客観的考察
玄関から入ってきたのは夫だった。当たり前といえばそうだ。
私が早めの帰宅要請をしたのだ。これで昨日から新学期を迎えた子どもたちの、夕食とお風呂と歯磨きと就寝時間は保証された。しかし、それでもなお 私の不安感は解消されなかった。
その後の記憶は実に断片的だった。
時間の感覚が全くないまま時だけが過ぎていく。いや、もはや過ぎているのか戻っているのかさえ分からなくなるくらいに混乱していた。まだ玄関が気になる。次に我が家にやって来たのは実家の母と兄だった。普段と明らかに様子の違う私を心配した夫が実家に連絡をしたのだろう。
夫に帰宅要請をする前に私は実家の母に電話を掛けていた。それは親族含め、自分の身内に心配する要素がないかどうか母に確認を取るための連絡だった。まるで死に際に心配事が次々と出てきてしまった亡き祖父を彷彿とさせるような私の姿だったのではなかろうか。その電話の後、夫からも連絡が入ったとなれば、兄が車で一時間ちょっとの我が家へ母を送ってきてくれたと考えても何もおかしいことではない。
リビングにいる夫と母と兄が、私を心配している声がそれとなく聞こえて来る隣接した部屋のソファーで横になり、今リアルに自分の身に起きている現状を何とか客観的に見ようと試みてみる。
『この二人がうちに来ているということは、年明けから体調を崩して今入院中の実父は無事ということだ』そう無言で悟る。
そうであるならば、私の不安感は一体どこから来るのだろう?
「何か変なものでも食べたのか?」「昼間ヨガに行ったと言っていたけれど、そこは普通のヨガスタジオなのか?」
そんな会話がなされている。まずいな。完全に心配されているじゃないか。でも自分が置かれている立場を否定する気力もその時の私は持ち合わせていなかった。『今どこか病院にでも入れられてスマホも取り上げられて外部と連絡が取れなくなったら困るのに…』
大学時代の友人が春先になると精神的に不安定になり病院に入院せざるを得なくなり、携帯も持ち込めない隔離された病院の公衆電話から抗うつ状態で電話を掛けてきたことを思い出さざるを得ない。もうその電話も私が結婚して子どもが生まれてからはここ何年も掛かってきていない。その友人は今頃どうしているだろうか。
私はもう本当のところでは、この不安感がどこからやって来ているのか気がついていた。もっと正確に言えば、もうその時には手放しで幸せとは言えない “その現実” から目が反らせなくなっていた。でもそんなことを家族に言っても100%理解されるはずがない。
『私として今回この世に生まれてきて本当は一番会いたかった人と、もう離ればなれになりたくない。やっと会えるようになったのに…誤解を解きたいだけなのに…』
出口のない迷路に迷い込んでしまったかのような今の私に、為す術など何もなかった。
唯一出来たことと言えば、Mr.Childrenの桜井さんが小脳梗塞から復活したように、星野源がくも膜下出血から蘇ったように、私も今のこの現実が良い方へ好転するか、もしくは良くできた明晰夢であって欲しいと切に願うことだけだった。
その夜、どうやら実家の母が泊まってくれることになったらしい。でも、目を覚ましてみると横になっている母の身体が冷たくなっている夢を見た。もうここまでになってくると、本当に眠れない。
***
そうして翌日、子どもたちが学校に登校した後、母と夫に連れられ街中のクリニックへ行き、ここでは原因がわからないと帰されたようで、その足で大きめの病院を受診したところ脳のMRIを勧められ、救急車で日赤病院に運び込まれた。
病院をたらい回しにされている時もMRIに入れられた時も、私の意識だけは気味が悪いほどしっかりとしていて、まるで幽体離脱をして自分の姿を俯瞰して見ているような気分だった。
MRIに入れられた時、もしかしたらここは病院ではなく火葬場で、今から入るところはMRIではなく、最期にこの身体と魂がお別れをするあの“人生最期に通る場所”なのではなかろうか?とまで感じてしまっていた。
ここまでの一部始終は、私の中でそこまで腹を括らなければならないほどのリアルな体験だった。
普段どちらかと言えば他人から冷静沈着に見られる私が、ここまで追い込まれることとなった “その現実” については、次章で書き綴ることとしよう。
つづく