるんだろうけど、それを暗記してその通りにってのはなかなか難しいところがある。

第一面白くないし、こういうのは、ある程度やって経験を積んだとこに、それをアップデートさせる知識が入ることで学習が加速する、みたいなのがあると思うのよね。

今回も出ました、手を動かせの話。
お前が動かせ。

はい。


やりたくてやっているから、やった方がいい、とか、やらなくちゃでやるようになると、とたんに苦しくなる。波に乗っているときに立てた目標が重しになっちゃうとか。あるある。

そうなっちゃうと、なんでやりたかったかって理由を探してしまうと思うんだよね。

でも、最初って「やりたいと思った」から始めたことが多いと思う。
やるべき、みたいなマインドじゃなくて、手を伸ばしてしまった。みたいな。

そういうものだったって振り返って、もう一度、何も考えずに、面白いと思う方向で、やってみる。再スタートを切るみたいな。

そうしたら、当時の楽しさみたいなものを思い出せるかもしれない。

例えばスーパーマリオの、1-1のステージを進んでるとして、途中で落ちたとするじゃん、そしたら最初からになっちゃうけど、一度通った道だから多少コツはつかむじゃん。

しかも、一度目のときとは違う行き方したりしない?

このブロックは壊さないとか、こいつは無視する。みたいさ。
そうすると新しい発見もあるし、意外と退屈しなかったりする。

退屈になってたら、もうそのステージじゃないってことなんじゃないかなとか思うよね。

それが次のステージに行くのか、そのゲーム自体があってないのかはまた別だけど。

私の話だと、動画の編集とかがそんな感じ。

中学の頃に周りで実況動画が流行って、ノリで作ってみて、なんにもわからないけど調べながら楽しんで作って、できたもの見て楽しんで、また作って、て無邪気に繰り返してた。

それで喧嘩もしたし、あそびなんだけど、遊んでいるからこそ本気というか、全力で楽しむみたいなものがあったように思う。

いまこうして少し思い出してみただけでも、全力で遊んでいた、みたいなことって最近ないなあとか思うのよ、それっていい気付きだと思わない?

当時は、今できることをやる、だってできることしかできないから、で、とにかく作ってた。

今は、私にはなにができるんだろうって、ずっと考えている。考えているだけだと進まないのにね。

今はその実況はもうパソコンのローカルにしかないけれど、年に一度くらい見返したりしてるかもしれない。見やすいものではないし、ツッコミどころはたくさんあるけれど、その時はそれで十分の出来だったし、30人くらいフォローしてくれている人もいて、今見たら拙い編集も、このスタイル好きですって言ってもらえたりして、それなりに楽しかった。

一緒に作っていた人との折り合いがつかなくて途中までになってしまったけど、いい経験だったと思う。

その出来事があるから、結局今でも不意にカメラを回して撮影をしたりしてしまうんだろうな。あのときは、マインクラフトの実況動画を撮るって明確に決まっていたから動きやすかった。

いま、何をするかのところが、モチベーションベースじゃないから定まってないように思う。

書いてて思った。

過去のメモ用紙とか遡ったらいっぱい書いてるのかもしれないけど、書いてそう。

モチベーションってのが、手を伸ばしちゃった、みたいなやつね。

だからそれが、今だとコーヒーのドリップ雑談動画を撮る、見たいな感じにすれば、いいのかもね、いいかもしれんな。雑談と、ドリップの動画を一緒にする、うん、いいかも。

こういうナニするってのが決まっていると、じゃあそれをどうやって実現しようっていう、次のフェーズに進めるようになる。

そうだ、なにするって言えばいいのか。ほーん。

あとはこれをたくさん撮ってみて、ガンガン編集してみればいいってことね。

やりますか、コーヒー飲みたいのよ。だから撮ってくるわ。

またね。

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