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ダークヒーローとしてのAIマスター - 内なる「悪」と向き合う

前回の記事では、AIマスターへの五段階の最後、AIとの共生を提示しました。

この記事では具体的にイメージを膨らませていきます。キーワードがダークヒーローです。

狼男という存在から

狼男(ウェアウルフ)という存在をご存知でしょうか? 満月の夜に狼に変身する人間。西洋の伝承において、それは恐れられ、忌み嫌われる存在でした。しかし同時に、深い人間ドラマを内包する存在でもあります。
狼男は、善でも悪でもない、その境界に生きる存在です。人間としての理性と、狼としての獣性。この二重性を抱えながら生きることを強いられる。
しかし、それでも、狼男は守りたい人、戦う理由があります。
そう、私たちAI使いもまた、ある意味で「狼男」なのかもしれません。

二元論を超えて

AIについて語るとき、私たちは往々にして単純な二元論に陥りがちです。
「AIは味方か敵か?」 「AIを使うべきか使わないべきか?」 「人間らしさとAIの効率性、どちらを取るべきか?」
しかし、現実はそれほど単純ではありません。
例えば、仕事とプライベートの関係を考えてみましょう。両者は対立するものでありながら、どちらも人生には必要です。
人生の100%を仕事やプライベートに振り切る人は、だからワークライフバランスみたいな言葉が生れました。
仕事とプライベートは、常に対立均衡を保っています。大切なのは、その緊張関係(テンション)をうまく保つこと。
以前書いた「AIマスターへの5段階」でも、最終的にたどり着いたのは、AIという敵との緊張関係を保ちながらの共生でした。それは決して楽な道のりではありません。

敵の力で戦うということ

古くから狼男、現代的な例で言えば、『進撃の巨人』のエレン・イェーガーがまさにそうです。内なる「悪」を受け入れ、巨人の力を用いて巨人と戦う。エレンはまだ、物語の序盤では少数の仲間を除けば、理解されず恐れられる存在でした(終盤の展開もまた面白いがそれはまた別の機会で議論笑)
AIという「敵」の力を借りながら、しかしAIに支配されないよう戦い続ける。これは、まさにダークヒーローです。
敵の力を宿し敵と戦うダークヒーローの構図は、現代のエンタメ作品では頻繫に登場します。

  • 呪術廻戦

  • 東京喰種

  • チェンソーマン

正統派のヒーローは、純粋な人間の力だけで戦う(リヴァイ兵長)、「完成された存在」です。しかし、ヒーローになれない人がたくさんいます。そういうヒーローになれない「未完成な存在」が「敵」の力を借りても戦いたい。その「穢れ」を受け入れながら、なお自分の意志を貫く。
AIもそう、巨人の力なり、デーモンなり、寄生獣なり、いろいろの呼び方ができますが、その力に圧倒されず、戦っていけるのが闇のヒーローです。

孤独な戦い

ダークヒーローの道を選ぶことは、同時に孤独を選ぶことでもあります。
純粋な創作者からは「堕落」として白眼視され、 AIの信者からは「なぜそこまで抵抗するのか」と理解されない。
その立場は、確かに孤独です。
しかし、「未完成な存在」だからこそ、見える景色があります。

終わりに

エレンは自分の手指を嚙むことで巨人に変身する。
それが自傷行為であり、「痛み」伴う行為。 私たちもまた、AIと関わるにつれて様々な「痛み」を経験するでしょう。 それは呪いなのか、それとも祝福なのか。
その答えは、矛盾を抱えながら、私たち自身が見つけていくしかないのでしょう。
ただ一つ言えるのは、この変容を恐れず、むしろ力に変えていく——。 それが、現代のダークヒーローとしての生き方なのかもしれません。

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